………結論から言うと、二度目の東京受胎は起こらなかった―-らしい。
おれがぶっ倒れていた頃、祐子先生は自室でビール飲みながらテレビを観ていたそうだ。
おれの悩みなど所詮高坊のたわごとと高を括り、
いっぺん世界をぶっ潰す気になれば目も覚めるだろうという荒療治。
つまり、最初からおれに協力する気など微塵も無かったらしい。
昼飯休みの屋上で、勇からその話を聞いたおれは、
怒りのあまりアバドン並みに大口を開けて飲み掛けの牛乳パックを握りつぶした。
「……あんのバ●ア!
今度という今度は許さねぇッ!!」
「こら、祐子先生の悪口言うな」
勇は涼しい顔で、カフェラテをちゅーちゅー吸っている。
「まぁ、オレはそんなこったろうと思ってたけどな。
あの祐子先生が、自分に利益無いことで動くわけねぇし」
「そう思ってんなら言えよ!!」
「え、オレ言ったよ?」
「いつだよ?」
「オマエぶっ倒れたとき。
『もう8時過ぎてる!』って何度も言っただろ」
「………………聞こえてなかった」
「……まぁ、オレもオマエの勢いに乗せられてさ、
もしかしたら≠チて思ったんだよね。あの時は」
……あの日、おれは一人で大騒ぎしていただけだったわけだ。
耳まで赤くなり、頭を抱えた。
自分の無茶な言動思い出すと恥かしくて死にそうだ。
てか、
「………死にてぇ」
「ハハハ」
「なんかおれ、バカみたいじゃん。
すっげぇバカみたいじゃねえか!
ああチクショウ!」
「オマエがバカみたいなのは今に始まったことじゃないだろ」
「慰めになってねえよ……」
「や、別に慰めてないし」
「………ごめんな、勇」
「何が?」
「……その、おれの思い込みだけでお前巻き込んじまった」
「まぁ、向こう一ヶ月の昼メシと早売りジャンプで許してやってもいいぜ。
謝られると逆に腹が立つ」
「……………うう……」
「ていうか、
謝るより先に言うことあるだろ。オマエ」
「言うことって?」
「………。
自分で考えろバカ」
わかんねー。
謝ることすら封じられ、おれはもうどうすればいいのかわからない。
衝撃高揚つきの自己嫌悪の嵐だ。
牛乳をぼたぼたと零し、やべえ、泣きそうだ。
恥かしさで泣いたらますますかっこ悪い。
先にやきそばパンを食い終えた勇は、
フェンスにもたれて可笑しそうにおれを見下ろしている。
「……なぁ勇」
「んーだよ」
「受胎よぉ、本当は起きたんだろ?
そうだと言ってくれよ………」
呻くようにそう言うと、勇は軽く肩を竦める。
「まあね」
風に舞い上がる前髪を押さえ、
「本当はさ、起きたんだぜ」
視線を落とす。
「え?」
「あの後すぐにな」
「え?え?」
「大変だったけど、まぁなんとかなるもんだな。
オマエがやれたんだ。オレにできないはずはないって信じたから」
「……マジかよ」
「おっと文句つけんじゃねえぞ。
これが――オレの選んだ世界だからな」
そうおどけて、両掌を空に向けて世界を指し示す。
金網の向こうには遠く副都心が見えた。
微かに覗く中央公園。澄み渡った秋の青空――。
「イヌノにも見せたかったな、オレの勇姿。
百万のスライムを従えた外道軍団、
迫り来るカグツチをちぎっては投げちぎっては投げ」
……って、なんだ。
いつもの冗談か。
「………危ねぇ、また騙されるとこだった」
「ハハッ、信じたのか?
――ま、どっちでもいいだろ。
結果オーライってね」
勇はにこにこしてる。
そうだな、結果オーライだ。
勇が笑うとおれも嬉しい。
屋上にも予鈴が鳴り響き、おれはサンドイッチの残りを水っ気無しに飲み下した。
「行こうぜ、イヌノ。
次は祐子先生の授業だしな」
「わかってるって」
「あー、やっぱいいよなぁ。祐子先生。
オレますますファンになっちゃった」
「わっかんねぇ……」
階段を競争で駆け下りながら、おれは積年の疑問を勇にぶつけてみた。
「あっのさぁ、裕子先生の一体どこがいいんだよ?
控えめに言ってもさ、あらゆる意味でギリギリだぜ。あの先生」
しかもどう考えても、一番ワリ喰らってんのおれだしなぁ。
「ギリギリって言うな」
勇はむっとして足を緩めた。
「まぁ確かに、実際はギリギリどころじゃねえけど」
「先生のいいとこねぇ、いっぱいあるけど。
一つだけ選ぶならアレだな、うん」
そして、わずかにはにかみながらこう言うのだ。