「これはなんですか?」
あくる日の朝、荷物の上に放り出されたままのひしゃげた箱を、鳴海は許可も得ずにバリバリと開け始めた。
いや、元々鳴海への土産なので、止める必要もないのだが。
「お土産のお饅頭です。
鳴海先生はご存知無いかもしれませんが、桜宮の水族館にはボンクラボヤという珍しいホヤがいるんですよ。
桜宮湾で見つかった新種だそうですよ」
「ああ、田口先生のこと?」
「違います。ホヤです」
箱は潰れていたが、中身は無事なようだ。
内袋を破り、赤い餡が透けた半透明の饅頭を、鳴海は摘み上げてしげしげと眺めている。
「心タンポナーデを起こしている心臓みたいだ」
「怖いことを言わないでください。ホヤです」
鳴海は臓器にたとえた菓子を口の中に放りこみ、甘い、と眉を寄せた。
箱をこちらにも突き出してくるので、つきあいで一つ、俺も口に入れる。
味はごくごく普通の桜饅頭だ。餡が赤すぎるのがやや気になるが。
「通常は白色なんですが、圧力の関係で体表が赤く変化するらしいんです」
もぐもぐと口を動かしながら、箱の裏側に書かれていた知識を、さも知っていたかのように鳴海に教える。
確かにちょっと甘いぞ。これ。
「やっぱり田口先生じゃないですか」
「違います。ホヤですってば」
鳴海はきゅっと俺の首を掴むと、顔を引き寄せ、口の端をべろりと舐めてきた。
急なアクションに目を白黒させていると、鳴海は顔を寄せたまま愉快そうに笑った。
「ほら。
鏡、見ますか?」
「いえ、結構です」
指摘されなくとも、顔に血が上ったことくらいはわかった。
「田口先生は、自身が考えているよりずっと顔に出るタチなんですよ。
ご自分では気づいていないのかもしれませんがね」
鳴海は、いつも通りの口の悪さを取り戻していた。
やや腹立たしいが、その様子に俺は少し安堵する。
だが、甘すぎる饅頭のために、鳴海が珈琲を淹れに行った隙に、不審なものを見つけてしまった。
壁に貼られていた俺の写真――正確には国士無双と俺たちの拡大プリント――が、
奇妙にくたびれていたのだ。
目を凝らすと、端の辺りが穴だらけになっている。
それが何度も写真を剥がしては貼りつけた跡だと気づき、ぎょっとした。
速水の辺りなど、小さく破かれた痕跡まである。
二週間の間に鳴海は、若い俺の姿絵を前に、どんな葛藤に苛まれていたというのか。
剥がしたくなるくらいなら貼るなよ。と、痛めつけられた速水の無言の叫びが聞こえてきそうだ。
やがて芳しい香りと共に、鳴海がデザイン違いの珈琲カップを二つ、トレイに載せてくる。
珈琲を飲み終わる前に、俺は言った。
「鳴海先生、出かけましょう」