『……で、試験前に電話してくるなんて、どんな大した用件かしら。
くだらないことでわたしの勉強時間を割くつもりなら、
生涯どこの銀行でも融資されないようにしてもいいわよ』
「テスト勉強と引き換えにおれの人生設計左右するのは勘弁してくれ。
千晶が言うと冗談に聞こえねんだよ……」
『別に冗談じゃないし』
「実はさ、勇が」
『それじゃ』
本当に電話が切られたので、おれは慌てて携帯のリダイヤルを押した。
『……何よ。 まったくもう』
「せめて述語くらいまでは聞けよ!」
おれだって適切な相談相手とは思っちゃいないけど、
おれたちがつきあっていることを知っているのは千晶だけだ。
このド迫力の幼馴染み以外に、相談する相手がいないのだから仕方ない。
「わっかんねえんだよ。
どう考えても勇がそこまで機嫌悪くするようなことした覚えがないし」
『……で、何があったの?
無駄口はいいから要点だけかいつまんで』
「勇と一緒にいる時に、隣の女子ナンパしたら、なんか機嫌悪くて』
『………きみ、最低ね』
どうやらかいつまみすぎたようだ。
「いや、その前からなんか不機嫌ぽいんだよ。
いっしょにいても口数少ねぇし」
『それで?』
「………勇、おれといてもあんま楽しくないんじゃないかと」
『それで?』
「でも、他校の女子といるとき、すっげぇ楽しそうでさ……」
『それで?』
「勇、女の子の方が……好き、だと思うし。
おれと切って本当は女とつきあいたいのかな……とか」
『それで?』
「…………千晶、おれの話聞く気ないだろ……」
『それで?』
カリカリカリ……と、小刻みに動くシャーペンの音が受話器越しに聞こえる。
文句を言おうとすると、
『うるさいわね、問5解くまで待ちなさいよ』
と逆に怒られた。
どうやら携帯繋げたままテスト勉強の最中だったようだ。
『――大体ね、そんなこと勇くんに直接訊いたら?
わたしに訊いたって、本当のことなんかわかるわけないじゃない』
「何度電話しても話中で繋がらねんだよ!!」
帰宅してから何度もメールを入れたし、電話も掛けた。
ところがかれこれ二時間は話中だ。
携帯の電源が切ってあるならともかく、誰とそんなに長電話してるのか、
考えれば考えるほど嫌な方向へ向かってしまう。
とてもじゃないけど、試験勉強なんておぼつかない。
『ちょっと、電話口で怒鳴らないでくれる?』
「………ごめん」
『参考にならないって言ってるのよ。
わたし、勇くんが不機嫌なとこも口数少ないとこも見たことないし』
「え?なにそれ、自慢?」
千晶、勇のことあんなこきつかってるのに。
『……バカね。
勇くん、いつも調子のいいことしか言わないじゃない。
大して楽しくも無いのに、楽しそうなフリばかりして。
まぁ、それだけ君が親しいってことでしょう? どうでもいいけど』
最後の一言は余計だけど、千晶がおれを励ましてくれるなんてすげえ珍しい。
「そ……そうかな」
『まぁ、だからと言って好かれてるとも限らないけど』
「そ……そうかな……」
『もう切るわよ。 くだらない』
「あ、待てよ千晶!」
『何よ』
「運命って……そんなに残酷じゃないよな?」
『知るかバカ』
なんか怒られた。
叩き切られた携帯を握り締め、おれはしょんぼりとベッドに寝転がった。
どうでもいいがおれの部屋は死ぬほど暑い。
おれが一番親しい……か。
あー、勇とセックスしてえなぁ。
最後に二神合体したの、もう十日くらい前じゃないか?
うわぁ、なんだよそりゃ。
人修羅は淋しいと死んじゃうんだぞ。ビルから飛び降りたくらいじゃ死なないけど。
とりあえずオナニーでもしておくか。
おれは汗だくのまま股間をまろび出し、十日前の勇の姿態を思い出すべく努めた。
勇のあの時の声とか、ぎゅっとしがみついてくる白い腕とか、
恥じらいを含んだあの時のまなざしとか、あー、勇とセックスしてえなぁ。
勇が素直なのって合体している時くらいじゃないか?
近頃は終わった途端背を向けて、なんだろうな、あの拒絶感。
肩甲骨の浮いたきれいな背中。
なにやら考え込んでいるんだけど、おれには教えてくれないし。
おれってそんなに頼りないかなぁ。
がんばらなくちゃと思うんだよな。あの背中見る度に。
勇がもっと寄りかかれるように、おれがしっかりしなくちゃって。
自慰行為からすっかり気が反れてしまい、マガタマを握り締めたままぼんやりしている
おれの耳元で携帯が鳴った。
「うわっ!」
モリ子だったらあれだな、電話口でムドオンだなと、通知を見たら勇で、
おれは下半身丸出しのまま携帯に飛びついた。
『……イヌノ?』
「あ、うん」
『今、平気か? 何してた?』
「え…と、オ、オナニー?」
『……ああ……そりゃ悪かったな。 邪魔して……』
携帯の向こうからすごくゲンナリした声が返ってきたので、
おれは慌ててパンツを履いて膝を正した。
「あ、だ、大丈夫!もう萎えたし!
テレホンセックスしようなんて言い出さねえから!」
『ハハ……。
まぁ頼まれてもごめんだけどな』
乾いた笑い声はやっぱりどこか元気が無くて、さっきの話中の相手とか、
昼間のことを謝りたいとか、祐子先生の言い訳とか、
おれはどこから何を切り出せばいいのか躊躇ってしまう。
「…………」
『………あのさ』
「………う、うん」
先に勇が切り出したので、おれはおとなしく聞くほうに回った。
『………今度さ』
「……うん」
『…………………』
「…………」
ところが勇まで黙り込んでしまう。
なんだろう。
まさか今度こそ別れ話切り出されるんじゃないだろうな。
「……会いたいな」
『えっ? 今からか?』
不安からと恋しさから、つい気持ちが先走り呟いてしまった。
他に言うべきことはたくさんあるのにおれのバカ。
「い、いや、さすがにテスト前だしなぁ……」
『……だよな』
「週明けたらまた会えるし。期末だけど」
『……うん』
会いたいっつっても勇は嫌そうじゃなかったし、
おれの自惚れじゃなければちょっぴり淋しそうな感じもする。
と、とりあえず今回は別れ話じゃないみたいだ。よかった。
「で、どうしたんだよ。
今度って?」
『あ……うん。
今のやっぱナシ』
「え?何が?」
『あ』
「え?なになに?」
『バッテリー切れるわ。
じゃあな、イヌノ。 しっかり勉強するんだぞ』
「ちょ……待っ」
掛かって来たときと同じような唐突さで電話は切られた。
……………。
……まぁ、あんだけ長電話した後ならそりゃバッテリーも切れますよね……って。
だから、誰と電話してたんだ?
一体何を言おうとしてたんだよぉぉぉぉぉぉ!
すっげぇ気になるじゃねえか!
……まぁ、そんな感じで、オナニーも試験勉強も中途半端なまま試験当日を迎え、
おれの成果は散々なものだった。
テスト用紙を返す時の祐子先生の『だから言ったのに』という表情は、
怒りとうんざり感と共に当分忘れられそうもない。
勇はおれよりも芳しくなかったようで、夏休みの補習組に名前が挙がっていた。
幸先のいいスタートとは言えなかったけれど、兎にも角にも、
高校生活最後の夏休みの幕は上がったのだった。
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