「やっぱ帰る」
「早っ!!」
「こんなナリで外出るの耐えられねぇんだよ」
新宿行きの私鉄に乗って、数分も立たないうちにまた勇がごね始めた。
急いでいたから、部屋着のまま外に出たことをずっと気にしている。
骸骨の絵がついたよれたTシャツに7分丈のカーゴパンツ。それと、キャスケット。
いつもの気合の入ったオシャレじゃないけど、素な雰囲気が可愛い。
「次の駅で降りるわ。
ま、お前は適当にやれよ。もう生き返らせなくていいから」
「……膝抱えて死ぬつもりかよ」
「それでいい。
何度やっても同じだよ。何も変わりゃしねえさ」
「冗談じゃねえよ」
帰宅ラッシュの満員電車、さすがに声は潜めておれたちはケンカする。
至近距離なのをいいことに、ポケットに突っ込まれた右手をおれは握った。
勇が顔をしかめる。
「おれはもう二度とお前を死なせたくない。
お前が閉じるのも見たくねぇんだよ。
ぜってぇ連れてくからな」
「………痛ぇ」
「え?」
握った勇の掌を開くと、いくつも貼られたバンソウコに血が滲んでいた。
ケガしてたのか。って、これ。
「ま、まさか自分で?」
「んなわけねぇだろ」
一瞬自傷したのかとマジびびったけど、そうだよな、掌切るわけないか。
昨日会った時は気づかなかった。そういや、ずっとポケットに手ぇ突っこんでたな。
勇はそれきりケガの由来は語らず、あまり触れられたくないのかもしれない。
おれは右手をポケットに戻して、左手を取ろうとして足を踏まれた。
構わず握る。
「やめろ。
人が見たらヘンだと思う」
「それがどうした。
勝手に思わしときゃいい」
がたん、と列車が大きく揺れて止まった。
ぎゅう詰めの通勤客があちこちでたわみ、おれは勇を抱きかかえるように手すりを掴んだ。
それきり動かない。
なんだこの大事なときに。
「大丈夫か?勇」
「……………」
『……人身事故のため、少々停車致します。お客さまにはご迷惑をおかけしますが』
「っておい、大丈夫じゃねえじゃん!」
「イヌノ、うるさい」
「ごめん」
誰もがイラついている中で、おれの焦りはそれどころじゃなかった。
つり革を握る見知らぬリーマンの腕時計を見る。7時12分。
くそっ、早く動け。動け。
事務的なアナウンスが繰り返される中、乗客は皆押し黙り、列車は止まったきりだった。
たぶんホームで人が落ちただけじゃない。
この線路の向こうで誰か死んだ。飛び込んだ。
わざわざラッシュ時を狙ってまで、他人に自分の死を知らしめたかった誰かが。
「…………あのさ」
「………」
勇は手を握られたまま、不機嫌丸出しに黙り込んでいた。
この車両の中で、コイツだけが目的地にたどり着くことを拒んでいる。
「……おれ、責任感じるんだよ。こういうの目の当たりにするとさ。
うまく言えねぇんだけど、もうちょっとおれがなんとかすれば、
こういう人たちは死ななくて済んだんじゃないかな……」
世界を創るときに、もうちょっと別の理を見つけることができれば。
この世界が嫌いなわけじゃないけれど、何か一つ、
もう一つ加えることができれば、もうちょっとマシな世界になったのかもと、
けれどおれにはその何かが見つけられなかった。
「うぬぼれるなよ、イヌノ」
扉の向こう、暮れゆく街並みに顔を向けたまま勇が応える。
「無駄だよ。
弱い人間ってヤツは、どこへ行ったってダメなんだよ。淘汰されるだけだ。
お前が足りない頭で考えたとこで何も変わりゃあしねえさ」
小さく、侮蔑を含んだ冷たい声。
「……だから、千晶のやろうとしたことは、あながち間違っちゃいないのかもしれない。
だけど、だけどオレは――」
そしてまた黙り込む。
返事をする代わりに、おれは勇の手を強く握った。
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