桐生の横で、ずっと黙りこんでいた鳴海が、一歩前へ出る。
「あなたに――あなたに、彼を追い出す権利はない。
ここは、僕の部屋だ」
俺ではなく、桐生へ。
鳴海が声を荒げる。
あの鳴海が、俺の目の前で、桐生に逆らっていた。
いや、俺は追い出されたわけではなくて自主退去を勧告されただけだし、
どちらかというと助かったと思ったくらいなのだが。
「リョウ……?」
「あなたに、口を挟まれるいわれは無い。
僕は――僕と、田口先生は」
俺たちの戸惑いをよそに、鳴海はなおも震える言葉を紡いだ。
ちらりと俺を見て、一気に吐き出す。
「僕と田口先生は、愛し合ってるんだ!」
そうだったのか。
俺と桐生は、ほぼ同時に愕然と鳴海を見た。
力強い言葉とは裏腹に、鳴海はすがるような視線を俺に向ける。
ここで俺に振るのか?
しかし、そんな目で、もう騙されるもんか。
これ以上、コイツに振り回されるのはまっぴらごめんだ。
鳴海の言葉を今まで鵜呑みにした俺がバカだった。
真に受けたら、絶対また、痛い目に遭わされるに決まってる。
桐生に向かって、今までの鳴海の言動を全部バラしてやることだって、俺には許されるはずだ。
……というか、桐生の信頼に応えるためにも、やっぱり教えてやったほうがいいのかもしれない。
これ以上鳴海を庇ったところで、俺に何のメリットも無いのだ。
鳴海の視線を振り払うように、ぎゅっと目をつぶる。
立ち上がりかけていた腰を落とし、膝頭を固く掴んで、俺は覚悟を決めた。
改めて桐生に向き直る。
「今まで黙っていて申し訳ありません。
実は、その、えー、大変申し上げにくいのですが……」
桐生が、驚愕の視線をゆっくりと俺へ戻す。
その目を見ることができずに、俺は深々と頭を下げた。
背中と額に、じっとりとした汗が滲む。
息を吸い込んで、一気に吐き出す。
「鳴海先生と、真剣におつきあいさせていただいています。
桐生先生にご報告が遅れたことを、心よりお詫び申し上げます。
このような形になってしまったことを、どうか、お許しください」
男同士で結婚を前提に、ではおかしいので、こんな言い方になってしまった。
芸の無い言い回しだが、脚本無しの一発アドリブで、俺が口にできるセリフはこれくらいだ。
誰も、何も、答えてくれない。
リビングは音も無く静まり返った。
俺は頭を下げたまま動けなかった。
「……いつからだ?」
どれだけそうしていたか、やがて俺の耳に飛びこんできたのは、桐生の小さな問いかけだった。
俺は顔を上げる。
桐生が、静かに目を細めて、鳴海を見ていた。
「まさか、術死調査の頃から――」
呆然とした呟きに、俺は慌てて首を横に振る。
あんな時期に、そんな余裕があるわけない。
鳴海に俺が強く惹かれていたことは否めないが、
あの頃のあんなべったり義兄弟の間に、つけ入る隙などあるはずもない。
「六月から……」
小さく答えたのは鳴海だった。
煙草の灰が落ちる。
桐生は緩慢な動作でそれをもみ消すと、小さく頷いた。
「ああ、だから電話に――。
……そういうことか」
それから、膝の上で組んだ指に視線を移す。
桐生は、ふう、と大きく息をついた。
「こいつは、参った」
首を横に振る。自分を納得させるように、何度か小さく頷く。
「そういうことだったのか……」
「義兄さん、すまない」
その横で立ち尽くしたまま、鳴海が声を震わせる。
桐生が目を開き、優しく鳴海を見つめた。
「いいんだ」
「ごめん」
「いいんだ、リョウ」
「義兄さん……」
桐生は再び目を閉じ、一際深いため息をついた。
桐生の半生の痛みが、凝縮されたような、深い吐息だった。
鳴海がびくりとその肩に指を伸ばしかけ、動きを止める。
やがて唇を噛み、そのままそっと手を引き戻した。
手助けするより、ただ見守るだけのほうがずっと辛いこともある。
そして、その痛みがどちらにも必要な時も。
俺は小さく頷いた。
鳴海にとって、今がその時だった。