二 番 目 に 大 切 な 人
「これ、こないだのワビよ」
土曜日の夜、矢張は大量の豆腐を手にぼくの部屋を訪ねてきた。バイト先の土産らしい。
もう口も利いてくれないことも覚悟していたので、ぼくは拍子抜けして持っていたビールをこぼしてしまった。
いい、ともだめ、とも言わないうちに、矢張は上がりこんで台所に立つ。
「相変わらず汚ぇなぁ。あ、座ってろよ。いーからいーから」
どういうことだ?
酔った席でのことだと甘い解釈をしているのか。
惰性で観ていたクイズ番組を眺めながら、ぼくはすっかり混乱していた。
混乱しているうちにウィンクと共につまみが来た。
飲み屋のバイトで覚えたという、キムチで包んだだけの豆腐が馬鹿に旨い。
「昨日、あれからどうした?」
「オマエ帰っちまって、女の子もみんな帰ったぜ。ジュンコちゃんがオマエの連絡先聞きたがってたけど。
背広はどうしたよ?」
「クリーニングに出したよ」
「わりぃわりぃ」
「こっちこそ」
「キス魔とは知らなかったからよ。ま、オンナノコに被害が行かなくてよかったぜ」
「誰にでもするわけじゃない」
「オイ、照れるじゃねえか」
矢張は舌を出して頭を掻く。あくまで冗談で通すつもりらしい。
ぼくが昨夜吸った舌だ。
ビールもつまみも美味いけど、ぼくは早く矢張に出ていってほしかった。
「でよ、気に入った子とかどーよ。連絡先教えてやってもいいけどよ」
「もう知ってるからいいよ」
「なんだよ手が早ぇなぁ」
「フェラチオしようか」
手を伸ばして股間を握る。
矢張は豆腐を飛ばしながら爆笑した。
「キムチ食ったあとはまずいんじゃねーの。染みんだろ」
「じゃあ、手でするよ」
「勘弁してくれよォ。オナニーくらい一人でできるし今は酒飲ませてくれよォ」
「ふざけるなよ、わかってるんだろ。もうぼくに構うなよ。迷惑なんだ」
「なんだよ冷てぇな。オレたちダチじゃねえのかよ。
いつまでもスネてねーでたまには笑えよ。
わかんねーけどさ、アイツにはアイツの考えがあるんだろ?」
「わかってないよ。お前は」
わかってないのはぼくも同じだ。
膝を押さえつけてズボン越しに摩っていると、だんだんと硬くなってきたのがわかった。
どこまですれば矢張はぼくを見捨ててこの部屋から出て行くのか。
矢張はぼくを蹴りながらゲラゲラ笑っていたけど、剥き身のそれを握り締める頃には息が上がっていた。
変な柄のTシャツをめくれ上げ、ズボンが膝までずり下ろす。薄い腹をしていた。
ぼくは戸惑う矢張の顔をずっと眺めていた。目が合うと矢張は頬を引きつらせて愛想笑いした。
ノンケの矢張を弄ることにとても興奮していた。
あまり時間は掛からず、うへぇと叫んで矢張は吐精した。
ぬるいビールを空にして、ぼくは矢張から視線を反らしトイレに立つ。
たった今吐き出されたそれをローション代わりに2回オナニーした。
友だちなんかいらないと本気で願った。
見当違いの八つ当たりだ。
ぼくは消えた御剣への復讐を矢張にぶつけたんだ。正しく言えば、十五年前の思い出を陵辱したかった。
手を洗って戻ると、矢張はいなくて、点けっぱなしのテレビが無人の部屋を照らしていた。
ぼくはせいせいして、残ったつまみを口に入れた。
たった一人の友だちがいなくなった。それだけのことだ。
これでもう何もぼくを過去に引きずり出さない。
つまらない深夜番組を消して、そろそろ寝ようと腰を浮かすと、玄関がガチャガチャと開く音がした。
玄関先で矢張が靴を脱いでいた。
「ビール切れたから買ってきたぜぇ。まだ飲むんだろ?オイ、ちゃんとビール代よこせよ」
得意げな笑顔で突き出されるコンビニの袋。
袋を受け取りながら、情けないことにぼくは泣きそうになった。
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