東 北 ラ バ ー ズ










「海」




 目が覚めて最初に見えたのは、民家の間から辛うじて見える水平線だった。



「起きたか」



 寝入る前と同じようにヒジリさんは淡々と車を走らせていた。

 てらてらと赤く光る550スパイダーレプリカ。

 こんなもんを国道沿いに走らせるのは、若いヤクザかアメリカ帰りのオカルトライター

くらいなもんだ。

ヒジリさんの車じゃなかったら、オレだって十円玉で卑猥なマークくらい刻んだだろう。



「次んとこまだ?」

「日本は縦に長いんだ。勉強になるな、勇」



 オープンカーも左ハンドルもまぁ許すとしても、現実問題として日に焼ける。

 今年の夏はバカみたいに涼しくて、8月に入ってもまだ6月下旬並みの気温が

続いているそうだ。

 それでも紫外線の量が減るわけじゃない。

気を抜くと飛ばされそうになる帽子を鼻の上までずり下げる。




「波高ぇな」

「日本海だからな。それくらいで普通だろう」

「ふーん」

「退屈か?」

「別に」

「事故車なんだよ」

「は?」

「この車だ。二人死んでるらしい。フロントに赤い手形が着くって噂なんだが、

 こう車体が赤いとわかりゃしねえ」

「降りてぇ………」

「はは、信じたか?」

「やめろよそういう冗談!」

「どっこい、実際は逆だ。

 拭いても拭いても手形がつくから、前の持ち主が赤に塗り直したそうだ」

「マジ話かよ!」




 取材はかなりの強行軍で、なんかよくわかんねぇ沼の写真撮ったり、

 同じ話をテクノみたいに繰り返す爺さん相手に根気強くテレコ回したり、

 あちこちを地図で確認しながらヒジリさんはよく動き回っていた。

 オレはというとその間、コケの生えた亀と遊んだり、地元の女子高生ナンパして逃げら

れたり、

 まぁほんといるだけって感じでどう考えても役立たずだった。













「……なんかさぁ」

「どうした?」

「あんま役立ってないよな、オレ」

「いいんだよ勇は。俺の横で笑ってりゃあそれでいいさ」

「お、バカにすんなよヒジリさん。

 
オレだってその気になればなんだってできるさ」

「そうか。

 アテにしてるぜ、ジャック」

「ジャック?

 ジャック=ハンマー?」


 ヒジリさんは片手でハンドルを支えながら煙草を咥えた。


The Music of Chance

「チャン……、なんだって?」

「そういう小説があってな」

「アメリカの?」

「そうだ」



ヒジリさんて過去を語らないわりにはアメリカ被れなんだよな。

 とても指摘できねえけどな。



「すべてを失った男が、20万ドルの遺産を手にアメリカ中を車で駆けずり回る。

 目的もアテも無い旅だ」

「そいつがジャック?」

「まぁ聞け。

 目的は無くても金は減る。

 一万ドルだけを残したところで男はボロボロになった若造を拾うんだ。

 小柄でやせっぽっちで、滑稽なファッションセンスのガキさ」

「いるよな、勘違いしたカッコの奴って」



 煙草を咥えたまま笑って、ヒジリさんは少しむせていた。



「ああ――いるな。

 
そいつの名前がジャック・ポッティ。

 ジャック・ポットの意味はわかるか?」

「メダルゲームで当たりが出るとこだろ?」

「そうだ。“大当たり”って意味だ。

 ジャックは自称ポーカーの天才でな、大勝負をするのに一万ドルの金を欲していた。

 男は最後の金をそいつに賭けることにしたんだ」






 読まない小説のあらすじに大して興味も無かったけど、

 ヒジリさんが退屈しきったオレに気遣ってるのがよくわかったから、

 しゃべる言葉の間を縫って「へえ」とか「ふうん」とか適当に相槌を打っていた。






「その金を元手に、二人でギャンブルで荒稼ぎか。

 いいね、そういうサクセスストーリーは嫌いじゃないぜ」

「逆だ。ボロ負けするんだ。

 男は最後に残った車まで金に代える。

 物語の最後までジャックを見捨てることはない」

「なんだよそりゃ。そいつはホモなのか?」

「いいや、違う。

 男は“望みのないものにしか興味が持てない”んだ」

「意味わかんねぇ」

「おれも読んだ時はそう思ったな」

「学生の頃?」

「そうだ」







 赤信号に引っかかり、子供が老婆に手を引かれて海のほうへ歩いてゆくのを

 オレたちはしばらく黙って眺めていた。



 信号が青に変わると、ヒジリさんは急に気が変わったように道を曲がり、

 海沿いの駐車場にスパイダーを停めた。



「休憩だな」


 そう言って地図を広げる。


「道に迷ったんならさぁ、迷ったって言えよ」

「うるさい。

 勇、なんか飲み物買ってきてくれ」

「うん」



 海岸線まで来ると潮の匂いが強い。

 ゴミと流木だらけの砂浜をざりざりと歩いた。

 海水浴客はまばらで、オレは暇そうな海の家で緑色のラムネを2本買って帰る。

 ごうごうと寄せては返す波を眺めながら、ラムネの片方を振りながら歩いた。



駐車場ではヒジリさんがまだ地図を睨んでいた。



「おお、すまんな」

「最後は?」

「ん?」

「男はジャックを見捨てなかったんだろ。

 二人はどうなったんだ?」



 オレは瓶を間違えないようにヒジリさんに渡す。

 ヒジリさんは目元を緩め、地図の向こう側に視線を泳がせた。





「………どうだったかな。忘れちまったよ」



 その答えで、オレはその物語の最期がなんとなくわかった。





「うわ」



 ビー玉を落とした途端、噴出した炭酸水がヒジリさんの顔を直撃した。



「ハッハッハ、引っかかった引っかかった」

「勇!こいつっ!」



 ヒジリさんはオレの首根っこを掴み、ぐりぐりと帽子の上からゲンコツをくれる。



「――ああ、ちくしょう。機材が濡れたらどうしてくれるんだ」

「ハハッ、悪ぃ悪ぃ。でも目が覚めただろ」

「しょうがねえ悪ガキだな。覚えてろよ」


 汚れたついでに二人で膝まで海に浸かった。

 岩場の陰で、お仕置きと言われて立ちバックでガンガンに掘られ、

オレは膝と肘を擦りむいた。

 文句を垂れると膝の皿にフジツボの生える話で逆に脅された。


 凍えながら海の家の水シャワーをぶっ掛けあい、

 夏休みがこのまま終わらなきゃいいのになぁとぼやくと、



「それはなぁ勇、宿題が終わって無いからそう思うんだ」



 ヒジリさんはオレの膝の傷を洗いながら生真面目に答えた。















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