『イヌノは殺せないよ』
アマラ経絡。
実らぬコトワリを啓いた男が、マガツヒ欲しさに悪魔殺しをオレに持ちかける。
理由は簡単だ。自分にはその力が無いから。
『……殺るなら自分でやればいい。
もっとも、あんたに“人修羅”を倒せるとは到底思えないけどね。
どちらにしても……オレには関わりのないことだ。好きにすればいいさ』
『おいおい、俺は殺せなんて言っちゃいないぜ。たとえ話をしているだけだ。
たとえば、だ。
確かに俺にあいつを屠るのは無理だ。その力を嫌になるほど見てきたしな。
だがな、俺には“コレ”がある。
ターミナルが俺にすべてを教えてくれたよ』
そう言って男は自分のこめかみを示した。
『コトワリには強大な守護が必要だ。
そうだ、守護を呼ぶには大量のマガツヒが要る。しかもそれだけじゃない』
男の話を聞き流しながら、オレはイヌノのことを考えていた。
あいつは来るだろうか。
こいつを追って?それとも――。
『“贄”だ』
『………?』
『神降ろしには核となる生贄が必要だ。間違いねぇ。
氷川――シジマは恐らく巫女を使うことになるだろう。
ヨスガはミフナシロへ向かった。あそこには力を持ったマネカタがいる。
お前はどうする?勇。
このまま経絡に篭り、シジマやヨスガの連中が創世するのを、
指を咥えて眺めているつもりか?』
しかしなんだってこいつはこんなに馴れ馴れしいんだ。
経絡ですれ違っただけの男など、オレは覚えちゃいないしどうでもいい。
オレの居場所を始終覗き込む目障りな男。
『悪い話じゃないはずだぜ、勇。
マガツヒの眠る場所は俺が知っている。山分けといこうじゃねえか。
お前は核を用意してくれればいい。
たとえば、あの小僧はおそらくお前の言うことなら聞くはずだ。
強大な力を持った核――何も知らずに騙されてくれるさ』
『……なるほどな。確かに悪い話じゃない』
『ああ』
『だけどイヌノは殺せないよ。友達だったからね』
男は、物分りの悪いガキを見る目でオレを眺めた。
『……やれやれ。
コトワリを啓こうとしているお前が、まだそんなモノに縛られてるとはな。
いいか、勇。
殺人なんてタブーは後付けされたもんなんだよ。
なぜ人を殺しちゃいけないのか、俺が教えてやろうか』
こちらが何も答えないのに、男は滔々と喋り続けた。
まるでそれが自らの仕事であるかのように。
『同胞殺しを許せば、そいつらの“社会”は共食いで崩壊する。
だから殺人者を“社会”で排除するのさ。それが秩序ってもんだ。
マネカタ殺しのマネカタが糾弾されたようにな。
わかるか?
もう守るべき秩序も社会も無い。
こんな世界だ。ヒトの命なんかに大した意味はない……
お前だって解っているはずだ。
俺は全部知っている。お前がどんな目に遭ってきたのか。
どれだけ虐げられてきたのか。歌舞伎町で何があったのか』
『…………』
どんな経歴かは知らないが、弁の立つ男だ。
なるほど、イヌノ程度のお人よしなら容易に騙されるかもしれない。
『何を恐れている?
他人を傷つけるのが恐ろしいか?他人に傷つけられることも。
それならば望む世界のために屍で道を築け。
ヨスガはそうする。シジマさえも、だ。
世界一つ創るためにはな、犠牲など恐れちゃならんのさ』
きっとその通りなのだろう。
遥か中天に架かるカグツチを想う。
高みへ届くために、オレが積み上げねばならぬもの。
『同感だね。
……うまいことを思いついたもんだな』
同意を示すと男は笑った。
『よかった。これでなんとかなりそうだ。
よろしく頼むぜ勇。
あいつはきっと来る。その時はお前が――』
『たとえば、の話だろ?』
“あいつ”は来るだろうか。
きっと来るだろう。想像はつく。
経絡の前で悩んで迷って、そうしていつだって少し遅い。
来ることは間違いない。
では何のために?
『……じゃあオレも聞くよ。
たとえば、だ。
オレがその話に乗らなかったら、お前はどうした?
――どうせ今度はあっちに同じ話を焚きつけるつもりだったんだろ?
もっともらしい理由つけてな』
何か言おうとする口を、手を挙げて遮る。
守護を呼べぬオレに大した力は無いが、これくらいはできる。
これくらいしかできない。まだ。
『大した偽預言者だぜ、自分の立場さえ知らずにな。
話には乗ってやる。
ただし、贄はあんただ。
……せいぜい良い柱になってくれよ』
男を消すのと、あいつがアマラを渡ってくるのはほぼ同時だった。
いいタイミングだ。そのトロさが懐かしい。
『……おいおい、イヌノ。
お前がわざわざ、何のためにここまで来たんだ?』
希薄空間に立つ一対の姿が、互いを映し出すものであればいい。
お前は強く、オレは醜い。
そして今や二人とも化け物だ。