「勇、バスタオル取ってくれ」




 バスルームの中からヒジリさんが呼ぶ。

 胡座掻いてテレビを観ていたオレはよっこら腰を上げる。




「どこ?」

「洗濯機の上の籠。緑の」

「はいはい」



 言われた通り、グリーンのバスタオルを取った瞬間、

 洗濯機の上に無造作に置かれたヒジリさんの携帯が鳴り出した。

 不安を駆り立てるあの不協和音。

 ディスプレイには知らない名前が点滅している。

 シャワーを浴びているヒジリさんは気付いていないみたいだ。






 ――こいつが、例の。






 友達や仕事仲間の可能性もあるんだけど、

 オレはなんとはなしに恋人じゃないかと疑った。




 他意はなかった。――と、言っておく。

 ただオレは知りたかったんだ。

 ヒジリさんの本命が、男か、女か。

 オッサンに聞けばそりゃ教えてくれるだろうけど、

 そんなことをオレが気にしてると思われたくないし。





 ただ、一声聞いたらわかるんじゃないかと。




 オレはタオルを抱えたまま、ヒジリさんの携帯を開いて耳に当てた。






『…………』






 が、相手は何も言わない。ほんの一瞬の間。

怖くなったオレはすぐに電話を切った。

 苦い罪悪感で胸がつかえる。





 何やってんだろう、オレ。

 つきあってる仲だって、こんなことやっちゃいけないのに。







「……タオル、置いとく」

「すまんな」


 ましてやオレとヒジリさんの間なんて、本当に何も関係ないのに。

























 風呂上りのヒジリさんは鼻歌交じりで冷蔵庫を開ける。

 ようやく一息ついたって感じだ。





「ビール買ってくりゃよかったな」

「あ、オレ行ってくるよ」

「いや、いい。座ってろ勇。それとな」

「何?」

「人の携帯に出るもんじゃないぞ」

「……出てない」

「そうか」





 ヒジリさんは大して言及もせずに、濡れた手でオレを抱き寄せる。

 片手に缶ビール、視線はテレビのつまんねぇバラエティに向けたまま、

やけにねちっこくジーンズ越しに尻をまさぐってくる。




「……風呂」

「ん?」

「オレも風呂入ってくる」

「いいから服脱げ。また下着汚すぞ」

「エロオヤジ」

「お、言ったな」

「うわ!ストップストップ!」





 股座に缶ビールを垂らされそうになって、オレは慌ててジーンズを下ろした。

 下だけ脱ぐのも恥ずかしいから、ぱちぱちとシャツのボタンを外す。





「……勃ってるな」





 テレビを眺めながら、ヒジリさんはオレのナニを擦り上げる。

 オッサンの手練手管にほだされて、オレは言い訳もうまい具合に思いつかず、

 裸の肩に額をくっつけて、上気した顔を見られないようにふんばっていた。



「――勇はいやらしいな。最近のガキはみんなこうなのか」

「ヒジ……リさ……ん」

「なんだ?」

「しゃべると……オヤジ臭ぇから……頼むから黙ってて……くれ……」

「……こう見えても若いんだがな」















 ビール缶が空になり、ヒジリさんの愛撫が本格的になって、

 オレも目の前のセックス以外のことを考えられなくなる。

 さっきの電話の主も、イヌノも、みんなどうでもいいと本気で思った。






「勇、口開けろ」






 ホモへの適性はどうだか知らねぇけど、セックスだけ考えるなら

 女より男相手の受身のほうがよっぽど楽だ。

 次は胸揉んで何分とか、挿入してから何分経ったとかそんなことばっか気にせずに、

 ただ求められるままに言うこと聞けとけばそれで済むんだから。





「ベッド行かねぇのかよ……」





 そろそろ突っこまれる予感で、オレはしゃぶっていたナニから口を離す。

 バラエティはいつのまにか終わってて、ブラウン管ではニュースキャスターが

 裸の男二人に向かって今日の出来事を読み上げていた。





 ヒジリさんはオレの問いに答えずに、クラスメートと親には見せられないポーズに

 オレの足を開く。

 背中も痛いんだけど、ヒジリさんの膝も痛いんじゃねぇかなとか虚ろに考えていると

 またあの不愉快な不協和音。

 ヒジリさんが左手を伸ばして携帯を取る。






「はい、ヒジリです。お世話になってます。

はい……あのページの」





 あられもないオレにあられもない真似を続けながら、ヒジリさんは澄ました声で

 電話に応対していた。

 オレは声を上げないように食いしばりながら、

へぇ、この人も敬語使ったりするんだなぁ、と妙なとこで感心していた。





「はぁ……はい。

 いや、まぁそれじゃ仕方ないですよね。ははは」





 と、ヒジリさんの声が曇り、手が止まる。

 いぶかしがるオレを放置したまま、全裸のオッサンは立ち上がりノートパソコンの

起動を急いだ。



「9時ジャスト。はい。何かあれば、また。

 いや、本当に気にせずに。――失礼します」



 電話を文字通り叩っきりながら、ヒジリさんは胡座を掻いて深い深い溜息をついた。

 オレが馬鹿丁寧にそそり立たせたアレも、今はしょんぼりと主に倣っている。




「悪いな、途中で。そこらへんでマス掻いてろ」

「……仕事?だっせぇ。リテイクでも食らったのかよ」

「それならまだいいんだがなぁ」



 ヒジリさんはもう一度溜息をつき、てきぱきと着る服を漁った。

 オレもいつまでも裸で寝転がっていても仕方ないので、

ベタベタするとこをティッシュで拭い、脱ぎ散らかした服を身につける。



「どっこい没だとさ。公団からクレームがついたらしい。

 まぁ、よくある話だ。明日の朝までに差し替えを用意しなきゃならん」

「はぁ?

 ……何ソレ。ひどくねぇ?」

「すまんな、勇」

「いや、オレのことはどうでもいいんだけどさぁ……」



 オレにはさっぱりだったけど、ヒジリさんがノリノリで書いた記事なのに、

 すげぇ得意そうだったのに、あっさり没かよ。



「……教科書塗り替える前に世に出ないじゃねえか。

一方的でムカつかねえの?ヒジリさんもなんか言い返せばいいのに」

「お前はガキだな……。取引先に八つ当たりしてもしょうがないだろうが。

 向こうには向こうの、あちらさんにはあちらさんの事情がある。

 俺の仕事はまぁ……紙面を埋めていくらだからな」

「………」

「そういうわけで、今夜はお前の相手もしてられん。

 悪ぃな勇。今度埋め合わせてやるから」



 そう言ってあとはデスクに向かい、バイオノートを神経質に叩いている。

 放り出されたオレは欲情を持て余し、というより、

 オッサンの後姿を持て余して、さくっと帰ることができずにいた。




「――あの……さ」

「なんだ」




 不機嫌なヒジリさんの声。

 なんか、手伝えることがあればと思ったけれど、

 考えてみりゃオレにできることなんて何一つない。

 ほんとにオレは、ヒジリさんから見ればなんもできないガキだ。











「………オレさ、ここにいてもいい?

 帰ってもやることないんだ」

「ん。ああ。

邪魔さえしなきゃ好きにしろ。

だがな、待ってたところでいつになるかわからんぞ」









 ヒジリさんはどこかに電話を掛けて素材がどうこうと打ち合わせ始めた。

 オレは少しほっとしてそれから、

ベッドの上で膝を抱えて、鞄から取り出したGBAをピコペコ弄ぶ。



「勇」

「なに」

「音、もうちょっと下げろ」

「うん」




 電話を切ったヒジリさんに言われてゲームの音を消す。

 ヒジリさんは煙草をふかしながら思い出したように、




「勇は、彼氏とうまくいってないのか」



 などと言い出す。



「はぁ? カレシって?」

「いつぞやの小僧」

「ああ、アイツね。だめになった。

ヒジリさん、人の話聞いてねえだろ」

「はは、悪ぃ悪ぃ」





 ヒジリさんはそれきり黙って、あとはキーボードを叩く音。
























 結局ヒジリさんの仕事が終わったのは明け方で、

 その頃にはオレはすっかり丸まって眠り込んでいた。
















                                                      東 京 ラ バ ー ス





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