8月24日
「来週の移植シンポジウムに、桐生先生がご出席なさるそうですね」
翌週の土曜の夕方、鳴海のリビング。
二人きりになるのを待ち、例の話題を切り出す。
時間が経てば、雰囲気に飲まれて伝えにくくなるだけだろう。
俺たちの間で、桐生が話題に上るのは久しぶりだった。
鳴海は表情をこわばらせながら、俺の上着をハンガーにかける。
「……そのようですね」
桐生の来日を、やはり鳴海は知っていたようだ。
硬い面持ちのまま、なんとか表面上は平静を保とうとしている。
俺は続けた。
「事件からまだ半年しか経っていません。
こんな早くに来日されるとは思いませんでした」
シンポジウムのポスターは、東城大学にも届いていた。
学内で話題に上らないのも道理で、ポスターに桐生の名前は記載されておらず、
主催のホームページでかろうじて小さな名前を確認できるのみだ。
鳴り物入りで招聘された、かつての扱いとは比べるべくもない。
広報に間に合わないほど急な参加だったのか、意図的な隠匿なのか、俺は判断をつけかねた。
スキャンダルの余波は、まだ終わっていないのだ。
俺の隣に腰掛けながら、鳴海は答えた。
「義兄はバッシングを恐れるような人ではありませんからね。
マスコミの注目度を逆にチャンスと考えたのでしょう。
事件当事者の立場でないと、語れないこともありますから」
「桐生先生と連絡が取れたのですか?」
よどみなく桐生の思索を語る様子に、てっきり本人から話でも聞いたのかと思えば、
鳴海は首を横に振る。
「いいえ。すべては私の憶測です」
長い間一緒にいると、思考や言動が似てくるというのはよく聞く話だ。
かつて、一卵性双生児と称された二人を思い出す。
おそらくは鳴海の言う通りなのかもしれない。
「桐生先生から私のところに連絡が来ました。
お会いすることになるかもしれません」
覚悟を決めて吐き出すと、鳴海は目に見えて動揺した。
「義兄と連絡を取っていたのですか?」
「いえ、メールをいただいたのは久しぶりです。
一応、鳴海先生にも知らせておこうと思いまして」
「私とのことを、義兄には」
「まさか。
まだ、お会いできるかどうかもわかりませんし」
ソファに沈み込んだ鳴海が、呆然と肘掛に頬杖をつく。
鳴海を避け続けている桐生が、俺にだけ連絡をよこしたとすれば、さぞやショックも大きいだろう。
わかった上で鳴海に教えたのは、一週間考え抜いた、ある提案を伝えるためだ。
「鳴海先生」
視線を寄こす鳴海に、俺は言った。
「私と一緒に、桐生先生に会いに行きませんか」
驚いたように見開かれた目が、見る見る険しいものへ変わっていく。
鳴海は苛立たしげに口を開いた。
「会って、それでどうするんですか?」
「お会いしたかったんでしょう。桐生先生に」
「間に立てば解決するとでも?
これは、俺と義兄さんの問題だ。
あんたが口を挟むことじゃない」
口調の激しさに、一瞬ひるむ。だが、義兄弟の関係を修繕する、またとないチャンスだ。
ここで引くわけにはいかなかった。
「私はまだ、あなたにとっての他人ですか」
俺の問いかけに、鳴海は黙りこんだ。
怒りの代わりに、静かな戸惑いを浮かばせた目を膝に落とす。
「……田口先生の考えがわかりません。
僕と義兄の関係が、元に戻ることをお望みですか」
今度は俺が沈黙する番だった。
桐生と鳴海がヨリを戻せば、俺はもちろんお払い箱ということだ。
「――鳴海先生にとって、何がよりよいことなのかを、ずっと考えています」
そう答えたとき、鳴海の目にかすかに浮かんだ失望を、俺は見逃さなかった。
うっすらと笑みを浮かべ、鳴海は俺を見た。
「なるほど。
優しいけれど、傲慢ですね。
田口先生のその優しさが、時には人を傷つけるのでしょうね」
「気分を害したのでしたら謝ります」
「いいえ。
過去か、もしくは未来のたとえ話です」
沈黙と、小さな断絶が、俺たちの間に満ちた。
やがて口を開いたのは、鳴海のほうだった。
「――義兄と会うことについては、田口先生の自由です。
ですが、こちらの関係については、私の判断に委ねてもらえますか。
私には私の、考えがありますから」
「鳴海先生とのことを、桐生先生には」
「私が不定愁訴外来を受診したことは、義兄に黙っていてください」
それは、俺との関係をいっさい語るな。ということだ。
「しかし、鳴海先生の心情を知れば、桐生先生も」
「彼は今、仕事と家庭の足場を組み立てている大切な時期です。
余計な心配をかけたくありません」
なおも不満げな俺に、鳴海はやんわりと畳み掛ける。
「……僕もこのままにするつもりはないから。
その時までもう少しだけ、わがままを聞いてください」
鳴海がそこまで言うのならしかたない。
俺は伏目がちに頷いた。