公判が終った後、毛髪の薄い中年男性に親しげに挨拶されたが、覚えがないので曖昧に返事を濁した。

きっと人違いだろう。バッチを見るに検察官で、彼は検事が嫌いだ。

地位に精神の成熟が追いつかないヒステリックな女性検事も皆嫌いだった。


正しく言うならば彼は死んだ一人の検察官に確執があり、その男を思い出させるすべてのものを憎んでいた。

死んだ男のことを考えても始まらないので何も思い出したくない。


彼は希死念慮とは無縁に生きてきたので死を選んだ男に同情的な気持ちは全く起こらず、

むしろ自分に理解できない感情に支配された相手に裏切りを感じた。

彼はまた自分の人生は自分で切り開けるものだと固く信じていたし、そのように生きてきたので、

他者に鍵を握られる不幸にも慣れていなかった。

慣れない苦悩に煩悶し憔悴しきった頃、見かねた知り合いの刑事に男が生きていると教えられても、疲れきった彼は




"死んでいればよかったのに"



という感想しか浮かばなかった。

彼の腕を逃れて遠くへ行った恋人など、腕の中で死ぬ恋人よりたちが悪い。



裁判所を出て車を拾い別のクライアントとの打ち合わせに向かう。その後は事件の現場検分をして保険会社に書類を提出。

仕事は好きだった。仕事以外の何も考えずに済む。






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