「失礼な人だな。人のカムアウトを茶化すなんて最低の行為ですよ。

 大体どうしてそれが、田口先生を陥れることになるんですか」



 鳴海は怒りも露に、激しい口調でまくしたててくる。



「たとえば私が鳴海先生を口説こうとしたら、ぺろっと舌を出して

 『ごめんなさい。実はあれ、ウソ』

 とか言い出したりしませんよね」

「口説いてくださるんですか?」

「いや……、すみません。

 今のは言葉のアヤです」



 なおも憤る相手に、俺は非礼を詫びた。

 以前にそうやって騙されたことがあると告げると、鳴海は冷ややかな眼差しをこちらに向け、腕を組んだ。



「事情はわかりませんが、

 田口先生が、言われたことを確かめもせずに鵜呑みにする方だというのは大変よくわかりました。

 事件解決に力及ばなかったのも道理でしょう」



 目が『ボ・ン・ク・ラ』の四文字を物語っている。

 そんなことを言われたって、


 『ウワサで聞いたんだけど、君はレズなんだって?』


 などとうかつに訊けるものではない。 それはまごうことなきセクハラだ。




「田口先生のような、生粋のストレート男性には荷が重い話のようですね。

 いいでしょう。今の話は忘れてください」



 鳴海は小さなため息をついた。

 突き放したような物言いに、今度は俺がかちんと来た。



「突然のことで驚いただけです。

 鳴海先生のおっしゃるように、私は確かにストレートですが、同性との性交渉くらいの経験はありますよ」



 俺のカムアウト返しに、鳴海は一瞬、驚いたように目を見開く。



「意外だな。そういうタイプには見えなかったけれど」



 俺が対抗意識から見栄でも張っているのではないかと、鳴海は疑っているようだ。


 が、これは本当。

 ただし俺にとっては、思い出したくも無い不本意な体験だ。





















 あれはまさに、術死調査が佳境に差し掛かった頃だった。

 捜査の進捗状況が気になった俺は、地下の視聴覚室に白鳥捜査官を訪ねたのだ。



 何がどうしてそういう流れに及んだか、細かい経緯は覚えていない。

 俺がモテる、モテないの談義から、今までの経験人数を白鳥がしつこく尋ねてきたのだ。

 あれだって、まごうことなきセクハラだ。



「ええー? 田口センセ、今どき女性としかセックスしたことないんですか?

 それでもホントにお医者さん? なんだか信じられないなぁ」



 国家試験資格とそれとは、何も関係がないのではないかという俺の反論は見る間にやりこめられた。


 畳み掛けるような白鳥の誘導に乗せられ、

 気がつけば騎乗位で腰を振る白鳥の豊満な胸を、下から揉みしだいていた。

 今から思えば、あれはまんまとアクティブ・フェーズの術中にハマっていたのだろう。



 過剰に肉感的な身体は心底重かったし、射精の瞬間も、白鳥は桐生の手術ビデオから目を離そうとはしなかった。

 『時間がもったいない』んだそうだ。

 久々のセックスの相手がアイツだったと思うと、今この瞬間も、遍路に旅立ちたい衝動に駆られる。


 さっぱりした顔の白鳥に放り出された後、俺はその記憶を永遠に封印することにした。

 ゴキブリに噛まれたとでも思って忘れるのが一番いいだろう。





















 いつもの癖で会話中に回想に没入してしまった俺を、鳴海は不審げな眼差しで眺めていた。

 ふと我に返ると、窓の外は暗くなっていた。雨脚は強くなるばかりだ。



「――鳴海先生のお相手は、桐生先生ということですか?」

「……お互い、過去の詮索はやめておきましょう。

 どうやら田口先生の経験は、あまりいい思い出ではないようですからね」



 突っ込んだ俺の質問を、鳴海はやんわりとはぐらかす。

 そして再び沈黙する。

 話を急いだばかりに、開きかけた扉をうっかり閉じてしまったようだ。



 夜になりかけていたが、遠方から訪ねてくれた鳴海を、このまま帰してしまうのも後味が悪い。

 俺はとことんつきあう覚悟を決め、ひとまず席を立った。



「とりあえず、珈琲でも淹れましょう。

 いい豆があるんです」

「どうかお気遣いなく」

「私が飲みたいんです」



 今日ばかりは沈黙が重い。

 鳴海から逃げるようにパーテーションで区切られた奥、休憩室へと駆け込んだ。

 アルコールランプに火を点し、湯が沸くのを待つ。






 鳴海の同性愛対象は桐生と見てほぼ間違いないだろう。

 視聴覚セクションでの二人のやり取りを見た俺に、それを理解するのは難しいことではなかった。

 桐生に話題が及ぶと、頑なに沈黙を守るのが何よりの証拠だ。

 桐生ブラザーズの癒着は、こちらが思っている以上に根が深いもののようだ。



 しかし、白鳥の荒っぽい外科手術が原因だとして、

 俺がそのアフターケアまでしなければならないものなのだろうか?

 失恋カウンセリングは俺の診療領域外だし、鳴海に話す気がないのではどうしようもない。

 なんでわざわざ俺のところに――という、最初の疑問が改めて湧き上がってくる。



「煮詰まってますよ」



 ふわり、と空気が揺れた。