二  番  目  に  大  切  な  人








できることとできないことがはっきりしている矢張のスタンスは、

ぼくにはありがたかった。

気を使わずにすむところも、とてもとても助かる。



ぼくは事務所を閉める時間が少し早くなった。

毎日会うとは限らないけれど、誰かが帰ってくるかもしれない部屋。

仕事の愚痴も、今日あったことも、矢張は気も無く聞いてくれた。



むずかしいことはよくわかんねぇけどよ、

人助けしてんだもんな、大したもんだよ。

あん時のオレみたいなヤツ救ってんだもんな。







ぼくにはもう、信じられる人間がこいつしか残ってない。





















合鍵を作るのは少しだけ勇気が要った。

学級裁判の例もある。

手癖は悪いし、きっと起こるだろうなんらかのトラブルは覚悟しなくちゃいけない。



でもまぁ、どうしてもというなら事務所に置いておけばいい話だし、

今のぼくには矢張の面倒を見るくらいの稼ぎはある。

あいつの生活が本当に大変なら、助けてることだってやぶさかじゃない。

矢張は料理だって上手いし、家賃がきついなら一緒に住んでやったっていい。

待てよ、それならもう少し広いところへ……って、

浮かれすぎだな。これじゃ前と一緒だ。



でも――矢張なら、少なくともこちらが死にたくなるような言葉を残して、

急にいなくなってしまうことはないだろう。

ぼくを置いていったりしないだろう。







会いたいと思うと、我慢できないのがぼくの悪い癖だ。



事務所を早く切り上げ、矢張のバイト先の近くへ行く。

水曜は隣町のコンビニ。

さすがに職場に訪ねるわけにはいかないから、通り道のコーヒーショップの窓席で待つ。

駅へ帰るのなら、必ずこの道を通るはずだ。

矢張が通りかかったら、仕事で偶然近くに来たと言えばいい。



ぼくはコーヒーを啜りながら待った。



今度こそうまくいく気がした。

矢張は突然いなくなったりしない。

急に死ななければいけないほど何かを溜め込んだりしない。

無言の背中でぼくを責めない。

前のあいつは、愛しすぎたから失敗したんだ。

二番目に好きな人とのほうがうまくいくって、そんな話はよく聞いた。



行き交う人を眺めながらぼくは奇妙に緊張していた。

そろそろ上がってもいい時間なんだけれど、なかなかあいつの姿は見えない。

ひょっとしたら、車に遮られているうちに行ってしまったのだろうか。

それとも用事があって、別の道を行ったのだろうか。

不安になり、携帯に電話を入れようかと思った時、



「あ」



見慣れた金髪が、反対側の道路に現れた。

ぼくが急いで出ていかなかったのは、矢張が一人じゃなかったから。

彼は見覚えのある女――いつかの合コンでぼくに話しかけていた――と一緒だった。



待ち合わせてどこかへ行く算段なのだろうか、

矢張は聞こえぬ言葉をぺちゃくちゃとしゃべり、

何が楽しいのか遠目にもゲラゲラ笑っていた。



立ち止まって何やら尋ねている。

たぶん、寒いかとか寒くないかとかそんなこと。

その証拠に、矢張は上着を開き女を差し招く。

どこにでもあるような恋人たちの場面。



矢張とその彼女は、笑いながら窓の端に消えていった。

赤信号に止まった車がぼくに気を使ってその姿を隠してくれる。



どうせ長く続く関係じゃない。

今まで何度も見てきたからわかる。

早くて三日、長くても半年で矢張は涙ながらに電話をかけてくる。

彼女に捨てられた悲しみを切々と語るために。



だけど、あの顔。



あんなバカな笑い顔、ぼくには一度だって見せたことはなかった。

あんな無防備な笑顔、ひどく、幸福そうな。



ぼくには無理だ。













今度は彼らがいなくなるまでぼくは待った。間違ってもはちあったりしないように。



とりあえず、今夜矢張は来ない。それが判っただけでも無駄じゃない。

わずかな期待で夜更かししないで済む。

無駄な話も合鍵も切り出さずに、済んで、よかった。



ぼくは席を立った。



コーヒーはとっくに冷え切って、表面で白くて柔らかい脂肪が膜を貼っていた。

















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