スタバの席取りをおれに任せ、勇は「トイレ」と言ってどこかへ消えた。
2階の窓席がようやく開いたので、おれはアイスラテとコーヒーを並べとく。
勇の様子はやっぱちょっとヘンだ。
来る途中の電車の中でも、いつも通りにベラベラしゃべりはするんだけど、
途中でふと言葉に詰まってしまう。
会話する集中力が無いような感じだ。
なんか、上の空なんだよな。
おれの横に座り、いつものように礼も言わずにラテのストローを咥える。
「やっぱ高校生多いわ。
始業式っつったら、夏休み最後のオマケみてぇなもんだしな。
あーあ、授業始まるのだりぃぜ」
「ああ……うん」
「それにしてもここんとこ暑ぃよな」
「うん」
「今年の夏涼しかったから、ようやく夏が来たって感じだよなぁ。
それにしても渋谷人多いぜ。
気温ぜってぇ上がってるってコレ。人肌で。
まぁ女の露出度高いのはいいよな。
あ、オマエには関係ないのか。ハハッ」
勇はストローをちゅーちゅー吸いながら、とりとめのないことを喋り続けた。
おれは嬉しさ半分、不審半分でコーヒーを啜り話を聞く。
「へっ?」
「行くとこあるって言ってただろ」
「ああ――うん」
組んだ足をぷらぷらさせて、勇は視線を泳がせた。
泳いで行き着く先は窓の外。
――まただ。
「別に」
それきりまた黙る。
口利いてくれるだけでも正直ありがたい。
でもなぁ、横で元気ねぇのに何もしてやれないのは辛いなぁ。
――あんま考えたくねぇけど、ヒジリさんとやっぱりなんかあったのかな。
てかどうなってんだこの二人。さっぱり見えねえ。
まぁ、あっちと切れてくれたらおれとしても万々歳なんだけど、
あれ?
そしたら受胎起こさなくていいのか?
わかんなくなってきたぞ。
「なぁ勇、今度一緒に衛生病院にさ」
「人が」
頬杖を突いて通りを見下ろしていた勇がぽつりと口を開く。
「え?」
「――人が、多いな」
「ああ……勇の言うとおり学生も多いよな。おれたちみたいな」
月曜というのに、午後の渋谷は相変わらずの人手だ。
若い男、女、女子高生、中坊、中年、若い女、男、老人、リーマン、警官、
カップル、グループ、一人、男連れ、女連れ、子供連れ、外国人、日本人。
様々な人間が、信号が変わる度に歩いてまたどこかへ行く。
交差点にまたたくさんの人が溜まり、信号が変わり、また集まり。
この人たちは全員一度死んでいる。
そうしてもう一度死ぬことになる。
病院の屋上でしか受胎を知らないおれは、それがどのような様子か知るよしもない。
苦しんだんだろうか。
恐ろしかったろうか。
一瞬で、わけもわからないうちに終わったんだろうか。
東京が裏返ってゆくのを、どんな気持ちで見上げていたんだろうか。
「……気持ち悪ぃな」
勇が、渋谷を見下ろしたまま呟いた。
「え?」
様子がおかしいと思ったら、具合悪いのか。
そういや確かに顔色がよくない。
「おい、大丈夫か?勇」
横顔をかすかにしかめ、勇は片手で顔を覆った。
本当に気分が悪そうだ。
「……イヌノ」
「調子悪ぃなら悪ぃって言えよ。心配すんだろ」
「オレ、やっぱここダメだわ。
無理なんだよ」
開いたシャツの胸元を、脂汗がじっとりと濡らしていた。
「ごめん、スタバ嫌だったか?」
「………」
勇は答えない。
窓際の席が嫌だったのか?
「無理すんな、勇。
帰ったほういいよ。送ってくから」
「……どこに?」
「勇んち。
辛そうだったらどっか休めるとこ行こ。
ど……道玄坂とか」
「………」
「いや、その……下心なんてちょっとしかねぇから!安心しろよ!」
「ハ……」
顔をしかめたまま勇が笑った。
口の端を歪め、ほとんど憎悪のこもった眼差しを、こちらに向けて吐き捨てる。
まったく笑わせるぜ。なんにもなりゃしねえのによ」
「はぁ?」
「頭悪ぃんだよオマエ」
「……まぁ、あんまよくねぇかもしんねえけど」
罪滅ぼしってなんだ?
夏休み前のケンカのことか?
大体なんでキレてんだ?
おれなんかまずいことしたか?
……まぁ、いつものことか。
「わかったから、勇。行こうぜ。
具合治ったらいくらでも聞いてやるから」
立ち上がらせようとしたおれの手を払いのけ、勇はカウンターに突っ伏した。
……ちょっとこれはまだ動かせないか。
「待ってろ、水もらってくる」
勇を席に残し、水を取りにおれは1階のカウンターへ行った。
少し考えて、戻る途中の洗面所でハンカチを濡らして絞る。
2階の窓席には、見知らぬ女が二人並んで楽しそうにしゃべっていた。
席を間違えたのかと思い上から下までうろうろして、
階段で躓いて水をひっくり返して零し、ようやく、
ああ、また勇に置いていかれたんだと気がついた。