普段運動とはとんと無縁な身だ。
大した距離では無かったが、立て続けに引っ張りまわされ、俺はあっという間に限界を迎えた。
「な、鳴海先生、ちょっと一休み……」
俺のか細い悲鳴は聞こえていないようだ。
しかし何かを見つけたらしく、鳴海は急に立ち止まって俺の手を離した。
俺は屈んで膝を押さえ、深呼吸を繰り返して息を整えた。
「大丈夫?」
「はい、あの、よろしかったんですか? 病院までついていかなくて」
「後は病院に任せて大丈夫でしょう。彼は助かりますよ」
鳴海がそう言うのだから、きっとそうなのだろう。
「それに、行き先は循環器センターです。
田口先生を置いていくわけにはいきませんし、一緒だとご迷惑がかかるかもしれませんから」
迷惑はさておき、さすがに職場に男を連れて行くのは鳴海も気が引けたようだ。
残されたギャラリーから見れば、名前も告げずに颯爽と立ち去り、さぞや謙虚なヒーローに見えたことだろう。
「救命処置は久しぶりでした」
「お見事でしたね」
「いいえ。スムーズに行ったのは、田口先生のおかげです」
「私は何もしていませんよ。
鳴海先生の処置が的確だったんです。その、ブランクを感じさせないというか――」
言葉を選んだのが伝わってしまったのか、鳴海は照れたように微笑んだ。
「僕はインターンを二度やってるからね。手が覚えていたんでしょう」
「二度?」
「日本と、フロリダで」
「……それは、ずいぶんと物好きですね」
あんな最下層業務、二度もやるヤツの気がしれない。
そのハードワークぶりを想像して、つい口を滑らせてしまう。
俺の失言に、鳴海は声を立てて笑った。
「ええ、本当にそう思います」
それから、立ち止まった目的を思い出したように、隣のビルに走ってゆく。
1階は旅行会社のテナントだ。
何かと思えば、外積みのパンフレットを片っ端から抜き集め、すぐに戻ってくる。
『ザ・九州 (めんたいこ食べ放題つき)』
『パーフェクトお遍路八十八箇所バスツアー』
『情熱とガムランのバリ』
『芭蕉をたどるみちのく八日間』
『欧州周回10日間の旅』
『魅惑のエジプトスペシャル』
なんら統一感の無い紙の山をどうするのかと思えば、
鳴海はばふりと俺に押し付けてきた。
俯き加減の顔は、命の瀬戸際に立っていた先ほどよりも、ずっと落ち着かない表情だ。
「行き先は、言い出した田口先生が決めてくださいね」
エジプト?
というか、海外?
休み中の数日、二人でどこかのんびり出かけるつもりが、
ずいぶんと話が大きくなってきてしまった。
呆然とする俺に、鳴海はおずおずと切り出してくる。
「……私はあまり詳しくないので、何かあれば、教えていただけると助かります」
「え? 何をですか」
「心構え、とか」
「心構え、ですか」
「トランクのサイズ、とか」
「あの、買わなくて、いいんですよ」
「I see.」
本当にわかっているのだろうか。
『お遍路バスツアー』のパンフレットを熱心に読む鳴海に、
俺は心からの言葉を投げかけた。
「行き先がどこでも、鳴海先生と一緒だと、退屈だけはしないでしょうね」