「勇くん」



 廊下で千晶に呼び止められる。



「なに?」

「意識調査のプリント、祐子先生から預かっているの。

イヌノくんに渡してきてよ」



 プリントが差し出され、オレは少し考えてからそれを受け取った。



「いいぜ。オレも用があったし。

どこにいんの、あいつ」

「さぁ。部活じゃない?」

「……悪いな千晶。気ぃ使わせて。

 でもほんと、オレたちのこと気にしなくていいから」

「別に気にしてないわ。

 イヌノくんはどうでもいいんだけど、進路とかちゃんと考えなさいね。

 このままじゃあんたたち、未来の負け組なんだから」






















        東京 ラバーズ




























 校庭のアジサイが青い花をほころばせている。

 空にはじっとりと重い、今にも振り出しそうな雲。

 もうそんな季節かよ。またテストとか、たりぃなぁ。



 おれはため息をつきながら手元のプリントを見た。

 進路ねぇ。

 考えなきゃだめなもんかね。そうだよなぁ。

 いつまでもこのままじゃいられないもんな。








 校庭を走り回る体操服にイヌノの姿は無く、

 三年の言葉どおりに体育倉庫の裏にいた。

 ジャージ姿で、一人でスターティングブロックを分解掃除している。



「よぉ」



 声を掛けると大げさに雑巾を落とした。

 腰が思いっきり引けている。まぁ、口利くのほんっと久しぶりだもんな。



「そうビクつくなよ」

「………うん」



 頷くイヌノは目を合わさない。

 しゃがみこんだまま器具をガチャガチャと組み合わせていた。



「走らねぇの?」

「しばらく部活出てなかったから、ワビ兼ねて手入れしてるんだ」

「オマエほんっとお人よしだよな。そんなの一年にやらせりゃいいのに」


 横に座ると、イヌノは一瞬手を止めた。


「うん」と「ああ」が混じった言葉をもぐもぐさせて、ぎゅっと口元を食いしばっている。


 やりにくい。




「これさ、千晶から預かってんだ。

 意識調査だってさ」



 プリントを手渡すと、ようやく顔をこっちに向けた。

 至近距離であの遠慮の無い視線を向けられ、オレのほうが恥かしくなる。




「……サンキュ」

「あとさ」


 ポケットに突っ込んだ手が無意識に煙草を探る。

 また怒られっから吸わないけど、落ち着かない。


「こないだの返事、まだしてないよな」

「こないだって……」

「………オマエ、告ったのもう忘れたのかよ」



 イヌノはきょとんと呆けている。




「………ヘンタイって」

「は?」

「変態って……あれ、返事じゃないのか」

「あれ?オレそんなこと言ったっけか?」



 あー。そういえばそんなこと言ったかもなぁ。

土壇場で何言ったかなんていちいち覚えてないけど。



「で、でもアレだぜ。アレはオマエが悪い。

 急に……キスしようとするからだぜ」

「うん。……ごめん」

「別に謝んなくていいから」



 ああもう、恥かしいな。こういう空気ニガテなんだよな。

 オレはしゃがんだまま俯いて頭を掻いた。



「――別にさ、オレはオマエのこと嫌いじゃないし」

「……嫌われたかと思った。

 もう、話してくれないかと、ずっと」

「オマエ、なんでもかんでも急ぎすぎなんだよ」

「ごめん」

「謝んなくていいから」


 イヌノは黙ってる。

 ちらっと顔を上げると、もうアホみたいな、すげえキラキラした目でこっちを見てた。

 期待の篭った眼差しすぎて、オレのほうが恥かしくなる。






 オレ、こいつとつきあうのか。

 でもま、そのために身ぃ張ったんだもんな。

「あの、さ」

 声が掠れた。

 イヌノはオレに手を伸ばそうとして、自分の手が真っ黒なことに気付いてジャージで

ごしごしと拭う。



 その目が――苦手なんだよな。

宝物見るような、大切なものをいたわるような真っ直ぐな眼差し。

やめてくれよ。オレはそんな大層なもんじゃないって叫び出したくなる。

こいつと寝るのかな。ヒジリさんがしたことを、同じことをこいつも。



「勇」



 そしたらでも初めてじゃないってバレんじゃないか?

 やだな。またあんなこと言われんのかよ。こいつに。












「オレさ、ヒジリさんとヤったんだわ」



 イヌノの手が、オレの手に触れる前に言ってやった。

 やべえとは思ったけど、言葉は止まらなかった。

 初めてじゃないとか、そんなことで傷つけんなら先に言わないと。

 もうあんなこと言われるのもやだし。



「男同士ってどんなもんかなとか思ったんだけど、

 やればなんとかなるって感じ?ハハハ。

 ヒジリさんのアレでかくってさぁ、こーんなだぜ?」






 だからさ、オレはそんなキラキラした目で見られるような奴じゃないって。






「マジで裂けるかと思ったけど、『初めてじゃないんだろ』とか言われてさぁ。

 なんかね、適性あるらしいよ。ハハッ、くだらねえ」




 笑ってるのはオレだけだった。

 まぁ、いつでもそんな感じだったけど。



「だからオマエもやりたいんだったら、ケツくらいいつでも貸してやるよ。

 どうせ溜まってんだろ。

 あ、でもオマエひょっとして掘られるほう希望?

 まぁ、どっちでもいいけど。オレはね」







イヌノは最後まで聞かなかった。


 青い顔で立ち上がり、オレに背を向けてすたすたと歩き出す。







「――帰るのか?…………まっ、勝手にすれば?」




 固まった笑顔のまま、オレを置き去りにする背中に声をぶつけた。

 返事の代わりにイヌノは体育倉庫の壁を殴った。

 鈍い音でコンクリの壁が揺れる。

 まるでその壁を破壊できると信じて疑わないような、力の篭った拳。

 当然潰れたのは手のほうで、イヌノは痛そうに腕を抱え校庭へ出ていった。









 あとに取り残されたのはオレと、バラけたまんまのスターティングブロック。

 壁には薄くの跡が引かれていた。



















 結局――



 振られたのは、オレのほうか。
























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