「狩魔検事」

捜査に赴いた大学病院で、同じく調査に来ている御剣と出会ってしまう。


「偶然ですね、どこかお悪いんですか?」

「………解っていて言っているな、貴様」


今回公判まで受け持つ事件に、御剣が弁護担当の一件があった。

仕事とプライベートは分けるという男に、こちらも躊躇する必要はない。


「検察の邪魔をすることは許さんぞ。言っておくが私の立件は完璧だ。

貴様の手に渡るような証拠は何一つ」

「それについてお話が」

「なんだ?」

「できれば、外で」

「私は忙しい」

「わかっています。少しだけ」


強引に御剣は歩き出した。

不審に思いながらも私は、やや遅れてその後ろをついて歩く。


歩行器で移動する老人の脇を抜け、車椅子を押す看護婦の脇を抜け、御剣はとうとう建物の外にまで出てしまった。

大学病院の後ろには大きな黒い川が流れ、舗装された岸が遊歩道になっている。

秋の風が差し込むさなか、比較的軽症の患者らや、会社帰りのサラリーマン、

犬の散歩の老人などがまばらに足を運んでいた。

川は深く広くビロードのような水をたゆたえ、向こう岸からは銀色のビルが午後の影を投げかけている。


「おい、どこまで行くつもりだ」

「つきました」


御剣は公衆トイレ脇の自動販売機の前で立ち止まり、何も尋ねずにポケットの小銭を押し入れた。

がたん、がたんと立て続けに缶が吐き出され、そのうちの一本をこちらに投げて寄こす。


「……缶のコーヒーなぞ、たわけたものが飲めるか」

「わがままな人だなぁ。

今度コーヒーのおいしい店に連れて行きますから、今はこれで我慢してください」


子供でも叱る調子でしかめ面を向けられる。呆れてものも言えぬ。

熱い缶を持て余していると、ひょいと取り上げられ、ハンカチで包まれた後に返された。


「貴様にいたわられるほど老け込んでおらんわ」

「だから年寄り扱いしているわけではないんですが」

「さっさと用件を言わんか。証拠品がいったいどうしたと言うのだ」


残してきた事務官と現場が気がかりで、私は御剣を怒鳴りつけた。

二人の横を自転車が通り過ぎる。


「証拠品はあれです」


そう言って、御剣は天を指差した。

見上げれば、雲一つない秋の青空。


「いい天気でしょう」

「……それがどうした」

「あんまりいい天気だから、少し歩きたかったんですよ。

ああでも言わないと、あなたは付き合ってくれませんから。

以上、弁護側の立証終わり」

「……………」

「どうしました?」

「今、貴様を起訴できるためのありとあらゆる罪状を頭の中で組み立てているところだ」

「困りました。狩魔検事に目をつけられたら私の弁護士生命もおしまいだ」


御剣は屈託なく笑うと、缶コーヒーを片手にまたぶらぶら歩き出した。

帰るべきか一瞬迷ったが、缶を空けるまでの間だけと思いなおし、私は恐ろしく図々しい男の横に並んだ。


「フレンチの店なんですが、食後のエスプレッソが絶品で」

「何の話だ」

「あなたに飲ませるコーヒーの話ですよ。あれならわがままな狩魔検事もきっと気にいるでしょう」

「私は本物以外口にしたくないだけだ」


歩きながらコーヒーを飲みのは存外難しい。

こぼさぬように口をつけると、その俗悪な飲み物を生まれて初めてうまいと感じた。


「やれやれ。気難しくて多忙な検事殿は、食事に誘うのも一苦労ですね」

「我々の仕事は尽きることは無い。人が罪を侵す限りは」

「そしてあなた方が忙しい限り、私も仕事にあぶれずに済むわけです」

「弁護士は貴様以外にも履いて捨てるほどいる。一体どこから沸いてくるものか」

「ま、需要がある訳です。――どうですか狩魔検事。あなたもそろそろ退官しては」

「この私に弁護士になれと?」

「何か問題が?」

「今までそんなことを私に言った男はおらんぞ」

「いつ転勤されるかと思えば寂しいですよ。あなたが弁護士ならその心配はせずに済む」

「………………」

「何か異議でも?」

「いや。転向するとしたら、貴様のような煩い弁護士がいない土地にと考えていただけだ」

「ひどいことを」


そう言って愉快そうに笑う。


この男は知らないのだ。

特捜部への転属話は実際に来ていた。待ち続けいていた誘いを私は辞退した。

子供がまだ小さいというのは表向きの理由だ。

私をこの地方検察局に留まらせている理由が、ほんの一部でも自分にあると知ったら、

この男はどんな顔をするのだろうか。

今のように肩を竦めて、

『それはそれは』と笑うのだろうか。


「なぜ検事に?」


何の気なしに御剣は尋ねる。

誂えたように検事局に馴染んでいる私に、そんなことを尋ねる男は今までいなかったのだが。


「ふむ、そうだな」


そして私も、誰にも話さなかったような思い出を紐解いている。


学生どものシュプレヒコール。

遠い国の戦火。

車椅子に乗った負傷兵の映像。


「――少年の頃の話だ。

正しさが勝利すると思っていた、その根底が崩れた。

かつてこの国に勝利した正義は間違っていたのか?

何が正しいのか判らなくなった。


この国が様々なものに飢えていた頃、私が欲したのは圧倒的な正義だ。

まだ幼い私は、それがどこかにあると固く信じていた」

「へぇ?」

「ヴェトナム戦争だ。貴様は知らんだろうな」

「知ってますよ。知識としてはね」


そう言う御剣はピンと来ない顔だった。

無理もない。

私が未来を決めていた頃、この男はまだ産声を上げたばかり。








分けられた髪に混じるわずかばかりの白髪が、逆にこの男の若さを私に教える。













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DEADMANWALKING