で、花火大会当日。
素麺を啜っていたら時間を忘れ、待ち合わせの多摩川に着いた頃には
約束時間を十五分ほど過ぎていた。
『遅いー。 遅すぎるぞイヌノ』
いつものようにメールで怒られ、勇の居場所を確認すると、
打ち上げ地点からほど近い、多摩川を挟んで反対側、
やたら見晴らしのいい場所にレインボーのビニールシートを敷いて座り込んでいた。
訊けば、待ち合わせより三十分も早くに来て場所取りをしていたらしい。
「なんか……手回しいいな」
「どうせならいい場所で見たいだろ」
おれとのデートのためにそんな根回ししてくれるなんて……。
思いがけない勇の優しさに触れ、おれはすっかり花火なんてどうでもよくなり、
もうこの場を放棄してホテルにでも行かないかと言い出したくなった。
「勇、ホテ………」
「あー!ここだぁ!」
「えー、超場所いいじゃ〜ん」
「よっす」
賑やかな女の声が急に降ってきて、まさかと見やればそのまさか、
あの鬼うるさいカハ子(仮)とフォーモリ子(仮)のデュオが派手な浴衣姿で現れた。
「こ、小林くんおひさしぶり〜」
「ギャハハハハ!あんた来てんじゃん!!
ホテって何ぃ?」
我が物顔でビニールシートに座り込むフォーモリ子(仮)は藍染に朝顔柄の浴衣、
カハク子(仮)は膝丈の真っ赤なアロハ柄の浴衣を着ていて、
ますます悪魔にしか見えなくなってくる。
なぜだかモリ子は異様にはにかんでいて、カハ子の後ろにそのでかい図体を隠していた。
ていうか、
ていうか、
どういうことなんだ。
「ホテ……ホテトフライ買ってくる」
「なんかさ、飲む物も買ってこいよ。オレ炭酸系ね」
「お前も来るんだよ、勇!」
ビニールシートを女子たちに任せて、おれは勇の腕を掴んで立ち上がった。
通路沿いで店開きを始めている屋台の間を縫い、コンクリで固められた川端、
カハ子(仮)たちが完全見えなくなってから改めて勇に詰め寄る。
「どういうことなんだよ!」
あの様子は、偶然通りかかったというわけじゃない。
ということは、教えたのはこいつしかいないわけだ。
「……説明しとこうと思ったんだけど、
オマエ来るの遅いし」
勇はバツの悪い顔で目線を反らす。
「……そもそも、あいつらが来る理由がわかんないんだけど」
「Wデート」
「はぁ?」
「いやね、Wデートしようって誘われてて、ほら、試験前に電話しただろ?
でもさぁ、さすがにそれもどうかなぁと思ってあん時は断ったんだけど」
あん時ってあれか。
電話全然通じなかったこないだの日。
ていうことは、あの長電話の相手もあいつらのどっちかってことか。
「じゃあなんでいるんだ?」
「イヌノと二人で花火行くっつったら、来たいっていうんだよね」
「なんで言うんだよ?
てか、なんで連絡取ってるの?」
「はぁ?オマエが悪いんだろうが」
え?おれが悪いのか?
「……なんで返事しないんだよ」
「返事? なんの?」
「メール」
「メール?」
なんのことかさっぱり判らなかったが、要はモリ子から来た、
あの解読不能メールのことを差しているらしい。
「……いや、なんか文字化けしてて読めないんだけど」
「見せろ」
おれのポケットから勝手に携帯を抜き出し、取り返そうともがくおれの顔を押さえて、
勇は慣れた手つきでメール履歴をチェックし始めた。
「ちょっ……人の携帯勝手に見るなよ!」
「なんだよ。後ろめたいことでもあるのか?」
大アリだ。
メールフォルダはともかく、画像フォルダは勇の画像ばっかりで、
しかも、隠し撮りしたあられもない寝姿が満載だった。
バレたらメチャクチャ怒られるに決まってる。てか殺される。
「おい、返せってば!」
「『ヤッホー★今日も暑いね。元気?……』」
「なに?そんな普通のアイサツ書いてあんのか?それ」
「こんなの普通に読めるだろ」
驚いたことに、文字化けとばかり思ってたメールを、勇はすらすらと読み上げた。
おれから見れば、ターミナルを解読するヒジリさん以上の快挙だ。
「『……ところで小林くんは彼女いますか?
もしいないなら立候補したい!』」
「やめろよ、勇。改めて言われると照れるじゃんか」
「オレじゃねえよ。メール」
目の前に突き出されたメールは、やっぱり文字化けているようにしか見えなかった。
「ほら、どう見たって告りメールだろ」
「そうなのか!?」
驚くおれを見て勇は頭を抱え、大げさにため息をついてみせる。
「……なんだよ。オレはてっきり……」
「え?」
「いや、いいけど。
……ていうかさぁ、返事くらい出してやれよ。
オレ、ずっと相談受けてたんだよ。
トモミちゃんが告白したけど返事が無いって」
「トモミちゃん?」
「巨乳のほう」
ああ……モリ子(仮)か……。そんな可愛い系の名前だったんだ……。
「巨乳か……。物は言い様だな……」
「で、アヤカちゃんが心配して、なんとかお前とくっつけようって」
「アヤカちゃん?」
「ちょっとマンバ入ってるほう」
ああ……カハクの方か……。
そんで勇とこそこそしてたのか。
「オマエ、本当に名前も覚えてないのな……」
勇は呆れ顔だ。
そんな見ず知らずの女子の名前なんて覚えれらんねぇっつうの。
モリ子(仮)がキラキラとはにかんでいた理由が判っても、
おれの怒りはまだまだ収まらなかった。
「大体さぁ、そんな大切なメールだったら、普通に寄越せばいいだろ。
おれにはこんな若者文化大成功メール読めないって」
「照れ臭いから、読み難いように書いちゃうんだろ。逃げ打ってんだよ」
「……わっかんねぇ」
「……まぁ、オマエにはわからんだろうな」
わからないのは、モリ子(仮)の微妙な女心じゃなくて、勇だ。
なんでそんな見ず知らずの女子の面倒まで見なきゃいけないんだ。
こないだ言ってた通り、勇はおれがあの女とつきあったほうがいいと
思ってるんだろうか。
そんな回りくどいやり方してまで、やっぱりおれと別れたいのかな。
おれと別れたら、カハ子(仮)とつきあうんだろうか。
なんか怒り通り越して悲しくなってきた。
「――おい、聞いてるのか?」
「勇は」
「何?」
「そんなに女がいいのかよ」
地響きと共に、最初の花火がまだすみれ色の空を照らす。
何か言いかけていた勇が、不意を打たれて耳を塞いだ。
開会のアナウンスが流れ、待ちくたびれた人々からまばらな拍手が上がる。
「……ほら、グズグズしてたから始まっちゃっただろ。
お前ポテトフライ買ってこいよ。飲み物はオレが買っておくから」
勇は自動販売機を目指して走り、しょうがないからおれもしなびた芋を買って戻った。
そうだ。
この胸の苛立ちは、本当は怒りではなく、不安だ。
肌を重ねても重ねても拭い切れない恐れだ。
勇がいつでもおれを置いていけるという淋しさだ。
最後の夏休みを、浴衣の彼女と過ごしたいとか、
普通の男子が持つだろう望みを、叶えてやれない後ろめたさだ。
でも普通ってなんだ。
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