放課後は屋上には出られないので、扉前の踊り場が目的地だ。

 誰もいないことを確認して、ショルダーバックを放り出し、鉄扉を背にしゃがみこむ。






「へへへ」






 何が嬉しいのかニヤケ面で、イヌノがオレに倣う。

 紙袋の中にもチョコ、チョコ、チョコだ。

 ラッピングの凝り具合から、女の子たちの気迫が伝わってくる。






「やっと二人っきりになれたな」

「……あ、うん。まあな」






 呆れるほど二人でつるんでるっつうのに、そんなことでいちいち喜べるとこが、

 おめでたいっつーか、バカっつーか、発情期っつーか。

 一瞬でもかわいいと思っちまう自分が悔しい。






 イヌノはチョコ袋を放り出し、おれの頭を撫でてご満悦だ。

 いやいやいや、わざわざ人目を避けてここに来たのは、イチャつくためじゃない。

 ムードに呑まれる前に、オレはわざとつっけんどん手を叩いた。







「なんでチョコ全蹴りしてんだよ」

「え。だって勇に悪いし」

「………そんなことだろうと思ったぜ」

「や。もちろん言ってねぇって。……勇の名前は出してねえし」

「あのな、そういう意味じゃないの。

 オレがいつ、女子からのチョコ全部蹴れって言った?

 オマエは、面倒ごと避けるためにオレを口実にしてるだけだろ」

「…………」

「ハッ。図星だろ。

 そんなことに引き合いに出されるほうが迷惑だっつーの」



 ここでオレが



『そんなにオレのこと好きなんだ……!(キラキラ)』



 と、のぼせ上がれるようなヤツだったら、もうちょっと互いに楽チンなのかもしれねえが、

 あいにくそんなにおめでたくはできていない。



 イヌノはほんっとイイヤツなんだけど、イイヤツゆえにちょっとニブい。

 感情と目的のすり替えは、どっちのためにもならねえってことも、

 ちゃんとオレが教えてやらなきゃ。






「…………」






 イヌノがムズムズと何か言いたげだったので、

 オレは声のトーンを少しだけ柔らかくした。






「んーだよ。言いたいことあったら言えよ」

「……全部受け取って喜んでたら、それはそれで機嫌悪くするくせに……」






 ちょっと想像して、オレは答えた。






「まあな」

「ほらな?……勇の二択はどっちも地雷なんだよ」







 すぐ謝るくせはなかなか治らねえが、

 それでも昔に比べたら、イヌノの口ごたえもちったぁ増えてきた。

 童貞切って、ちっとは自信もついてきたのかもな。






 ……まぁそれはオレも一緒か。






 イヌノばっかチョコもらってるの見て、男としての劣等感半分、

 今カレとしての動揺半分、複雑な気持ちなのも確かだ。






 でもま、昔ほど不安じゃないってことは、オレもオレなりに色ボケしてるって

 ことなんだろう。






「どうすりゃいいんだよ、このチョコ……」

「チョコくらい食ってやれよ。それぞれ気持ちこもってんだから。

 コクられたらその時断りゃあいい話だろ」

「あのな、勇はそうやって女子の肩持つけど、

 バレンタインのチョコってお返し前提なんだぜ?

 毎回毎回大変なんだよホワイトデー。

 勝手に押し付けてくるくせに、お返し渡さなかったら陰口叩かれるしさぁ。

 受け取った分、勝手に期待するから告白蹴ったら泣くし、また陰口叩かれるし」









 ……………。








 勝者の論理だ。














 どうりで話が合わないと思ったぜ。

 毎年繰り広げられるこの心理的ゲリラ戦、聖バレンタインの日を、

 こいつは勝者として生き残ってきた男なんだ。

 (本人が喜んでいるかどうかはともかく)







 いったいコイツの影で、どれだけの男子が孤独と悲哀を噛み締めてきたのか……!







「こんだけあると、ホワイトデーの飴代だってバカになんねえし。

 それだったらおれ、その分勇にいい目あわせたいしさぁ」

「………イヌノ」

「ん?なに?」

「オマエとオレは、今日から敵同士だ」

「え、またかよ!」

「それにオレ……いい目とかはもう充分あってるから」

「急にかわいいこと言うなよ!敵なのか味方なのかどっちなんだよ!」







 イヌノは頭を抱え、それから軽く握った拳を顎にあてがい、しばらく考え込んでいた。







 悩ましげな横顔は本当に男前だ。

 たぶん大したこと考えてないんだろうけど。









「うーん」

「なに」

「………やっぱり、時間かかっても全部返すよ。

 途中で方針変えたら、受け取らなかった女子に悪いし」

「うん。それもそうだな」

「結局最初と一緒じゃんか」

「そうでもないぜ」

「勇はいいひとになろうとしすぎるんだよ」

「オマエが他人に無頓着すぎるんだよ」







 そうかなぁ。と、イヌノはまだ不満げだ。







「……祐子先生のチョコだけはなんとか今日中に返さなきゃな。

 これ、家に持って帰るのこええし」






 これはイヌノの問題、と手持ち無沙汰に考えていたオレは、

 祐子先生の名前を聞いて膝を正した。






「え!? 祐子先生にももらったのか!」

「………なんか毎年寄越すんだよあの人」






 バレンタインのたびに……、担任の女教師からチョコレート……!






「…………いいな」

「え?」

「なんでもねえよ。祐子先生のチョコってどれ?」






 イヌノが紙袋をガサゴソとあさり、一番下から一際派手な赤い袋を取り出した。




 う。袋ごしでもオーラがすげえ。

 赤地に白抜きで、『
LOVELOVELOVE』と、経文のように印刷されている。






「……開けてみろよ」






 祐子先生はいったいどんなチョコを用意したんだ?

 悔しさ半分、ヤキモチ半分、好奇心半分でオレの心は今や1.5倍強だ。



「でも、開けたらさすがに受け取らないとまずいし」

「いいだろ。祐子先生のだけ受け取っとけ」

「………絶対誤解されそうだよ……。

 まぁいいけど、たぶんガッカリするぜ」



 イヌノは爆発物でも解体するような手つきで袋の口を開いた。

 中からは市販品らしい、さらに真っ赤な箱が出てきた。






「あれ?」






 驚きの声を上げたのは、オレじゃなくてイヌノのほうだった。



「今年はまともなんだな……。祐子先生、反省してくれたんだ。よかった……」



 大げさに安堵している。いったい何に怯えているんだ?

 オレは裕子先生チョイスのチョコが気になってしかたない。






「なぁなぁ、開けていいか?一つ食っていい?」

「あ……うん。

 たぶん、大丈夫だと思うけど、気をつけろよ勇」






 ラッピングから中身を取り出す。



まとも?



 ………これ、チョコなのか?




 確かに既製品ではあるが、アフリカの民族衣装のようなものを身に纏った女性が二人、

 にっこり微笑んでいるひどく野性味に満ちたパッケージだ。どうも外国製らしい。

 おそるおそる箱を開けると、カカオの匂いが鼻をつく。

 あ、確かに中身はチョコレートだ。

 コインチョコを分厚くしたような形で、一つ一つ金紙に包まれている。






「普通のチョコみたいだけど」

「去年はさ……手作りだったんだよ。祐子先生の」

「はぁ?何それ。自慢?」



 自慢どころか、イヌノはひどく青い顔をしていた。

 思い出すのも怖いらしい。






「………表面にさ、爪か何かでぎっしり文字みたいなのが刻まれてるんだぜ。

 割ったら、中からぞろっと髪の毛が出てきてさぁ……。

 食うどころか家に置いとくのも怖くて、泣きながら学校に戻って、

 祐子先生の下駄箱に返しておいたんだ」

「それは……」

「返しても返してもおれの机の中に入ってたけど」

「…………最後はどうしたんだ?」

「花壇あるよな。園芸部の」

「うん」

「あそこに埋めた。一角だけ草の生えてない場所があるだろ、たぶんあそこだ」

「…………そっか」






 さすがにそれは……オレでも食えないかな……。いや、気合でなんとか…無理か。






「祐子先生、ほら、ヘンな宗教にハマってるじゃん」

「ああ、よく知らねえけど。ナントカ教だっけ?カルトの」

「たぶんその関係のまじないかなんかだとは思うんだけど、やっぱ食えなかったよ。

 あれ以来、まだバレンタインチョコ見ると怖ぇもん。

 今年はまともでよかったよ。祐子先生、学習してくれたんだな」






 そう言ってイヌノは、安心したように祐子先生から贈られたチョコを一粒つまむ。

 口に運ぼうとするのを制して、オレはもう一度パッケージを確認した。

 確かにこれも呪術めいてるな。




 箱を裏返して隅から隅まで調べる。

 原材料名まで横文字でよくわからねえが、かろうじて

 《Gurana…》のつづりだけ読み取れた。






「……待て。それ食うな」

「え?なんだよ。ヤキモチか、勇」






 イヌノは何か勘違いしてやに下がっている。






「違う。これたぶん、ガラナチョコだ」

「ガーナチョコ?」

「オマエは知らなくていい。とにかく食うなよ」

「……なんだよ。食えっつったり食うなっつったり」






 ぶつくさ言いながら、イヌノは剥いた金紙を元に戻す。






 ガラナチョコっていうのはアレだ。

 オレも話でしか聞いたことしかねえけど、いわゆる



『食べるとHな気分になっちゃうチョコ』



 ってヤツだ。

 本気度は……高すぎて怖い。






 本物を見るのはオレも初めてだけど、本当に効くのか?コレ。

 そもそもコレって、男がこっそり女子に食わせて、






『あ〜ん★あたしなんだか体が熱くなっちゃた〜ん』






 とか、そういう反応を期待するモンじゃないのか?

 男が食っても効果あるのか?



 効果のほどはいささか気になるけど、こんなとこでイヌノにサカられても、

 困るのはどのみちオレだしなぁ……。






 それにしても先生、もうちょっとカワイイ袋に詰めなおすとか、

 それくらいはカモフラージュしないと……。






「この分じゃ、来年はバイアグラ入りのチョコだな。……がんばれよイヌノ」

「???」



 オレはイヌノの肩を叩き、ガラナチョコを袋に戻した。









 それにしても、祐子先生は相変わらずストレートだなぁ。



 チョコを突っ返されても懲りたりしないし、



『キミが欲しいの』



 なんて、こんな真っ直ぐなメッセージの前では、

 オレがおっぱいチョコで紛らわした気恥ずかしさなんて、本当にチンケだ。



 祐子先生はやっぱ器が違う。美人なだけじゃないんだよな。






「祐子先生、ステキだよな……」

「えっ?なんでそうなんの!? 勇が全然わかんねーよ……」

「あの人はさ、なんつーかさ、自由なんだよな」

「ああ、自分でも言ってたからな……アラディア憑いてたとき。その意見には同感だぜ」

「ハイ、オマエには代わりにこれやるよ」






 ポケットから、体温ですっかり柔らかくなったチロルチョコを取り出して渡す。

 途端にイヌノの顔がぱーっと明るくなった。






「うわ!マジで!? 勇がおれに!!」

「………チロルチョコでそんなに喜ぶなよ。

 それにソレ、オレからじゃなくて千晶からだから」

「……………なんだ。千晶か」

 

 イヌノはわかりやすく気落ちして、溶けたチロルチョコを口の中に放り込む。



「………ばーか。

 野郎同士でチョコの交換してもしかたないだろーが」






 おっぱいチョコは、まだショルダーバックの中だ。

 女子らの本命チョコや、祐子先生の本気チョコのあとで、

 さすがにあんなジョークチョコを差し出す気にはなれなかった。






 ま。いいさ。

 どのみち、オレがヘンな気利かせなくたって、

 イヌノはこうしてたくさんチョコもらえたんだし。

 いいバレンタインじゃねえか。うらやましいぜ。






「やっぱおかしいかなぁ」

「おかしいだろ。どう考えても」

「まぁ、おれも勇からチョコもらえるなんて、そんな期待してなかったけど」



 ガッカリしたのも束の間、イヌノは自分の鞄をいそいそと漁り出す。



「……ま、その。いらねえかもしんねえけど」



 アホみたいにはにかみながら取り出すのは、赤いリボンのかかった黒くて平たい箱。



「…………」

「えーと……どうしてもなんかしてみたくてさ。

 おれ、彼氏できて初めてのバレンタインだし」

「……チョコ?」

「うん」

「…………………」

「あ、ごめん。要らなかったらおれ、自分で食うから」







 バッカだなイヌノ。

 こんなのこっちが恥かしくなるじゃねえか。

 どっちが渡すのが正しいかとか、男同士だとか、買うのが恥かしいとか、

 そんなことばっか気にしていたオレ、バカみたいじゃねえか。







「……開けていいか?」

「あ、うん!うん!」







 見えない尻尾を振るイヌノに急かされて、オレは丁寧にリボンをほどく。

 どこのメーカーだとか、どこで買ったとか、そんなことはもうどうでもいい。

 イヌノが選んだチョコだ。

 




 梱包材の中に埋もれていたのは、これまたベタな、大きなハート型のチョコだった。

 甘そうなスイートチョコに、ホワイトチョコで流暢な文字が描かれている。

 そこには、










『いさむだ』










 という、バレンタインにふさわしい、ハートフルなメッセージ………。









 …………………………………。

 ………………。








 いさ……むだ……?








 いさむだ?







 なんだこりゃ。どんな暗号なんだ。







いさ無駄?






 韓流俳優イ・サムダ?











 勇だ?



 勇だ。



 勇だ!












 このチョコが勇だと主張するなら、オレはいったい誰なんだ?

 ここにいるオレはチョコレートなのか?

 はたまた
『勇だ!』というダイイングメッセージなのか?

 犯人はオレなのか?

 そもそも何の事件が起こったんだ?








「あ、ごめん。それさ」






 オレがほとんど哲学的な混乱に陥っていると、イヌノが申し訳なさそうに頭を掻いた。






「どんなチョコがいいかなーって、お惣菜の試食品食いながらデパ地下うろうろしてたら、

 予約制でチョコにメッセージ入れてくれるって店があってさ。



『これだ!』



 と思って申し込んだんだけど」

「……オマエ、度胸あるよな……」

「そうでもねえよ。

 で、



『お入れするメッセージを書いてくださいね』



 って紙渡されて、



“いさむだ”



 まで書いたところで、さすがに照れるは恥かしいわで手が固まってさ。

 そのまま動けずにガタガタ震えていたら



『かしこまりました』



 って紙取り上げられたんだ。

 ――振り返ったら、後ろにも行列できてたから、店員さんに急かされてたんだな」

「……そりゃあなぁ、そんなとこに野郎が一人いたら、どう考えても営業妨害だっつーの」

「おれだってお客さんなのに……」







 想像してみる。

 女性だらけのデパ地下バレンタイン特設チョコレート売り場で、

 試食品の爪楊枝を咥えたまんま、ボールペンを手に固まるイヌノの姿を。







「……負けたぜ………」

「え?なになに?おれの勝ちなの?勇を好きにしていいのか?

「これ以上何を好きにするつもりなんだよ!」

「……いやまぁ、その…………な?

な? じゃねえよ」






 意味不明なメッセージの理由はわかった。

 でも謎がまだ残ってる。






「なぁ」

「……いや、好きにするっつったって、勇の嫌がるようなことはあんましたくねえし」

「それはもういいから」



 頭を抱えてムラムラしているイヌノのつむじをぺしんと叩く。



「いてっ」

「この後、なんて書こうとしたんだ?」

「え?

 …………そんなのわかるだろ。恥かしいから言わせるなよな」

「………………」

「……………いすき」

「…………………」

「だいすき。って」

「二度も言うな!」

「聞こえてんなら言えよ!」

「リアクションのしようがねえんだよ!」






 オレは天井を仰いで顔を両手で覆った。

 本気度が高すぎてキモイ。こんなのマニュアルにも載ってねえよ。






 言っておくけど、オレの顔が真っ赤なのは嬉しいからとかじゃなくて、

 心底コイツが恥かしいから!だ。

 ああもう……こんなことするか?フツー。







「……ったく。本当にもう……」



 まったくコイツに勝てる気がしねえ。



「……そんな呆れなくったっていいだろ。必死だったんだからさ」

「…………そうだな。必死なのはよくわかった」

「色々難しいな、バレンタインって」

「うん。難しいな。

あげるのも、もらうのも、どっちも大変だよな」

「あのさ、勇」

「何?」

「ら、来年はさ、もうちょっとうまくやるから!」

「ハハハッ。そんながんばんなくていーから」





 『いさむだ』チョコをしげしげと眺め、オレは忘れないうちに携帯で撮った。

 こんな(色んな意味で)凄いチョコをもらうのは、きっと最初で最後だろう。

 これもま、今日の記念だ。






「食わねえの?」






 手付かずのまま、箱の蓋を元通り閉めるオレに、イヌノは少し不満げだ。



「今、歯型つけちゃうのもったいないだろ。

 帰ったら二人で食おうぜ。どうでうち寄ってくんだろ?」

「……へへへ。

 おれ、夢だったんだよなぁ。



『チョコの代わりにオレをやるぜ!』



 って、勇に言ってもらうの」






 ……イヌノはたぶん、ガラナチョコなんてあってもなくてもおんなじなんだろうな。






「……相変わらずくだらない夢ばっか見やがって。

 誰がそんなこと言うか」



 オレの肩に顎を乗せるイヌノにデコピンを食らわせ、さっさと立ち上がって鞄を抱える。

 それから腕を組んで考える。







 この勢いしか、ないだろうな。と。







「どうしたの?勇。帰んねえの?」

「あのさ。大したもんじゃないから……その、がっかりするなよ」

「うん?」

「オレも実はさ、オマエに渡すものが」








 そうしてやっと観念して、オレはショルダーバックに手をつっこんだ。





























                                            END










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〜おまけ〜