約束どおり、俺は次の週末も、その次の週末も、足しげく鳴海の元に通った。
桐生の代わりにはなれないが、今の鳴海が俺を必要としてくれるなら、それでいい。
俺はそう、考えるようにしていた。
名店だの史跡だの、興味の無い場所に引っ張り出すうちに、
鳴海も少しずつ、楽しむふりを覚えていった。
だがその目は、やはり時折遠くを眺め、どこかに置いたきりの心を思い起こさせた。
リバーサイドの憂鬱
5章 三角州
8月17日
「ところで鳴海先生、盆休みは」
「バケーション?」
味オンチ、もとい洋食好みの鳴海のため、ホテルのレストランまで遠出した帰り、
俺たちは腹ごなしがてらにデパートまで歩くことにした。
珈琲豆を見立てて欲しいと鳴海が言い出したのだ。
賑やかなガード下を並んで歩きながら、食事中にどうしても言えなかった話題を、
俺はまだ切り出しあぐねていた。
鳴海に合わせて9月まで夏期休暇をずらしたのはいいが、その後の誘いがスムーズに進まない。
「先ほども同じことを訊かれた気がします」
「まぁ、いいじゃないですか。
確か、9月の第一週ですよね。私もちょうどその頃なんですよ」
「そうですか。先ほども言いましたが、それは奇遇ですね。
さっきも言ったけど、私は論文をまとめようかと考えています。前チームから翻訳も依頼されていますし」
「なるほど、なるほど。そうおっしゃってましたね」
さっきはここであっさり引き下がってしまったが、今度こそもう一歩を踏み込んでみる。
なぜならこれは、鳴海のリハビリを兼ねたチャンスなのだから。
「鳴海先生、たまにはゆっくり休まれてはどうでしょうか」
「週末休めるだけで充分です。本当は他院でのアルバイトを入れようかと思っていたくらいです」
「そうですか。相変わらず大変ですね」
「他にできることもありませんから」
「そうではなくてですね、あの」
俺は少し足を速め、鳴海の前に回りこむようにして、切り出した。
「よかったら、温泉でも、ご一緒しませんか。という話なんですよ」
鳴海はぎょっとしたように俺を見た。
「なんのために?」
そうきたか。
「いや、温泉じゃなくても構いませんよ。
海でも、山でも、高原でも。
シーズンオフですから、今からでも予約が取れなくはないでしょう」
「目的が不明瞭で、意図がわかりかねます」
「場所はどこだっていいんです。鳴海先生の行きたいところにしましょう」
「ですから、私は論文をまとめるつもりなので、田口先生はお好きなところに行かれてはいかがでしょうか。
たまたま休暇が重なっていたからといって、私に気兼ねする必要はないでしょう」
俺は唖然とした。意図が伝わらないどころか、鳴海は根本的な勘違いをしている。
あまり言いたくはないセリフだが、押し問答を打ち破るべく、俺は掌で額を押さえて、一気に吐きだした。
「目的は場所じゃありません。鳴海先生とご一緒したいんです」
鳴海は首を捻って俺を見ていたが、突然合点が行ったように目を見開いた。
「つまり、田口先生は、僕と休暇を過ごしたいんですか?」
「さっきからそう言ってるじゃないですか……」
商店の並んだ通りで、突然立ち止まった男二人を、通行人が横目で眺めながら通り過ぎる。
派手な中年夫婦の片割れが、振り返り振り返りいつまでもこっちを見ているので、
今度からこういう話は二人っきりのときにしておこうと、俺は固く心に誓った。
鳴海は踵を返し、何事も無かったように再び歩き出す。
その数歩後ろをついて歩き、俺はおそるおそる機嫌を伺う。
「まぁ、お忙しいのでしたら、また今度にでも……」
そう呟いた途端、鳴海は振り返って睨みつけてきた。
「忙しいだなんて、言ってないじゃないか」
「じゃあ、大丈夫ですか?」
「急な話なので……」
もはや週末同棲のようになっているというのに、なぜ、小旅行一つでこんな構えられなければならないのだろうか。
鳴海の背中を見ながらあれこれ考えているうちに、一つの推論に辿りつく。
桐生の言葉通りなら、離婚が成立したのは日本に来る時だ。
鳴海には、桐生と旅行に行く機会など、それほど無かったのかもしれない。
前をゆく鳴海が、ちらりとこちらを窺った。
何か言いたげなのを汲み取り、俺は再び鳴海に並ぶ。
横顔を眺めると、澄ましてはいるものの、目線が落ち着かない。
特に怒っているわけでもなさそうなので、 俺はもう少しだけ、押してみることにした。
「どこか、鳴海先生が、ゆっくり羽を伸ばせる場所があればいいんですが――」
俯き加減の鳴海が、口を開きかけたとき、前方から叫び声が聞こえた。