予鈴が鳴った。もうすぐ学校の一日が始まる。



 千晶は予習に余念がない。次の授業は久々の祐子先生だもんな。

黒板には『退院、おめでとう』のヘタな文字。

書いた主は、窓枠に腰掛けたまま、目を閉じてヘッドホンで何か聴いている。

邪魔すると怒るので、おれはマガジンを読むふりをして勇が話しかけるのを待っている。

隣の席の女子がうるさい。





「相手がサー、恋愛対象になるかどーかはネ、自分がその相手とキスするとこ

ソーゾーしてみんだって。

そんでー、キモかったらーソイツとのセックスとかぜってー無理だしー。

 大丈夫ならぁー、カレシにもー、できるってぇ」

「今さー、ソーゾーしてみたけどぉ、ダメ。先輩には悪いけどヤッパキモーい」

 「じゃー断っちゃいなよー。マキならもっといいカレできるってぇー」

 「そっかナー」

 「そーそー」




 そっかー、キスかー……。

 千晶とは無理だな。

 キモいというか、シミュレーションしただけで殺されそうだ。

 祐子先生かー………。

 だめだ。至近距離に入っただけで、顔にアラディア神が貼りつきそう。



 おれは少年マガジンの影からちらっと勇を盗み見た。

何聴いてんだろ。好きなアーティストは尋ねるたびに違う。

流行るうたが出た次の日にはカラオケで歌える、勇はそんなヤツだ。

ちょっとスネたようにきゅっと結んだ唇。

 おれはその唇にキスするとこを想像してみる。

 柔らかいのかな、冷たいのかな。吸魔みたいに味とかすんのかな。

 す、吸っていいのかな。……舌とか?



「イヌノ」



 
勇が急に目を開けたので、おれはもうすげえびっくりした。

ヘッドホンを外しながら勇が手招きする。



「な、なに?」

「パン買ってきて」

「もうHR始まるよ

10分で行ってくりゃ間に合うぜ」

「……やきそばパンでいいのか?」

「あとなんかチョコ系。あ、自販機でマイセンも。スーパーライトな」

「煙草は買わない」

「じゃいいよ。自分のあるから」

「…………」

「急げよ。祐子センセが嘆くよぉ?」



 おれはスーパーダッシュで教室を飛び出した。

 購買はまだ開いてないから、ガッコ前のファミマまで。

 デニッシュが売り切れなので、コロネで我慢してもらう。

 お茶は十六茶。好みを熟知している自分が情けない。

 ちっくしょー。



 代々木公園での一件以来、勇はなんかよそよそしい。

 いや、元々おれに優しいわけじゃないんだけど、なんか前より距離を取ってる感じだ。

 下校も、千晶と三人じゃなきゃ一人でさっさと帰っちまうし、

二人っきりになるチャンスなんて無い。

 当然告るチャンスもあるわけ無い。





 ヒジリさんをこき下ろしたのまだ根に持ってんのかなー。

 あーもー、スネると長いからなぁ。勇は。

 しょうがないから、こうやってご機嫌取りに奔走するわけなんだけど。
















 パシリ慣れの悲しさか、おれは5分で行って帰ってこれた。

 このぶんじゃアイシールドも夢じゃない。

 勇は誰かと携帯で話してて、コンビニ袋を見て軽く手を挙げた。



「――いや、いいッスよ。オモシロそうだし。

 あんま期待されても困るんですけど。

 女子?  ……んー、誘ってみます。

 じゃ、授業始まるんでまた」

「誰?」



 勇が先生以外に敬語使うなんて珍しい。

 部活もやってないから、仲のいい先輩もあまりいないし。



「誰でもいいだろ。パシリごくろうさん」

「教えないと渡さない」



 パンを取ろうとした手首を、おれは握って受けた。

 勇は舌打ちして払いのける。



「アレだよアレ。  ……アヤカシの人」

「ヒジリさん?なんでケータイ知ってんだよ」

「名刺もらってんだよ。あの時」

「へ? おれのときは雑誌だけだっつぅのに……。

 相手見やがって!あのヒゲオヤジ」

「なんだ、オマエもあの雑誌もらったんだ。

 でさ、夏の特集号に、学校の七不思議みたいな特集記事書くんだって。

 なんかね、現役コーコーセーのインタビューしたいらしいよ。

ブランドってヤツだよな、これも。

 オマエ、アヤカシ愛読者だっけ。いいぜ、連れてってやるよ。

 千晶も誘ってさ」

「夏って……今まだ5月なのに」

「結構押してて急ぐんだって。雑誌だから先倒しなんだろ」



 そんなの行かねーよ!って、言ってやりたかったけど、

 勇一人で送り出すのはもっと嫌だ。

 勇とヒジリさんが陰で連絡取り合ってたのもすっげぇムカつく。

 なんだよその展開、聞いてねえよ。ふざけんな。



「なんだよ、デニッシュないの?」



 勇はコンビニ袋を覗き込んで文句を言ってる。



「……ごめん」



 そうじゃない。文句言いたいのはこっちだよ。

 行くな、って、言ってやりたい。いや、言う。



「勇」



「授業始めるわよ。

 みんな席について」



 祐子先生が教室に入ってきて、みんなバラバラと自分の席に戻った。

 勇もコンパクトMDとパンを引っつかんでおれのそばからいなくなる。



「せーの」



「祐子せんせー、おかえりなさーい」



 てんでバラバラの声が祐子先生を迎えた。

 クラッカーまで鳴らしてるのは見るまでもなく勇だ。

 祐子先生はおれのほうを見てウィンクした。



「……色々と迷惑かけてごめんなさい。先生、もう大丈夫だから。



 代休の先生がどこまで進めてくれたかは大体聞きました。

 これから遅れたぶん取り戻すためにみんなでがんばりましょう。

 先生もがんばります。漫画はしまって。

クラッカーも」



 指を差され、勇が頭を掻きながら飛び散った万国旗を拾う。

 みんなが爆笑している。



「これは放課後まで先生が預かります」



 出しっぱなしのコンパクトMDをヘッドホンごと取り上げられ、

勇が嬉しそうに抵抗した。



「センセ、返してくれよ。それ無いとオレ寝ちゃうし」

「だーめ。出しっぱなしの君が悪いの。

 どれどれ、新田くんは何聴いてるのかしら。氷川きよし?」



 祐子先生が蓋を開くと、さっきまで勇が聴いていたはずのそれは、








 からっぽだった。






















back  top  next

トウキョウラバーズ