「祐子先生、受胎の件なんですけど」
職員室に入って開口一番に切り出すと、弁当を食っていた祐子先生は人差し指を唇に当てた。
机に近づいた途端に出席簿で頭をこつんとやられる。
「いい、私は教師であなたは生徒なのよ?
受胎の件だなんて大声で言って誤解されたら困るわ。
未来ある生徒を惑わす魔性の女教師……そんな風に思われたら私」
「いやそんなことより話を聞いてください」
「あら?話って何かしら」
おれは祐子先生の耳に口を寄せ、声を潜めて切り出した。
「東京受胎のことなんですけど」
先生は怪訝な顔をしている。
「何の話?」
お……覚えてないのか?
「いやほらあの、9月に二度目の受胎をって」
「あーはいはい。思い出したわ」
授業が始まっても言い出さないと思ったら、すっかり忘れていたのか。
意味ありげなことを言ってはそのことをスコンと忘れる、まぁいつもの祐子先生だ。
「ちょっとだけ待ってもらえますか」
「迷っているのね」
「………」
「いいわ。少しだけ待っていてあげる。重要なことだから。
悩んで――悩みなさい。
私は巫女として君の創世の中心を成してあげる。
でも、中途半端な志で世界を終わらせてもコトワリは啓けないでしょう。
私の神が私にコトワリを授けてくれなかったように」
「あの、先生。ここ職員室です」
「せっかく創ったこの世界を壊してまで、君が一体何がしたいのか、
よく……考えることね」
「祐子先生……」
でかい声でそんな話をして、また入院させられるんじゃないかと心配になってくる。
「勇くん」
帰ろうとしたところを思い出したように呼び止められた。
その名に体が強張るのがわかる。
「お家から連絡が無いのよ。
今日はどうしてお休みなのかしら」
「……昨日具合悪そうにしてたんで、たぶん病欠じゃないっすかねぇ」
「そう? 大したことないならいいんだけど。
新学期早々でしょう。ちょっと心配だったの」
「すぐ元気になりますよ。祐子先生の顔見るために」
「イヌノくん、勇くんと仲良かったわね。
君からも頑張るように言ってくれないかしら」
「はぁ。
――そいじゃ、失礼しました」
頑張れって、でも何を?
渋谷でバックれた勇。
置いてけぼりなのはいつものことだけど、あんな調子じゃ、受胎どころか病院へも連れ出せない。
たとえ祐子先生がもう一度入院したとしても来るかどうか。
かと言って勇を置き去りにしたまま受胎を起こす気は無い。
それは間接的でも、勇をおれがまた――。
「祐子先生、何ですって?」
「うわっ」
職員室の入り口で千晶が待ち構えていた。
まさか中での会話聞いてないよな。まぁ、聞いてても意味わかんねぇか。
「ビックリさせんなよ……。
なんか、勇が欠席した訳知らないかって」
「やだ。学校に連絡来ていないの?
そんなのサボりに決まってるじゃない」
「でも昨日マジ調子悪そうだったし」
「調子悪いくらいで休むほうがどうかしてるわよ」
「……まぁ、お前ならそう言うだろうな。
祐子先生も病欠とは信じてないみたいだよ。頑張れって伝えろって」
「無駄よ。
自分から負け組の道選んでる人に何言ったってしょうがないもの」
「相変わらずキツイな千晶は……。
だからってほっとくわけにもいかねぇし」
……でも、何にも話してくれねぇもんなぁ。
おれもどうすりゃいいのかわかんねぇよ。
あんな消え方されりゃ、いくらおれだってへこむ。
帰り道ちょっと泣いたもんな。
「まぁ、明日になりゃひょっこり来るだろ。
一日くらいは夏休みボケしてもしかたねぇよ」
勇はどうしたいんだろう。
「そうかしら」
「千晶こそこんなとこで何してんだよ。
もう昼休み終わるぜ」
「いけない。
わたし、先生と進路について話したかったの。
別に君に用は無いのよ」
「そ……そうか。
そりゃ引き止めて悪かったよ」
千晶が職員室に消えてほどなく、昼休み終了の予鈴が鳴った。
まぁいい。
病院へは明日誘おう。
東京受胎の日取りはその後で先生に相談すればいい。
教室に戻る廊下の窓を見上げながら、おれはのんきにそう考えていた。
――けれど、次の日も勇は学校に来なかった。
その次の日も欠席だった。
その次の日も。