「コラッ!廊下は走らない!!」
「すみませんッ!」
すれ違った祐子先生に叱られて、少しだけ走るスピードを緩める。
おれは勇を探して校舎中を走り回っていた。
始業式と短いHRの後、少し目を離した隙に勇の姿は教室から消えていたのだ。
「勇……どこ行ったんだよ……」
下駄箱に靴が残ってたから、まだ学校にはいるはずなんだよな。
真っ先にそんなとこチェックする自分も我ながらどうかとは思うけど。
3階の昇降口に立って廊下を端まで見渡す。
女子生徒が数人、壁にもたれておしゃべりに興じていた。
もう残っている生徒もまばらだ。
あ。
一瞬、立ち止まった。
アマラ経絡だ。
幾何学模様の赤い壁。渦巻くマガツヒの流れ。
希薄空間に立ち尽くす少し背を丸めた半裸。
だらりと伸ばされた腕の先で、得たばかりの力を持て余し気味に指が揺れる。
あの姿は――。
「――……勇?」
目を擦ると、そこはいつもの学校の廊下だった。
勇の姿は無い。
おれは慌てて駆け出した。
女子生徒が迷惑そうにこちらを見る。
角を曲がった。
渡り廊下の中央、校舎の裏庭を覗く窓辺に勇はいた。
頬杖をつき、ぼんやりと下を覗き込んでいる。
「勇」
久しぶりだな」
やあ、じゃねえだろ。
いつもみたいによお、って言ってくれよ。
言い知れぬ不安を押し隠し、
おれは夏休み中練習していた挨拶をなるたけ自然に切り出す。
「と……とうとうとう終わっちまったな。夏休み」
とうが一個多かったか。
勇は応えず、肘を窓枠に乗せたまま怪訝な顔をした。
なんだ?まだ機嫌悪いのか?
「――勇」
「オマエ、背ぇ伸びた?」
「え?」
「身長」
「ど――どうだろう。計ってねえから」
勇がおれの横に立ち並び、頭の上にぽてんと手を乗せてくる。
その手を自分のつむじに交互に乗せ、不満そうに唇を尖らせた。
「や、なんか伸びてるって。わかんねぇけど2ミリくらいは」
――よかった。
いつもの勇だ。
「今かかと浮かせたろ、勇」
「浮かせてねぇよ。縮め縮め」
ぐりぐりとゲンコツで身長を押し下げられ、
おれは改めて夏休みを乗り越えた幸せを噛み締めた。
長かった。そして辛かった。
勇が普通に口利いてくれてほんと嬉しい。
「勇はちょっと焼けたな」
「マジかよ?
これでも日ぃ焼けないよう一応気をつけたんだけどな」
「日サロ?」
「んなわけねぇだろうが。
なんで日サロ行って、肌焼かねぇように気ぃつけなきゃならねんだよ。意味わかんね」
「そ、そうだよな。はははっ」
「アレだよ。……海、行ってたから」
「へぇ………」
誰と?
なんて、……聞けるわけない。
おれだってなぁ、本当だったら今年の夏は勇と行けたはずだったのに。
「泳ぎに?」
「泳がねえよ。浸かっただけ」
「なんで泳がねえの」
「だって、海で泳いだら溺れるだろ」
「あれ、カナヅチだっけ?」
「いや――そういうわけじゃないけどね」
そして勇は、ふとおれに興味を失ったように窓辺に戻り、頬杖を突き階下を覗き込む。
おれはさり気なさを装って誘う。
「……一緒に――帰らないか?」
背を向けたまま勇はそっけなく答えた。
「悪ぃ。寄るとこあるから」
「そっか」
それきり会話が途切れた。
立ち去りがたく、並んで窓にもたれてみるが、勇は視線もくれない。
「何見てんの?」
「外」
うそつき。
勇は何も見てなかった。
無感動な眼差しは夏草が茂る花壇を通り過ぎ、ただ自己の意識の中だけに深く向けられ
ていた。
その虚ろな横顔は、贄を伝ったマガツヒの溜まりを覗き込む、
――あの日の勇そのままだ。
「……おれもつきあうよ」
食い下がるのもみっともねぇけど、今の勇を一人にしておけない。
「……は?」
「途中まででもいいから。一緒行こうぜ」
何か言いかけた勇は、困惑した顔でちらっと携帯を見た。
「……そうだなぁ。まだ時間あるし。
久々に渋谷でも出るかね」
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