すがる男に抗いきれず、結局また、してしまう。
まるでアル中患者に酒を与えているような気分だ。
寝室まで鳴海を引っ張ってゆけたのは、せめてもの進歩と言えるかもしれない。
半月ぶりの肌は痛いほど身体に馴染み、抜き差しならぬ場所まで辿りついてしまう惧れをその時だけ忘れさせた。
馬乗りに跨りながら、うわ言のように俺の名を繰り返す鳴海は、たかだか二週間でボロボロになったように見えた。
激しい腰遣いも、今日ばかりは技巧より必死さが先走っているように思える。
「た……ぐちせんせ………」
きつく締め上げる鳴海の内部。
そこが与える快楽に下肢は痺れていたが、鳴海の淋しさにつけこむようなセックスに、心のどこかが反抗を示す。
鳴海が必死になればなるほど、本当に求めているのは別の男だと、繰り返し脳裏に蘇るのだ。
繰り返される摩擦が、ふと途切れる。
気がつけば鳴海が、俺の顔を包みこむように覗いていた。
「田口先生……気持ちいいですか?」
行為の最中の言葉戯れではなく、不安そうに尋ねてくる。
「ええ、気持ちいいですよ」
安直に答えた後でわかってしまった。
どうやら俺は、桐生と同じ表情をしていたらしい。
しかし俺のそれは、後悔よりも、もっと根が深くややこしいものだ。
そう気づいた途端、すっと熱が引いてしまう。
あっと思う間もなく、鳴海が腰を動かした拍子に、たおんだペニスがずるりと抜けてしまった。
「あ、すみません」
挿入前はあれほど元気だった分身が、力なく倒れたのを目の当たりにして、俺はなんとも情けない気分に襲われた。
鳴海に申し訳ないのももちろんだが、若い頃はもう少し……という追懐が、自分の歳を思い出させてしまうのだ。
「心配しないで。
私が急がせてしまったのですから、田口先生のせいではありませんよ」
鳴海はそう言うと腰を退き、俺のペニスからコンドームを剥がす。
先ほどまで体内に入っていたそれを、なんの躊躇もなく口に咥えた。
「無理にエレクトさせる必要はありません。どうぞリラックスしていてください」
目を閉じて、鳴海の舌に任せる。
その動きは相変わらず巧みで、口ではなく、何か得体の知れない器官に捕らわれているような錯覚すら覚える。
しかしこれは、誰を引き止めるために磨かれた技巧なのだろうか。
気づかずコンドームを着けたのもあれは、自分を守るすべに他ならない。
以前ほど無邪気には快楽に乗り切れずに、それでも勢いを取り戻した俺は、
鳴海を掻き抱き、今度こそそのからだに没頭した。
まるで、なにものかから逃れるように。
「まだ、続けるつもりですか」
卑怯だと知りつつ、行為の後に切り出したのは、他のタイミングで告げる勇気が無いからだ。
俺の胸に置かれた、鳴海の手がぴくりと動いた。
「このような関係が、あなたのためになるとは、私にはどうしても思えません」
俺ではやはり、桐生の代わりにはなれない。
知っていた事象が、改めて圧し掛かってくる。
玄関先で出迎えた、打ちひしがれた鳴海の様子。
こいつが本当に待っているのは俺では無いと解りつつ、その姿に痛みを覚えた。
元々俺でなければならない必要もないのだから、
俺がいなくなれば、鳴海はまた新しい男を引き込むかもしれない。
だが、少なくともそいつは、桐生を知らない男だ。
俺のようにもがくことも、そのことを鳴海に意識させずにも済むだろう。
「お役に立てず、申し訳ありません。けれど――」
「嫌だ」
思いがけず激しい拒絶に、別れを繋げる言葉が途切れる。
「嫌だ。嫌だ。嫌だ。
なぜそんなことを言い出すんですか?
僕が面倒になった? 思っていたより気楽じゃなかったから?」
そんなことは最初から百も承知だ。
気楽な関係などと思ったことは一度もないし、
面倒が嫌なら、そもそもこんなところまでは来ない。
まぁ、思っていた以上、という感は無きにしもあらずだが。
「僕とのセックスが嫌になった?」
「いえ、それはありませんよ」
そう言い切った後、言わなければならない言葉を慌ててつけ加える。
「セックス抜きでも、鳴海先生は魅力的です」
「それなら、どうか、そんなことを言わないでください。
お願い、します。なんでもしますから、お願いします。
捨てないで……」
鳴海は俺の胸に顔を伏せたまま、か細く震える声を必死で紡ぎ出す。
「あなたにまで見捨てられたら、
僕はもう、どうすればいいのかわからない……」
その言葉を聞いてようやく、
俺は鳴海とうかつな関係を結んでしまったことを、心の底から後悔した。
四十前の男が気安く口に出せる言葉じゃないし、
四十過ぎた男が、気軽に答えられる設問ではない。
「……桐生先生は、あなたを見捨てたわけじゃないでしょう」
「――わかっています。だから」
鳴海はそれきり黙った。
いびつな沈黙が、情事の気配が濃厚に残る寝室に満ちる。
会えない二週間の間に、鳴海がボロボロになったかのように、俺の目には見えていた。
だが、それは間違いだ。
鳴海はとっくにボロボロだった。
さもなければ、始めから俺のところになど来るはずもない。
指先を血に染めながら、砕け散った鏡の欠片を拾い集め繋ぎあわせ、
そこに映す何者かを鳴海は求めた。
なぜならその姿見はあまりに脆弱で、鳴海自身を映すことに耐えられないからだ。
返事の代わりに、俺は鳴海の髪に指を埋めた。
うつぶせた肩がびくりと震えたが、なだめるように髪を梳くうちに、その力が抜けてくる。
鳴海は顔を上げ、継ぎ目だらけのひび割れた鏡越しに、弱々しい笑顔をこちらに向けた。
あの男は本当に、鳴海がこうなることに思い及ばなかったのだろうか。
最初の疑問が、改めて俺の中で首をもたげる。
なぜ、桐生は鳴海から逃げ続けるのだろうか、と。