「Excellent. 強引な田口先生もとても素敵だ。

 すごくセクシーだったよ」



 広い湯船も、男二人が浸かるとさすがに窮屈に感じる。

 俺はバスタブの淵に腕をかけ、沈んでしまわぬように気をつけながら、鳴海の胸に頭を預けていた。

 鳴海は膝の間で抱きかかえるようにして、俺の耳を濡れたタオルで洗っている。

 耳もくすぐったいが、あけすけにセックスを褒められることが、それ以上にこそばゆかった。



「鳴海先生こそ、あんなふうに、その、指だけで……」

「ああ、ドライオーガズム?」

「はい。すごいものなんですね」

「あれくらい、開発すれば田口先生だって」



 耳の裏で、鳴海の指が怪しく動き、俺は怯えて頭を離した。

 すかさず鳴海はなだめるように抱き寄せてくる。

 尻を滑らせた俺は鼻の上までぬるま湯に浸かってしまい、ごぼごぼとしたあぶくに視界を覆われた。



「そんなに怯えないで。 嫌がることは何もしないと約束しました」



 ぜいぜいと呼吸路を確保しながら、俺は答える。



「鳴海先生、勘弁してください。

 ただでさえ初めてのことばかりで、これでも戸惑ってるんですよ」

「初めてじゃないって言ったくせに」

「あれは軽い過ちみたいなもので、数に入れたくないんです」

「僕とのことも?」



 沈みかけた顔をじっと覗きこまれ、俺は答えに窮した。

 下手な答えでは、濡れタオルを顔にかけられるか、このまま湯船に沈められるかされそうだ。



「……こんな風に、誰かとお風呂に入るのは、本当に久しぶりなんです。

 それで許してもらえませんかね」



 引きつった笑顔でそう吐き出すと、鳴海はぷいとそっぽを向いた。



「いつまでその口調?」

「へ?」

「先生、先生って。ずいぶん他人行儀じゃないか。

 何回寝たら、気が済むのかな」



 どうやら不機嫌の矛先は、俺の言葉遣いに向いたようだ。

 そんなこと言われても、名前を呼んだ俺の出鼻をくじいたのは、鳴海自身の冷たい仕打ちだ。

 互いを先生と呼んでしまうのは、医者の世界の符牒だし、

 一度身についた姿勢と口調は、おいそれと変えられるものではない。



「まぁ、その辺はおいおいに」

「……わかりました。 おいおい、なのですね。

 それならば私も田口先生に倣うこととしましょう」



 嫌味ったらしくひときわ慇懃無礼に微笑むと、鳴海は俺を置いて湯船から出てしまう。



「あ、上がりますか。それなら私も」



 後を追おうとする俺の肩を、鳴海は優しく抑えた。



「いけません。 肩まで浸かって、百数えなければだめですよ」

「百、ですか」

「ええ。 ゆっくりと」



 湯気に煙る鳴海の背中を見送り、お湯が目減りした風呂の中で、俺はおとなしく数をかぞえた。



「いーち、にー、さーん、よーん、ごー、ろーく」

「そうそう、その調子です」



 曇りガラス越しに、身体を拭う細いシルエットが相槌を打つ。

 脱衣所からその姿が消えても、俺はひたすら数えていた。



「じゅうはち、じゅうきゅう、にじゅう、にじゅういち」



 やはりあそこで誤魔化したのは、よくなかったかもしれない。

 ふざけた態度に隠された、かすかな落胆に気づいてはいたのだ。


 しかし、米国式のあけすけな感情表現には不慣れだし、

 そもそも鳴海がどういうつもりなのか、俺には未だよくわからないままだ。

 気安く睦言を交わすには、桐生の存在はあまりに大きすぎた。



「よんじゅうご……よんじゅうろく……よんじゅうしち……」



 遠距離。同性。元・同僚。

 腹の底がわからない相手と、全く先が見えない関係。

 たゆんだ頭に様々な言説が浮かんでは消え、数と一緒にぬるま湯に溶けてゆく。



「……ろくじゅうに……ろくじゅうご……ろくじゅう……えーと……」



 それにしても今日もハードなセックスだった。

 鳴海は意外と乱暴に扱われるのも好きらしい。

 俺に嗜虐の趣味など無いが、あんなふうにしがみつかれるのは悪い気がしない。

 これから先、これほどまでに行為に没入できる相手と、はたしてどれほど知り合えるのかどうか。



 いや、もちろん、できれば、異性で。



「……いくつ、だったけかな…………」



 いい加減バカバカしくなった俺は、ざぶりと顔を洗って、湯船から立ち上がった。

 途端に立ちくらみを起こし、洗い場にしゃがみこむ。



「鳴海先生ー。

 あがりますよ、いいですねー」



 脱衣所の向こうに声をかけたが、当然返事は無く、了解を得たことにして風呂を後にする。









 鳴海が用意してくれた下着に着替えた俺は、まだ濡れた頭をタオルで拭きながら、

 リビングに戻った。



「いや、いいお湯でした。

 鳴海先生、何か飲み物は………」



 ソファでは、まだバスローブ姿のままの鳴海が、熱心に携帯電話をいじっていた。

 その携帯が、俺のものだと判り、あやうく悲鳴を上げそうになる。