まぁ実際、タイミングの悪さなんていくらでも重なるもので、

 その日はなんか憑いているんじゃないかと思うほど酷かった。

 実際なんか憑いてたのかもしれないし、順当な流れと思えなくもない。

















 物音に目を覚ましたのはオレが先だった。



 玄関のほうでガチャガチャ音がする。

 今何時だよ煙草でも買いに行ってたのかよと目を擦ると、

 オッサンは同じベッドにマッパで寝てる。



 もしや泥棒かと跳ね起き、ビクつきながら玄関のほうを伺う。

 かろうじて視界に入ったのは勢いよく閉められた扉だけ。

 扉を開けた主は、靴だけを見て帰ったらしい。



「ヒジリさん」

「………う」

「ヒジリさん、起きろよ」

「………おお……」

「誰か来た」

「……今、何時だ?」



 携帯の液晶はAM547

 アラームの設定はまだ掠りもしない。



「……寝たばかりじゃねえか……寝かせろよ、勇」

「誰か来たってば」

「誰もいないぜ」

「出てったんだよ。

 
ここの合鍵持ってる相手だろ」



 ようやくヒジリさんはベッドから抜け出し、裸の上に短パンと色褪せたシャツを羽織る。

 その動きはこちらがイラつくくらいに緩慢だ。



「急げよ。今追いかけたら間に合うんじゃねえの?」

「ん、ああ。

 お前は寝てろ」



 ぼさついた頭でヒジリさんが出てゆく。

 扉の隙間から明けた空が見えた。

 一応走ってゆく足音に、オレは少し安堵していた。



 寝ろと言われて寝直せるわけもなく、

 ベッドから出るのも面倒で枕元のガラムを取る。

 ヒジリさんの煙草だ。


 ベッドに面した窓を少し開き、細い紙巻に火を点す。

 途端にスパイスじみた甘い香りが漂い、オレはごく浅くその煙をふかした。

 指先が冷たくなり、ようやく目が覚めてくる。

 箱に書かれたタール32ミリという小さい文字を繰り返し読んでいると、

 あのオヤジはまるで長生きする気が無いんだなと顔がほころぶ。







 ド修羅場じゃねえか。くだらねえ。







 合鍵まで渡している相手がいるのに、オレみたいなガキを連れ込んでいる場合じゃねえ

 だろうが。


 昨日の香水の印象と、たまにこぼれるヒジリさんの話、こちらがしゃべるまで無言の

携帯。

 そして踏み込みもせずにオレの靴だけ見て帰った引き際に、

 浮かぶ姿は美人だけど神経質なOLってとこか。






責任はオレにあるとばかりに二人を追いかけて、オヤジを庇うなり詰るなりして、

 それを口実に顔を拝みたい気もする。

 逆ギレされて殴られたりするんだろうか。ヒジリさんも少しは慌てた顔するんだろうか。

 もしくはヒジリさんが戻る前にここを出て行き、相手との仲がどうなろうが、

 オレは二度とこの部屋には来ない。

 
それがたぶん正しい選択だ。





様々な“もしも”を想像するのは楽しかったけど、

 実際のところオレは今いるベッドから出てゆくこともできなかった。

 灰を窓の外に落としながら頭を掻いてるだけ。

 この茶番で一番くだらねえのは間違いなくオレだ。








 空は曇り空で、明朝というよりただ薄青い。

 耳を澄ましても罵倒はおろか誰の声も聞こえず、新聞配達のバイクと遠くを走る車の音

しか聞こえなかった。



 デートの次の日の始発で、恋人の部屋を訪ねる女の気持ちを想像しようとしても

うまくいかず、

まとまりめの無い思考は寝る前のセックスから夕べのイヌノの怒りへ遡る。






なんかな。


 経験とか、価値観や性格の違いとかじゃないんだよな。


 他人のベッドで裸で胡坐かいて、

 
自分の愚かさを煙にしか吐き出せ無いオレと、

 その潔癖さでやり方が汚いと罵るあいつとじゃ、

 望む望まないではなく、どうしたって相容れることはないんだろうな。







二本目の煙草が灰になり、三本目を吸おうかどうか迷っていると

 ヒジリさんが一人で帰ってきた。


「お帰り」

「寝てなかったのか」

「ナシついた?」

「ああ、振られたよ」

「そう」



 寝なおす、と言ってベッドに戻ったヒジリさんは、

 火の点いてない煙草をオレから取り上げ不味そうに火を点けた。



「昨日会ってた人だろ」


 とカマ掛けると眉を上げて、


「勇はとぼけたふりして妙に聡いからな、

 時々怖いよ」


 驚くふりだけしてみせた。



「そりゃお互いさま。

 本命ってさ、その人だよな」

「ああ」

「オレがいなきゃ続いてたってわけだ」

「まぁそうだが、

 お互いきっかけを待ってただけかもしれんな。

 終わったことは俺にはわからんよ」



 そう言って、点けたばかりの煙草をもみ消し背を向ける。



 疲れた背中を見ていたら、なんだかこのオヤジがかわいそうに思えてきて、

 オレがいるから元気出しなよ、とか、

 
原因のオレがそんなロクでもないことを言いそうになったけれど、

 無論そんな言葉が出てくるはずもなく、



「……まぁ、振られたモノ同士仲良くやろうぜ」



 やっとそれだけ言って、背中を叩いた。


 その背中がかすかに揺れ、

 
おいおい、さすがに泣いてるオッサンの面倒なんざ見きれねえと驚いて顔を覗き込むと、

 ヒジリさんは笑っていた。



 勇に同情されるとはなぁ」

「お。ムカついた」

「夏休み暇か。どうせ暇なんだろ」

「おお、勉強なんかしねぇよ」

「おい、えばるな。

 盆休み利用して東北に取材行くんだがお前も来るか?

 俺の助手だな。ボランティアだが社会勉強と思え。

 天狗のミイラが見れるかもしれんぞ」



 
表には出さないけど、ヒジリさんが相当弱ってるのは見て取れた。

 ミイラもボランティアも興味はねえけど、まぁいい。



「行く」





























 ヒジリさんが寝付いたのを見届けてから、オレは登校するために部屋を後にした。

 時間は少し早いけど、教室で寝てりゃいいだろう。

 新聞を届けておいてやろうかと共同郵便受けを覗くと、

 紙束の上に銀色の鍵が鈍く光っていた。



 それを見た途端に、淡い親切心は失せ、むき出しの鍵だけ無用心なので、

 後で直接渡すことにしてポケットに入れる。





















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