おれのタンスの一番下に、勝負下着が眠っている。
『童貞なのはしょうがねぇとしても、勝負パンツくらい持っとけ』
と、頼んでもないのに勇が選んでくれた黒のボクサーズトランクス。
ナントカというブランドらしいけどすっかり忘れた。
最初は『これなんかいいんじゃないか?』と冗談で差し出された紫のビキニパンツを
うっかり買いそうになった。(ヒョウ柄との二択だった)
『オマエがこれ履くのって、どういうときなんだろうな』
しみじみ言った勇もまさか、自分が勝負を受ける側だとは思っていなかったんだろう。
もし仲魔が今もいたのならば、封も開けずタンスの肥やしになっているあの下着を、
誰かに持ってきてもらいたい。ユルングでいいから。
「私のマニ車で何をしているのかね……」
熱心にマニ車を回していると、いつのまにか後ろに黒いバスローブ姿の氷川さんが立って
いた。
「いや、ちょっと失敗すると怖いんで、セーブしておこうと思ったので」
「意味がわからん。来たまえ」
氷川さんに促され、おれはアマラ車を回す手を止めてベッドサイドに正座した。
ベッドサイドのブランデーグラスには、氷川さんが注いでくれたファンタグレープが泡立って
いる。
氷川さんの寝室は、アマラ車以外は本当にテレビドラマに出てくるようなアーバンな部屋で、
おれは祐子先生の時とはまた別の種類の緊張に硬くなっていた。
「よろしくお願いします!」
おれは深々と頭を下げ、そのまま固まった。
衣擦れの音が聴こえる。
恐る恐る顔を上げると、胸元をややはだけた氷川さんが眉間に皺を寄せて横たわっていた。
白い肌が覗いて覗いて覗いて覗いて覗いていた。
細い。
スーツを脱いでも細い腕が、ゆっくりとおれを差し招く。
おれはじりじりと膝歩きで近づいた。氷川さんはいい匂いがした。
「……童貞のため、一度は通報した者の元へおもむくか」
すっと、腰紐が解かれ、肩があらわになる。
嫌味を言われているのか冷やかされているのか、氷川さんの肌に釘付けのおれはうまいこと返
事もできなかった。
おそるおそる右手を肌に這わすと、しっとりとした感触が指先から伝わった。
味わうまもなく氷川さんがその右手を掴む。
「さ、触っちゃいけなかったですか!」
「そういえば……怪我をしていたのだな」
すっかり自分の手のことを忘れていた。
包帯はまだ取れてないけど、あの時の怪我はほとんど治っていた。
少なくとも骨は平気だ。
「大丈夫です。これくらい」
「無理をしてはいけない。右手を使うこと……これを禁ず……」
氷川さんはそう言っておれの右手にくちづけた。
いつぞやはこれを無視してえらい目にあった。
まさか死にはしないと思うけど、おれはおとなしく右手を引っ込める。
代わりに左手で襟元を押さえ、白く細い首にキスをした。
『とりあえず、落ち着くんだぞ』
勇のレクチャーが脳裏に蘇る。
『がっつく男ってのが一番嫌われるからな。
落ち着いて、自分のペースで進めればオーケー。
初めてだからって何も恥かしいことなんかないんだぜ』
屋上で勇が教えてくれた言葉は、数学の公式より深くおれの心に刻み込まれた。
勇もまさかその時は、自分ががっつかれる側だとは思っていなかったんだろう。
やめよう。
勇のことを考えるとほとほと胸がつまる。
おれは目の前の氷川さんだけを思った。
薄い胸の溝を舌でなぞりながら上目遣いで表情を伺うと、髪の毛一筋乱さずおれを冷たく見下
ろしている。
勇とはまた違う、大人の色気ってやつだ。
この取り澄ました表情を、なんとか突き崩してしまいたいという征服欲みたいなものが
めらめらと胸のうちに湧き上がってくる。
「君……」
「す、すみませんっ!童貞の分際で妄想が過ぎました!」
「眼差しに……遠慮がないな……。遊戯を続けよう。
視線……これを禁ず」
ふっと、白い掌がおれの目を覆った。
やや遅れてベッドランプが消される音がする。
おれの視界は暗闇に閉ざされた。
別に頭髪をじっと見ていたわけじゃないのに、ちょっぴり残念だったけど、そんなことで
欲望の火が収まるわけもない。
短パンの中でおれのマガタマは今まさに暴れんとしていた。
これは……好きなようにさせちゃっていいんだろうか。
「っ!?」
「若いな……」
暗くなった分大胆になったのか、氷川さんがズボンの上からおれのオベリスクを握り込んだ。
「不意打ちは卑怯っすよ……」
「気にせずともよい。続けるがいい」
ピチピチの短パンを下着ごと器用に脱がされ、アホみたいに勃ち上がった塔が外気に触れる。
……やっぱり明かり消されていてよかったのかも。
「ひ、氷川さんっ!」
がばりと抱きつき、肩に顔を埋めようとしてベッドの角に頭をぶつけた。
めげずにおれは不自由な左手で氷川さんの膝を割る。
すべすべの内腿をまさぐると微かにため息が聞こえた気がした。
単におれが重くて身じろぎしただけかもしれないけどそんなことを考える余裕もなく
おれは帯を抜いて乳首は乳首は一体どこなんだ。むしゃぶりついた。
童貞を禁じられたらおれとしては打つ手がない。
なんとかその前に勝負をつけようと指を奥へ奥へと進め――
「やめたまえ」
静かに、でも意思の篭った声で制止され、おれは反射的に身を離した。
「す、すみませんっ!痛かったですか?」
「……いや」
氷川さんはそれきり黙った。
暗闇に慣れてきた目に見えてきたのは、ひどく辛そうに掌で顔を押さえてる氷川さんの
姿だった。
何が悪かったのかわからないけど、おれはとりあえず短パンを履き直して正座した。
「……もう、やめておこう。
こんなことをするべきではなかった」
「すみません」
「……君が悪いわけではない。
君のような少年相手に何を私は…………」
「おれが童貞切りたがったばっかに」
「違う。私は君を利用しようとしていただけだ……
悪いのは君ではない」
おれが会えるかわかんない勇を渋谷で待っていたように、
氷川さんも何かあったのかもしれない。
感情があまり顔に出ない人だからよくわからないけど、氷川さんもおれと同じように淋し
かったのかもしれない。
じゃなきゃそんな気まぐれに、大して面識もない男子高校生の相手をしようだなんて思う
わけないか。
おれは自分のことでいっぱいいっぱいだったから、そんなことを微塵も考えずに、甘えら
れるだけ甘えようとしていたわけで、なんだか自分が情けなくなってきた。
「おれがもし大人だったら、使わなくていいはずの気を使わせてしまってすみません」
「………」
「おれみたいなガキに言われるのもアレかもしれませんけど、
氷川さんはもっと感情を表に出していいと思うんです。
腹立ったらムカついたって言えばいいし、淋しかったら淋しいって言ってください。
おれ、バカだからよくわかんないんです。言われないと」
「…………」
「感情ってそんなに悪いもんじゃないと、おれ、思うんですよ。
さっき氷川さんと抱き合って、すっげぇドキドキしました。
なんつーか、いいドキドキでした。好きなドキドキです」
「………君は」
「はい?」
「……一見、不器用そうに見えて……ツボを突くのがうまい。
すべて計算かね……?」
「……そんな計算できるなら、今頃たぶん童貞じゃないかと」
氷川さんがちょっとだけ笑った――気がした。
「続きは、君が大人になってからだな」
「最後に……抱きしめてもいいですか?」
「……よかろう」
おれはぎゅっと氷川さんの肩に腕を回した。
おれにも、氷川さんにも、もうちょっとだけ元気が出ますように。
氷川さんの肩は、最初に病院で見た時よりもずっと細い感触だった。
「……若いな」
「………すみません」
おれのマガタマは相変わらず元気いっぱいで、氷川さんは呆れながらも最後は手で抜いてく
れた。
オナニーも満足にできなかったせいでそりゃあもうものすごい速さボーナスだったけれど、
生まれて初めて他人に触れてもらった。おれにとっては偉大な月への第一歩だ。
ありがとう氷川さん。
小林イヌノ17歳。昨日よりちょっとだけ大人になった気分です。