『……以上、調布市大河ドラマ新撰組まちおこし実行委員会提供による

 ハナビリュージョンでした……』








 花火大会も佳境を過ぎ、あとはナイアガラと大トリを残すだけのようだ。







「カキ氷買ってくるぅ〜」



 女子二人が何やら連れ立ってシートから離れた。

 どうもこの後どうするかという打ち合わせらしい。

 それにしてもなぜカハ子(仮)の浴衣はあんなに短いんだろう。



「混んでるから気をつけろよー」



 にこやかに手を振っていた勇は、女子が見えなくなった途端に

 いつものつまんなそうな表情に戻り、まばらに花火が上がる空を黙って眺めていた。

 おれは光に照らされるその横顔をちらちらと盗み見る。







「………」







 勇の口元が何事か呟いたけど聞こえない。

 おれは慌てて女子二人分が消えたスペースをにじり寄った。



「な、なに?」

「……オマエって女に冷たいのな」



 なんだ、そんな話か。



「おれが女に冷たいんじゃない。女がおれに冷たいんだ」



 絶対零度より冷たい千晶の眼差しと、

 およそ身勝手な祐子先生の言動を思い浮かべながらおれは答えた。



 大体『おれは女は殴らねえ』なんてかっこいいこと言い出してたら、

 あのボルテクス界生き延びることとか絶対無理だったしなぁ。



「なぁ、このまま消えないか?

 ……その様子じゃ、勇だって別に楽しくて相手してるわけじゃないんだろ?」

「お前、本当に気づいてなかったのか?」

「何が?」

「マック」

「へ?」



 勇は膝を抱えて、なぜだかこちらを責める口調だ。



「あの二人、いつも学校帰りのマックでオマエのことずーっと見てたぜ。

 立川から定期も利かないのにわざわざ来てさ。

 ――本当に毎日毎日。飽きもしねえでさ」

「え、なんでわざわざ。

 立川って遠いじゃん」



 勇は舌打ちして頭を掻いた。



「オマエに惚れてるからに決まってるだろ」

「はぁ?」



 そんなこと言われてもピンと来ない。



「え、モリ子(仮)たちと話したの、こないだナンパの時が初めてだぜ」

「モリ子って誰だよ」

「でかいほう」

「……去年の秋の陸上大会あっただろ。お前の最後の大会」

「ああ、秋の新人戦な」

「その予選に見学来てたらしいんだわ。あの子ら。

 そんでオマエに一目ぼれしたわけよ」

「だっておれ予選落ちだぜ?

 それ見て惚れるとか、ありえねえだろそんなの」

「みっともなく転んでも、最後まで諦めないで一所懸命走ってた。

 ビリだったけど、カッコよかった」

「…………」

「って、言ってた」

「………はぁ」

「それで学校調べて、イヌノのこと追っかけてたけど、

 いつ見てもオレと一緒だからさ、こりゃ彼女いないんじゃないかなーと……」

「メールで告った」

「そ」

「くっだらねえ」

「………」







 今度はおれがため息をつく番だった。

 なんでそんなことで引っ掻き回されなきゃいけないんだよ。

 大体、勇はどうして







「……つきあってるって言えばいいのに」

「ハッ。言えるかっての」

「……あの女子がおれのこと好きな理由はわかったよ。

 でも勇がそれを手助けする理由とかわかんねえ」



 本当に別れたいんだったら、回りくどいことしないではっきり言えばいいのに。

 あ、言ってんのか?あれ?



「……だってさイヌノ、わかるだろ」

「何がだよ」





「お前にはわかんねえか。

 好きな人がさ、自分に声掛けてくれるのずっと待ってる気持ちとか、

 オケ屋で二人っきりになれたのに、何話していいのかわからなくて

 歌ってばっかだとか。

 自分も友達と同じ相手が好きなのに、言い出せなくて応援に回る気持ちとか」









 カハ子(仮)たちはまだ戻らない。

 本当は帰ってきているのに、話し込むおれたちの間に入れないだけなのか。





「……それで、声かけたのか」

「…………」

「……勇さぁ」

「………なに」

「そんなに――」







 人のことばっか気にしてしんどくないのか?

 と、バカな質問をしかけて、やめた。







 連尺が打ち上げられてうるさかったせいもあるけど、

 勇が何をしようとしていたのか、一年半で忘れかけていたそれを思い出していた。





 勇の望んだ不確実さの正体は、

人間同士が断絶した世界を望んだことではなく、

 他人と切り離されなければ、自分の望む通りには生きられないと思ってしまったことだ。







「それで、勇はいいのか?」







 おれは質問を変えた。

 花火がうるさいので、勇の耳にほとんど口をつけるように囁いた。



「それでおれが、お前と別れてあの女子のどっちかとつきあっても、

 勇はそれでいいんだな?」



 勇は口をぎゅっと結んで、それから







「オマエの好きにすればいいさ」







 花火にも耳を塞いで、抱えた膝の間に顔を埋めた。





 確かに意地悪な気持ちになっていたかもしれない。

 何を期待していたというわけじゃないはずなのに、おれは明らかに落胆していた。







「わかったよ」







『――ダックス株式会社提供による百連発でした――続いては』





 酷く割れた耳障りなアナウンスが、大会の終わりが近づいたことを告げる。

 カハ子(仮)とモリ子(仮)はやっぱり待っていた。



 おれたちのシートから少し離れて、潰れそうなバラック、パイプ椅子で酒を飲む

 見物客の影でこちらを伺っていた。

 振り返ったおれと目が合ったので、ちょうど今来たと言わんばかりに

 笑顔を浮かべて戻ってくる。

 勇と同じ笑顔だ。



どこか上っ面だけど、たぶんそれは彼女たちなりの誠実さだ。





「もう超混みでぇ!なんかぁ、何がいいのか訊き忘れたからぁ。

 適当に買ってきたけどぉ」


「好きにするから見てろよ!」




 勇を怒鳴りつけ、おれは戻ってきたモリ子(仮)に立ち向かった。

 初めて巨体の真正面に立ち、そして直角に頭を下げた。

 モリ子(仮)がフガフガと怯えている。



「返事とか書かなくてマジすんません!

 モリ子(仮)さんの気持ちは嬉しいけど」




 大トリを飾るナイアガラが視界の端、河川向こうに光のうねりを作っていた。

 見物客からは最後の大歓声。

 その音に負けじとおれは声を張り上げた。



「すみません!

 世界一好きな人がいるんで、

 モリ子(仮)さんとはつきあえません!

 そいつはおれのことあんま好きじゃないかもしれないけど、

 おれはそいつがすっげぇ好きです!!!」













 ナイアガラが終わるまで、おれは頭を下げていた。

 鈍いおれにできるワビなんてあとは土下座くらいだ。

 もういいかな、と、顔を上げた途端に思いっきり頬をはたかれた。







「……告り蹴るのはともかく、名前間違えるとかサイッテー!」



 カハ子(仮)が泣き出しそうなモリ子(仮)の前に立ちふさがって

 おれにもう一発ビンタを喰らわせようと右手を上げていた。それを止めるモリ子(仮)。



 ああ、悪魔もヒトも、どこの世界でもアホみたく友達想いだ。



「ごめんね。ごめんね。

 アヤカももういいからさぁ〜」


「トモミぃ〜泣くなよぉ〜〜」

「あたしほらデブだしさぁ、絶対ダメだと思ってたからぜんぜんいいんだぁ〜。

 ほんっと気にしないでねぇ〜。

 今日はごべんねぇ〜〜ありまとねぇ〜〜」




 ぐずりながらどたどたとモリ子(仮)が走り去り、カハ子(仮)がそれを追いかけて

 行く。

 さすがに胸が痛んだけど、頬がそれ以上に痛い。





 正面の見物客が何事かと見送っていたけれど、すぐに視線を頭上に戻した。

 銀色の大輪が空いっぱいと川面に映り、長く尾を引いて裾にまた光を散らしていた。

 勇が膝を抱えたままそれを見上げていた。

 おれは距離を縮めてその横に座る。





「……いい子だったな。二人とも」

「そう言っただろ」














 花火大会を終える割れたアナウンスが響いても、おれたちは動かなかった。

 二人並んで、煙だけが残る夜空を、さもなければ重くうねる川面を、

 黙って眺めていた。























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