「よう、小僧。久しぶりだな」

「……わざわざこっちまで出なくても、オレがそっち行ったのに」





 20分後きっかり、ヒジリさんはひどく上機嫌でオレの前に現れた。

 カウンター席に並ぶと、男前は相変わらずだけど、伸びた髭と目の下の隈がはっきりと

わかる。ハードな生活してたんだな。





「ずっと篭りっきりだと気が滅入るもんだ。

 外で飲みたかったからな、ちょうどいい」

 ……どうした、元気ないな」

「いや普通だよオレは。てか、ヒジリさん酒入ってる?」

「ビール一杯なんて飲んだうち入らんよ。仕事上がりのビールが格別でな。

 いや、長かった長かった」






 なんでもでかい仕事のヤマがやっと終わったらしい。

 電話出れなくて悪ぃと、気に掛けてくれたのが嬉しかった。

 あんま腹減ってないオレの横で、ヒジリさんは改めてバリバリ食って飲み始めている。



「カノジョ元気?あ、カレシだっけ」

「あぁ、元気じゃないのか?」

「仕事終わって真っ先だったら、普通そっちに行くだろ。

 なんでわざわざオレなんだよ」



 ヒジリさんはジョッキを傾けながら、ちょっとだけ渋い顔をした。



「胃が弱ってるようだな。酒が回る」

「あんま飲まないほうがいいんじゃねえの?」

「仕事柄休みが合わなくてな、なかなか。

 なんだ勇、俺の相手が不満か?」

「不満とかじゃなくて……」

「今回の記事はでかいぞ。

 将門伝説のな……。勇、平将門は知ってるな?」

「なんとなく」

「新解釈でな、学者は見向きもしないだろうが……。

 まぁ、オカルトってのは概してそういうもんだ。

 皇居がここにあるだろ。で、首塚だ」



 ヒジリさんはプロントの紙ナプキンにボールペンでごちゃごちゃと地図を書き始めた。

 オレにとっちゃ本格的にどうでもいい話だったけれど、

 得意げに話すヒジリさんが楽しそうなので、適当に相槌を打っておく。



「龍脈がこう通って……ここで魔方陣を解くヤツは五万といるが

 俺はもう少し外側に円を取る。キーはここだ。武蔵野境」

「ふんふん」





 いつになく上機嫌なオッサンを見ているのは楽しかった。

 好きなことを仕事にしてるんだな、と微笑ましくなる。





「で、戸来村だ。つまり公の右足の小指はここに眠っているはずだ。

 裏付けの資料が集まればなぁ……歴史の教科書が書き変わるんだが。

 どうだ勇、わかったか?」

「全然わかんねぇ」



 紙ナプキンに書いた地図をくしゃくしゃと丸め、ヒジリさんはがっかりと煙草に火を

点けた。



「……勇はオカルトとか、あんまり興味無いか」

「テレビくらい観るけど」

「ありゃやらせばかりだ。

俺がお前くらいの歳だったころは、コリン=ウィルソンなんぞを貪り読んだものだがな」

「あの、焚き火にあたりながらハム齧る人?」

「それはC.W.ニコルだ……」

「よくわかんなかったけどさ、ヒジリさんの話面白かったぜ。

 本になるの楽しみだよ」



 ありがとよ、とヒジリさんはオレの頭をぽんぽんと叩いた。



「勇は何に興味あるんだ?

 最近の高校生の趣味なんかわからんよ、俺には」

「オレ? うーん、そうだなぁ。

 やっぱ服とか?」

「なんだそりゃ。女の子みたいだな」

「ムカつくこと言うなぁ、ヒジリさん。

 今はそういうの男も女も関係ねえよ。

 やっぱオシャレと思われたいし。カッコイイ服着こなしたいだろ。

……なんで笑ってんだよ」

「いや、悪ぃ悪ぃ。

 ああ、お前はオシャレだよ」

「…………なんかトゲのある言い方だよな」



 ヒジリさんが何度目かのあくびを噛み殺す。

 疲れてるんだろうな。

 オレみたいなガキ相手に浮かれてないで帰って寝りゃいいのに。



「どうせオレといても退屈なんだろ。

 さっさと帰れよ、もう」

「なに、一発やる元気はあるぜ」



 そう言ってオレの尻をいやらしく撫で回す。

食欲満ちたら早速性欲かよ。

 ほんとにわかりやすいオヤジだよな。



「んーだよ!そういうのはつきあってる相手にやれよな」

「おまえに会いに来たってのに、ずいぶんと冷たいんだな」

「一ヶ月も連絡なしでよく言うぜ」

「なんだ拗ねてるのか、勇」

「……いいからもう出ようよ。これ以上飲まれたら、オレも面倒見切れねーよ」



 公衆の面前でセクハラされてはたまらないので、オレはオヤジの腕を引っ張って

さっさと店を出た。

 とりあえずタクシーを拾える通りまで、と思ったらオッサンの傘が無い。


「……ヒジリさん、傘は?」

「帽子があるしな。来るときもタクシーだったからなぁ」

「肩濡れたら意味ねぇだろ。身体弱ってんのに無理すんなよな。

 もう歳なんだからさぁ」





 ああ、もう。

何が悲しくてオヤジと相合傘しなきゃならねぇんだよ。

オレは腕を伸ばして、傘をヒジリさんに傾けた。

大の男二人で差すには小さいけど、まぁ贅沢言ってらんない。



 てか、頼むぜ。あいつらもう帰ったよな。

クラスメートにこんなとこ見られたら、今度はどんなホラ吹けばいいか想像つかねぇぜ。





「まさか高校生と相合傘とはな」





 ヒジリさんはオレの気苦労をよそにまんざらでもない様子だ。

 数メートル歩かないうちに傘がひょっと取り上げられ、



「濡れてるぞ」


 と肩を抱かれた。


「みっともねえよ。離してくれよ、ヒジリさん」

「短い距離だ。気にするな」


 傘を手放した左手が手持ち無沙汰で、仕方なくヒジリさんのジャケットの端を握る。



「濡れてるのは、肩だけじゃないかもしれんな」



 ヒジリさんが嬉しそうに囁く。












 本当にオヤジだ……この人。










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