あちらの駅に着く頃には、すでに夜になっていた。

 やはり携帯は繋がらないままで、メールの返事も来ない。

 饅頭の箱片手に、俺は半ば諦めかけていた。






 ひょっとして急な剖検か検査が入り、長引いているのかもしれない。

 勤務先に連絡すればはっきりするのだが、さすがにそれは気が引け、俺は真っ直ぐ鳴海のマンションに向かった。

 不在ならその足で、ビジネスホテルを探すつもりだった。



 エントランスで鳴海の部屋番号を入力する。

 30階の高さを隔て、インターホンが部屋主に呼びかける。諦めた頃に繋がる気配がした。

 はたして鳴海は在宅だった。



「鳴海先生、いらっしゃいましたか」

『……………田口先生?』

「すみません。電話が繋がらなかったもので、直接こちらへ」

『……………』

「あの、お忙しかったのでしょうか」

『……どうぞ』



 素っ気無いやり取りののち、ようやく仰々しいエントランスホールに足を踏み入れる。

 とりあえず無駄足にならなかったことに安堵しながら、真っ直ぐ30階に向かった。

 相変わらず場違いな感は否めない。鳴海のよそよそしさも気がかりだ。



 玄関のチャイムを鳴らすと、細く扉が開いた。

 隙間から、うつむき加減の姿が覗く。

 俺はおそるおそる声をかけた。



「二週間ぶりですね。顔が見られて安心しまし」

「本当にボンクラなんだな」



 挨拶の途中で引っ張り込まれ、息が詰まるほど抱きすくめられた。

 胸に挟まれて、饅頭の箱が潰れて落ちる。

 開きっぱなしの扉を慌てて閉めたため、俺は自分の足先まで挟んでしまった。



「僕を待たせるなんて、最低だ」



 肩に顔を埋めながら、鳴海が吐き捨てる。

 言葉の強さとは裏腹に、耳元で震える声はひどく弱々しかった。

 到着が遅れたことを責められているのだと気づき、俺は首を捻った。



「遅くなることは、留守番電話にも入れたはずなんですが」



 今までの待ち合わせ時間だって、きっちり決まっているわけではない。午後着が続いたのはたまたまだ。

 乗り込む直前に連絡を入れるので、着く時間の目安になるとか、いつもそれくらいのアバウトさだった。



「…………留守電は聞いていません」

「留守電くらい聞いてください。連絡がつかないから心配しましたよ」

「……てっきり断りの連絡だとばかり思ったから」

「それで携帯にも出なかったんですか?」

「もう、来てくれないものと、諦めていました」

「再来週になると、予めお伝えしたはずですが」

「喧嘩、したので」



 別れ際のあんな口論など、痴話喧嘩の範疇だ。

 ため息をつく代わりに、俺は鳴海の背を優しく叩いた。



「こうして来たのですから、許していただけませんかね」






 濃厚なキスが返答だった。






 舌を絡めては噛まれ、吐息と共に唇が離れ、また重なる。

 触れるたびに痺れてゆくような感覚が、二週間の鳴海の不在を俺に知らしめた。

 高まる熱の中で、俺の衣服に鳴海の指がかかる。

 欲望に衝き動かされてというには切実すぎ、鳴海の目は、ほとんどすがるように怯えていた。






 さすがに俺もこの頃には、鳴海のセックス依存の傾向に気づいていた。



 むろん、性依存は性欲の問題ではない。

 対人関係における、決定的な不安、欠落感だ。



「鳴海先生」



 奉仕しようと、膝をつきかける鳴海の腕を掴む。



「セックスのためだけに、ここまで来たわけじゃない」



 戸惑いに揺れる目で、鳴海は俺を見上げた。

 拒絶への恐れがその奥に覗いている。

 鳴海を支えながら、俺は告げた。



「あなたに会いたいから、会いに来たんです」



 鳴海は崩れ落ちるように、俺の足にしがみついた。

 ぎゅっと抱きついて離れようとしない。



「………二週間は長くて」



 震える声が静かに吐き出される。

 俺は玄関のドアに背を預けたまま、鳴海の頭を撫でた。



「ずいぶんと、淋しい思いをさせてしまったみたいですね。

 もっと小まめに電話すればよかったかな」

「電話はだめです」



 聞こえるか聞こえないかの小さな声で、鳴海が呟く。






「……会いたくなってしまうから」