二 番 目 に 大 切 な 人
日曜日の朝。卵を焼く音で目が覚める。
矢張が鼻歌をうたいながらフライパンを握っていた。
「よォ、おはようさん」
「……おはよう、矢張」
「なんでぇなんでぇ不味いツラしやがって。もっとしゃきっとしろよ。
せっかくの休日なんだしよォ」
「お前のいびきがうるさくて寝てないんだよ。
日曜くらいゆっくり寝かせてほしいんだけど」
「ワリィワリィ。なぁ、ところでこの卵いつのヤツ?」
夕べは同じベッドで寝た。
寝つきのいい矢張に何もする気にはなれなくて、ただ、人の温度がする寝床の感触をぼくは楽しんでいた。
いびきがうるさくて眠れなかったのは本当だけど、そんなに悪い気分じゃなかった。
「しっかし、何も入ってねぇなぁオマエの冷蔵庫。
もちっとちゃんと栄養つけろよ。顔色よくねーべ」
「ちゃんと食べてるよ。外食だけど」
豆腐だけの味噌汁はちゃんと味噌汁の味がした。
人の手料理なんて実家に帰ったとき以来だ。
しかし、どういうつもりなんだ?
今回ばかりは、(というか今回も)こいつの行動パターンが全く読めない。
「でさ、オマエ今日ヒマ?」
その日は矢張の提案で、小さな画廊でやっている彫刻展を見に行った。
もちろん全く興味は無い。お洒落な女性がやたら通る道は居心地が悪かった。
せっかくの休日、忙しいぼくには文字通り休むためのものなのに。
今朝の卵のせいか、ぼくは腹が痛い。料理人は当たり前のようにぴんぴんしている。
「あ、マサシ来たんだ」
「おせーよマサシ。初日に来いよ」
古いアパートを改造したギャラリーで、矢張は入った途端に数人の男女に囲まれていた。
「ハガキありがとな。ぐっちゃん元気?」
「なんか結婚するらしいよ。カズミちゃんから連絡行ってないの?」
「それが聞いてくれよォ!オレカズミと別れてよォ!もう死にてぇよ!」
「グループ展やるんだけどマサシも一口のらない?」
「そんな金ねえよ!」
……友だち、多いんだよなコイツ。
何もこんなとこにぼくを誘わなくても、興味のあるヤツがいくらでもいるだろうに。
みんな矢張と同じような、定職にはついていなさそうなグループだった。
歳はぼくと同じくらいなんだろうけど、お洒落で安っぽい服を着ていた。
慣れない場所に何を着ればいいのかわからず、
いつもの背広姿で来たことをぼくは後悔した。
私服にしろ、馴染めないことには変わらないのだろうけど。
「その人は?」
「あ、オレのダチ。ほら、ミカの事件のベンゴシってコイツよ」
「マジかよ!」
「こんちはー」
珍獣を見る目でこちらを見られ、ぼくは「どうも」と軽く頭を下げた。
腹は相変わらず痛い。狭いギャラリーの彫刻群はさっぱりわからないし、
数が少なくてあっという間に見終わってしまう。
「先に帰るよ」
話し込む矢張を置いて、ぼくは画廊を出た。
坂道を2メートルも歩かないうちに、矢張が追いかけてくる。
「みんなでメシ食いに行くんだけど、来ねぇの?」
「いや、いいよ。腹の調子も悪いし」
「なんか悪ぃな。つきあわせちまってよォ」
「なぁ、矢張」
「なんだよ」
「無理して慰めようとしなくていいよ。そんなに落ち込んでないから」
「でも、オマエにまで死なれると困るしよ」
その言葉にぼくは無性に腹が立った。
「……同情ならやめてくれ」
「へ?」
「ぼくがかわいそうだから許したんだろ、あんなこと。女が好きなくせに。
いらないよ。くだらない。
ぼくはお前なんて別にそんな意味で好きなわけじゃないから」
ぼくの言葉に矢張はへらりと笑った。
「バーカ」
面食らうぼくの肩を抱き、痛いと言った腹に拳を当てる。
「そんなんじゃねえよ。オレ、自分のことしか考えてねぇしよォ」
「……………」
「大体、お前ら真面目すぎるんだよ。もちっとだけ間口開けりゃあ楽になれんのに」
ギャラリーにいた女の子の一人が、ぼくたちを追いかけてきたので腕を払った。
「あの、来てくれてありがとう。
マサシももっとちゃんと紹介してよ。ランチ、行くんでしょ」
「ダメダメ、こいつオレのカレシだから。紹介しねーのよ」
親指を立てる矢張の冗談にその子は声を立てて笑った。
ぼくはちっとも笑えずに、そんな態度がまずいとわかっていながら、
逃げるようにその場を離れた。
「また連絡すっからよ!またな、成歩堂よォ!!」
背中に叩きつけられる声にも振り返れなかった。
Back Top Next