席につくとほぼ同時に、解答用紙が配られた。

 折りたたまれ、座席に掛けられたアラタくんのダッフルコートは斜め前。

 いやでも視界に入ってしまい、さっきの苛立ちと困惑が英単語よりも先に脳裏に蘇る。



 いけね。平常心だ。平常心。






 えーと、なになに



『 “あなたがこれから努力しようと思うこと”を一つ取り上げ、

  そのことについて、三つの英語の文で書き表しなさい』



 なんだこりゃ。

 一つなんだか三つなんだかわかり難い問題だな、これ。

 今から努力するって言ったら、こりゃあ今日の入試のことだよな。

 I want a boyfriend. でもいいけど。







 千晶にとっては滑り止めでも、おれにとっては本命といっていい受験校だ。

 ここなら通いやすいし、進学校だけど運動系も強ぇし。



 ………しっかし、千晶の奴も腹立つよなぁ。

 まぁ、いつものことなんだけど。

 おれがここに絞った途端に、



 『じゃあ、私も一応受けておこうかしら。

  まぁ、通うことはないでしょうけど』




 って、いきなり人のやる気をそぐ様なこと言いやがって……。

 ああー、でもこれでやっと千晶とバラバラかぁ。

 小・中の9年間長かったよなぁ。






 いけね、まだ決まったわけじゃなかった。

 平常心、平常心。









 シャーペンで何か書く音。紙をめくる音。



 初っ端に軽いトラブルはあったものの、試験問題も予想範囲内だったし、

 あとはほとんど滞りなく過ぎていった。






 ほとんど、というのは、

 試験官の若い女の人が、試験中ずーっとこっちを見ていて、

 なんだかやたらに足を組み替えたり、仁王立ちして見下ろしたりするので

 ちょっと……いや、かなり気が散ったからだ。



 なんだろう、遅れたせいでカンニング疑惑でも持たれているのかな。おれ。





 それと、これも小さな事件。

 見過ごしてもよかったようなことなんだけど。



 おれのシャーペンが止まったのは、4教科め。 社会の試験問題を解いている最中だった。

 斜め前のあの憎たらしいダッフルコート、アラタくんがバタバタし始めたからだ。

 相手が相手だけに、視界の端だろうが気になってしょうがない。






 何かそわそわとペンケースを探る音。

 消しゴムでも落としたんだろうかと疑っていると、

 立て続けにシャーペンをカチカチ押す音が途切れない。







 ……どうやら、シャープペンシルの芯を切らしたようだ。







 バカだなぁ。 さすが受験票落とすだけはあるな。

 筆記用具のチェックなんて、入試の基礎中の基礎じゃないか。

 現におれの筆箱の中には、モノ消しが5個、『小林』という名前入りで入っている。

 これなら途中で飛んでったってうろたえなくて済む。

 落としたって名前が書いてあるから誰のだかすぐわかる。

 おれって本当に賢いよな。






 シャーペンの芯が無くて、残りの試験を落としたとしても、

 それはあいつの自業自得だ。

 ……ちょっと可哀想かもしれないけど。






 い、いや、だってあいつあんなに性格悪いんだし、お礼一つ満足に言えなくて、

 あんなムカつく口の利き方しかできない奴が酷い目に遭ったって……、

 いい………気味………。










 ……朝、泣きそうだったよなぁ。

 今も顔真っ赤にして困ってんのかなぁ。

 あんな物言いしなきゃかわいいのに。







 おれは別に感謝されるために親切にしたわけじゃ……。

 ……期待なんか…………。

 下心だって……。




 …………………多分。







 …………。

 ………………………。







 まったく、いつまでカチカチやってんだよ。

 気が散ってしょうがない。

 試験官の先生もいい加減気づいてやればいいのに。






 イラついて顔を上げると、試験官の女性の視線は真っ直ぐにおれに向いた

 まんまだった。 あ、足を組み替えた。

 アラタくんはずっとカチカチカチカチカチカチカチカチ。

 千晶や他の受験生はカツカツカツカツ絶え間なく何かを書き込んで。






 これはまんべんなく嫌がらせなのか?

 そんなにみんなおれに合格させたくないのだろうか。

 おれがこの高校に受かると、世界が滅びるとでも言うのか?



 いやいやいや、平常心。

 平常………。
















 おれはため息をついて、シャープペンシルの中に詰め込めるだけ芯を詰めこんだ。

 そして右手を軽く上げる。





「どうしたのかしら。わからないことだらけなの?」



 試験官の先生が間髪入れずにやってきた。

 美人……といえなくもないんだろうけど、口紅の色が赤すぎて怖い。

 な、なんでこんな近寄るんだ?



「……斜め前の子、シャーペンの芯切らしたみたいなんで、

 これ上げてください」



 半分くらいは残ってる、シャーペン芯のフォルダをケースごと託す。



「……優しいのね」



 試験官の先生は、意味ありげな笑みを浮かべ、おれの芯を届けにアラタくんの席に

 行ってくれた。

 小声のやり取りの後、あのカチカチという音だけは止まって、

 おれは胸を撫で下ろして試験に向き直った。




















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