………結論から言えば、被告人には執行猶予無しの実刑判決が与えられた。





不正の事実は明らかになったものの、検察側の立証を覆すまでには至らなかったのだ。

愚かにも完全無罪を主張していた御剣にとっては、手痛い敗北と言ったところか。

閉廷する直前、屈辱に歪むあの男の顔ははっきりと見えた。

息子まで連れてきていたのだ。自分の勝訴を確信していたに違いあるまい。

……馬鹿な男だ。

私を貶めさえすれば、自分の主張が通るとでも思っていたのか。


その後の審議会で、検事局長に私は処罰を言い渡された。

陳述調書の偽造は確かに私の手によるものだったからだ。



………もう、特捜部からの誘いは二度と来ないだろう。

あの時点で引き受けておけばと思ったところでもう遅いのだ。

定年まで勤め上げても、検事総長はおろか、検事正になることも叶うまい。

検察一筋に生きてきた、私の出世の道はここに閉ざされた。


ああ、だが、そんなことよりも――私を打ちのめしていたのは、

あの男が、御剣信が、二度と私の元に戻るつもりはないということだった。


あの指摘で私は理解した。

御剣は、本気で私を失脚させる算段を立てていたのだ。

私がもう一度あの日々を取り戻さんと渇望している間に――。


そのために私に近づいたのではないかと、そんな疑いすら沸いてくる。

……それならばまだ、あの男にのめりこんだ自分の愚かさを嘲笑うこともできただろうに。

だが違う。

御剣にとってはたまたま、仕事で使える事実を手に入れたということでしかないのだ。

私との同衾による、副産物。

仕事とプライベートは分けると言って憚らない男。

そうだ。その言葉に間違いはない。



あの胸の痛くなるような蜜月は終わったのだ。

彼にとっては遊戯で、私にとっては唯一自分を生きられた時間。

私の人生が色を取り戻す日は永遠に来ない。

検察官としての未来も、それを捨て去ってでも手に入れたかったただ一人の男も、

培ってきた家族すらも、私はすべてを失った。






資料室で頭を垂れ、目を瞑ると御剣の笑顔ばかりが思い出された。

私の記憶の中では、秋の午後の青空の下、彼はいつでも少し私の前を歩いていた。












「――御剣」


何も無いのだ。

私にはもう何も無いのだ。何一つ。

貴様がすべて奪い去った。

検察官の誇りも、私の思うがままになる私自身の心でさえも。


どこにいる、御剣。

何もいらぬ。

キャリアも、家族も、私の持つものはすべて捨てても構わない。

ただ一つだけ。

あの男さえいれば、私はもう二度と何も望むまい。

このくだらない人生にどんな期待も抱くものか。






文字通り這いずるように、私は歩き出した。






法廷が終わった後、エレベータで落ち合うのが私たちの取り決めだった。

裁判所で私たちが二人っきりになれる場所はそこしかなかった。

あそこに辿り着けさえすれば、あの男に会えるのだ。

あの男が私を待っているはずなのだ。

そうして、遅くなった私を笑顔で詰るのだろう。


しかしなんだって、この廊下はこんなにも暗いのだ。



御剣。



御剣。



御剣――。



エレベータの扉の前、祈るような気持ちで私はボタンを押した。

カチャカチャと音がなるだけで何の反応もない。

なぜだ、なぜ動かない。

御剣をこれ以上待たせる訳にはいかぬのだ。

私も彼も多忙だから、会える時間は酷く限られていて









肩が








何が起こったのか私には理解できなかった。

肩に焼きつく、この痛み……。

この叫び声は誰のものだ。絞り込まれた悲鳴はこれは私の声か。



熱い。



庇うように右腕を動かすと、脳天まで激痛が貫いた。

慌てて左手で肩を抑える。

痛みに離した掌が濡れていた。これはだ。私の。






エレベータの扉が開いた。



目の前に転がる拳銃。

まさか、これか?

思わず笑いがこみ上げてきた。

なぜ、エレベータの前で流れ弾に当たらなければならんのだ。

なあ、御剣?











奴はいた。

御剣と、その息子、そして係員らしき男が、狭い鉄の箱の中で目を閉じていた。

その姿はすでにこの世のものではないかのようにも、ただ眠っているかのようにも見えた。

生と死の境目が極限まで薄く張り詰めていた。



ここは酷く寒いな。

そしてとても静かだ。まるで海の底だ。




これは――運命だ。

この結末は決まっていたのだ。

おそらく、初めて貴様と出会った時から。

いつでも戻れる場を持ち続けていたこの男と違い、

私は最初から行き詰まる道しか知らなかった。

どこにも帰れず、今このエレベータに辿り着く。







銃を左手で拾い上げ、構える。

照準は真っ直ぐに御剣の息子に向いていた。



この子供さえいなければ――私のように戻る場を失えば、御剣は帰ってくるのだろうか。

彼は家庭を愛していると言いながら、妻を愛しているとはついぞ言わなかった。



それが惨めな私の唯一の救いだった。





どちらにしろ、父親を苦しめる最善の方法は、このまま子供を葬り去ることだ。

事件で子供を失い、狂乱する親を私は幾度となく見てきた。

絶望に声も出ない貴様の姿はさぞ愉快だろう。



だが、私の望みはそんなことではない。

私からすべてを奪い去ったこの男が憎い。

掛け値なしに憎い。引き裂くことに何の躊躇いもない。



そしてそれと同じくらいに、







私はこの残酷な男を愛していた。



今この瞬間、ようやくそれがはっきりと判る。



照準をそのまま右にずらす。



神に祈るのはとうにやめていたので、私は私の左手に祈った。



ただ一撃で、どうか。


罪には罰を。

貴様の罪はたった一つ。

私を見誤ったことだ。





御剣の身体は一度だけ跳ね、そして二度と動かなかった。





私は安堵した。

ああ――

これでもう、この男が私を残して、このエレベータから出て行くことはないのだ。

あの無言の背中を見なくて済むのなら、私は何度でもこの身体に弾丸を撃ち込んだことだろう。

予想に反し、誰も目覚めなかった。

目覚めたところで、私を止められなかっただろうが。


あとは、自分自身の物語を完結させるだけだ。



私は心からも体からもを流しながら、

硝煙の立ち昇る銃口を、ゆっくりと自分のこめかみに向けた。



目を閉じ、天を仰いで引き金を――引く。

























……この日最大の不幸は、

流れ弾に当たったことでも、不正を明るみにされたことでも、

御剣を殺さねばならなかったことでもない。










係官の銃に、二発の弾丸しかこめられてなかったことだ。










DEAD MAN WALKING



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