新幹線を降りると、そこはもう夏だった。
桜宮の夏も暑いが、温度だけではない。都市の持つ熱気というものは確かにあるのだ。
午後の賑やかなホーム。独特のイントネーションの方言が耳に飛び込み、俺の旅情気分を無駄に煽った。
それにしても腹が減った。
身支度にバタついたせいで、出かけに食事をかきこむ時間が無かったのだ。
新幹線の中で駅弁を買おうかとも思ったのだが、せっかく遠出するのだからと、
現地の食に思いを巡らせ、薄い珈琲だけで空腹を紛らわせていた。
鳴海はもう食べた後だろうか。
読みかけの文庫本を鞄にしまい、俺はターミナル駅の玄関を探してホームを歩き出した。
リバーサイドの憂鬱
3章 アンダー・ザ・ブリッジ
7月13日 土曜日
新幹線のコンコースを出てすぐの中央改札。その向こう側で、鳴海は所在無げに佇んでいた。
俺が片手を挙げるとすぐにこちらに気づき、驚いたような表情を浮かべる。
「暑いですね。そろそろ梅雨も明けるんでしょうか」
「……本当に来るとは思わなかった」
そして、遠路はるばる来たにしては、ずいぶんなご挨拶だ。
俺は少なからずむっとした。
「そりゃ、来ますよ。約束ですから」
「暑い中、ご苦労様です。では、とりあえず私の部屋へ」
値踏みするように俺を眺めた鳴海は、さっさと踵を返し、タクシー売り場へ急ごうとする。
慌ててその後を追いながら、俺は生理的欲求を率直に伝えた。
「あの、よろしければその前に何か食べませんか?
新幹線の時間が押していて、食事の時間が取れなくてですね」
「荷物を置いてからにしましょう」
手鞄一つで来た俺に、かさばる荷物など何も無いのだが。
「鳴海先生のお部屋に、オニギリとかありますかねぇ」
恨めしげに食い下がる俺をタクシーに押し込んだ鳴海は、言葉少なに運転手に行き先を告げる。
意外に思った俺は尋ねた。
「お車ではなかったんですか?」
「あることはあるのですが、日本の道路にまだ馴染めなくて。
道幅は狭いし、車も人も多すぎる」
鳴海が日本に戻り、もう一年は過ぎているはずだ。
訝しげな俺の目線に気づいたのか、鳴海は肩を竦める。
「慣れなくては、とは思ってはいます」
鳴海は機嫌を損ねたのか、その後はずっと黙り込んでいた。
呼びつけたのはそちらなのに、何か虫の居所でも悪いのだろうか。
車窓に向けられた端正な横顔を眺めながら、うかうかと来てしまって本当によかったのかと、
俺は自分自身に問いかけていた。
20分ばかり走ったタクシーは、辺りを見下ろすように突き抜けたタワービルの前で止まった。
どう見ても単身者用の住まいではない。再開発シンボルのような、真新しい超高層マンション。
俺の下宿とはえらい違いだ。
ラウンジまで備えたホテルのようなエントランスに、卑屈さを通り越して、だんだんと虚無感に包まれてゆく。
講師と助教授なんて、実はそれほど給料は違わないというのに、循環器センターはそんなに待遇がいいのだろうか。
病理は比較的時間の自由があると聞く。手堅くアルバイトでもして稼いでいるのかもしれない。
「実はミステリー作家とかじゃないですよね」
「何のお話ですか?」
乗り込んだエレベーターは30階で止まった。
上にさらに20階ほど控えているのを認め、ギャオスとガメラがこの辺で戦えばいいのにと、およそ現実離れした妄想に囚われる。
空腹に加え、どんどん帰りたい気分が増してくる。
「いいところにお住まいなんですね」
あらかじめ空調を利かせておいたのか、部屋の扉を開くとひんやりとした冷気が頬を撫でた。
後ろ手に鍵をかけながら、うんざりした口調で鳴海はぼやいた。
「一人では広すぎます。
義兄が置いていった家具に合わせて部屋を探していたら、こんなところしか見つからなくて。
日本は、家具が備え付けではないから不便ですね」
家具に合わせて部屋を探すという、その発想がまずおかしい。
「医師だとわかると、不動産屋が足元を見て来ますからね。実際はピンキリなのに」
皮肉をこめて、『キリ』の部分を強調しながら靴を脱ぐ。
片足だけ脱いだところで、鳴海に押し倒された。