さて、世界は相変わらずだ。
おれは一ヶ月近く自己嫌悪と恥かしさと勇のパシリで死にそうになっていたが、
そのうち落ち込むのにも飽きた。
何より、勇がまた学校に来るようになってくれたので、
あの大騒ぎもまぁ無駄じゃなかったかなと思えるようになったのだ。
『あんな調子で家に迎えに来られちゃたまらねえよ。
学校来たほうがまだマシ』
勇はぶつくさ言ってたけど、理由がなんであれ学校に来てくれて嬉しい。
勇との仲も相変わらずで、労力のわりには大した進展は無かったけど、
毎日学校行けば勇と会える。
勇と話せる。
それだけでどんなに幸せか、今ならそのありがたみがよくわかる。
………祐子先生のお陰とはあんま思いたくないけど。
以前のように、無理に迫って勇を追い詰めるよりは、
このままでもいいかなと思うことすらある。
別に一生童貞でも……。
………。
……いや、やっぱ嫌かな。それはさすがに。
本心を言えば、これっぽっちも勇を諦めたわけじゃない。
秋の陸上大会で3位以内に入賞できたら、
その勢いでもう一度告ろうとこっそり走りこんだりもしていた。
――結果は1500m予選落ち。
応援に来てくれた勇に見とれてまさかの転倒だった。
「本番中に手ぇ振り返すバカがどこにいるんだよ!」
期待が高かった分、怒られたのなんのって。
勇と顧問と陸上部全員(後輩含む)に罵られて、おれの部活動はあっけなく幕を閉じた。
千晶はもう罵ってもくれない。鼻で笑っただけだった。
勇がぶつくさ言いながらケガの手当てしてくれたのが唯一の慰めだ。
……………。
…………………………。
……いや、もう落ち込むの飽きたからさ、いいんだ。
ただ、気になってるのは、それ以来勇がよそよそしいこと。
いや、元々おれに優しいわけじゃないんだけど、なんかまた距離を取られている感じ。
下校も千晶と三人じゃなきゃさっさと帰っちまうし、
なんだか二人っきりになるのを避けてるみたいだ。
また怒ってんのかなぁ。心当たりがありすぎる。
あーもー、拗ねると長いからなぁ、勇は。
早く機嫌直らねえかなぁ。
「プリント、後ろから集めてちょうだい」
いつもの通り、ぼんやりと勇のことを考えていたおれは、祐子先生の声で我に返った。
もう2年最後の進路確認のプリント。
後ろから前へと事務的に回しながら、勇は結局どうすんだろ、とちらっと伺う。
斜め後ろの席の勇は、進路なんてどーでもいーとばかりにこっそり携帯をいじっていた。
世界もおれも相変わらずなら、勇もやっぱり相変わらずだ。
この世界は相変わらず不合理で、残酷なことは満ち溢れ、
未来はこれっぽっちも確かじゃなく、考えなきゃいけないことは多すぎる。
勇もおれも、まだまだ長ぇ人生の中で、これからもたくさん悲しい目に遭うだろう。
生まれてこなけりゃよかったと嘆いたり、世界すべてが敵に見えたり。
そして、今や人の身のおれに、できることなどたかが知れてる。
だけど、
『オレのことなんてどうでもいいと思ってる』
なんて、二度と言わせない。
今はそれだけしかできないけど、勇がまた閉じこもりたくなったときに、
一瞬だけでもおれのこと思い出してくれますように。
そうしてまた立ち上がり、この世界を一緒に歩いてくれたらそれだけでいい。
頬杖ついて窓を眺めていたら、尻ポケットに入れてた携帯が震えた。
差出人は当の勇だ。
何やってんのかと思ったら、おれにメール打ってたのか。
『進路どうすんの?』
って、久々のメールがそれだけかよ。
おれもこっそり机の下でメールを打つ。
『スポーツ推薦の線は間違いなく消えたからなぁ。
とりあえず真面目に受験するよ』
送信。
受信。
『何?
それってオレのせいなワケ?』
いけね。また地雷踏んじまった。
勇もなんだかんだ言って気にしてんだよな。
話反らしとこう。
『いや、転んだのはおれがうわっついてたせいだし。
応援来てくれて嬉しかったよ。
勇は? 結局進路どうすんの?』
送信。
…………。
……返事が来ねぇ。
シカトかよ、と思って勇を見たら、
なんだか頭を掻いて考え込んでる。
おいおい、まだ進路決めかねてんのか。
しょうがねえなぁと苦笑いして、
携帯をしまって教科書を開く。
小テストとか面倒だなぁ。
なんだか2年に上がってから人生に試されてばかりな気がする。
ピンポイントにアンダーラインを引いていたら、
忘れられかけた携帯が震えた。
なんだよもう勇、とメールを読むと、
一行だけ。
『 オ マ エ の 彼 氏 』
と液晶の文字。
……………。
「マジかよ!?」
椅子蹴っ飛ばして絶叫した途端、クラスメート全員(勇以外)と
祐子先生の視線が突き刺さる。
勢い余って椅子ごとひっくり返ったおれの脇に、祐子先生が笑顔で仁王立った。
「………イヌノくん」
「は、はい」
「授業ね、もう始まってるの」
「は、は、はい」
「廊下はね、あっち」
クラス中の笑いを背に受け、おれが廊下に放り出される間も、勇は、
頬杖ついてそっぽ向いていやがった。
すれ違うとき声を出さずに口だけで、
『バーカ』
と呟いてるのが見えた。
心持ち頬が赤い。
おれが現実味の無い廊下にぽかんと立ち尽くしていると、
追い討ちをかけるようにメールが送られてきた。
『遅いー。遅すぎるぞ小林イヌノ。
オマエがトロくさいから、こっちから告るハメになったんだろーが。
言っとくけどオレ悪くないから。
オマエはそこでめいっぱい反省してるんだぞ』
背中の壁越しに聞こえてくる祐子先生の授業。
窓から覗く空は今日もバカみたいに青い。
幸福感を噛み締める時間だけはたっぷりある。
勇にどんな返事を書いてやろうかと、考える時間も。
おれは空に小さくガッツポーズを取りながら、
ひょっとしたら世界は、
いちいちぶっ壊さなくても変わるんじゃないかと、