ランチに誘おうと姿を探すと、器材置き場の扉に消える鳴海を見かけた。
そこは予備のゲストベッドなど、あまり使われない医療器材が置かれている倉庫部屋だ。人の出入りは少ない。
何の用事かといぶかしみ、桐生はその後を追った。
扉を開けると、壁を背にして座りこんでいる鳴海の姿が目に入った。
熱心に医学誌のページをめくり、脇にはコーヒーと袋に入ったままのサンドイッチが、手つかずで放置してある。
鳴海はちらりと桐生に目を向け、にこりと笑うとまた冊子に視線を戻した。
「ランチ休憩です。サボっているわけではありませんよ」
「こんな埃っぽいところで昼食を?」
「カフェテリアはうるさくて落ち着かないんです」
院内のカフェテリアでは、他のインターンやレジデントたちが、賑やかに昼食を囲んでいる頃だ。
桐生の知る限り、鳴海は一人で食事を摂ることが多いようだ。
「それにしては、食べてないじゃないか」
その横に座ると、桐生は鳴海の疲れ果てた顔に気づいた。
「食欲がなくて」
「無理してでも食べなさい。さもないと体がもたない」
「イエス、サー」
「それから、もう少し太りなさい。そんなに痩せていては倒れてしまう」
「それは立派なセクハラです」
澄まして答える鳴海の目元には、疲労と、深い隈が刻まれている。
疲れすぎて食べ物が喉を通らないのだろう。
夕べの当直は多忙を極めたらしい。
引き継いだ記録には、平均して八分に一度。
ひっきりなしに鳴り続けるコールと、患者が三度心停止を起こしたことが記されていた。
ほとんど睡眠が取れなかったに違いない。それでも翌日は通常業務だ。
そして宿直は二日に一度巡ってくる。
――この歳でもう一度インターンになるとはね。
初日に浮かべていた、鳴海の自嘲じみた笑みを思い出す。
「夕べは忙しかったようだね」
「夕べ《も》です。ドクター」
「きついか?」
桐生はわかりきった問いを投げかけた。
「ノー、サー」
サンドイッチをだるそうに口に運び、鳴海は答えた。
慢性の睡眠不足は日本の研修医と一緒だが、アメリカではさらに背負う負担が大きい。
研修一年目から数十人の患者を担当し、その呼び出しを一手に引き受けねばならない。
権限は無いが、責任は重い。
「結紮の花を咲かせる暇はなくとも、かろうじて休日はある。
日本に比べればここは天国だ」
異国でのハードワークの日々、一人の時間が欲しいという気持ちもわからないでもない。
桐生は鳴海を連れ出すことはやめた。
代わりに、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「友人は作らない主義なのか?」
鳴海は食事の手を休め、不思議そうに桐生の顔を見た。
「あなたがいるのに?」
「リョウ、同期は大切な仲間だ。
時にはライバルとして、あるいは戦友として、互いに切磋琢磨することができる。
昼食は交流の場でもあるんだ」
「なるほど、大変興味深い考え方です。
ですが、今はもっと興味深い論文が手元にありますので」
短い時間を、談笑より学習に費やすことを鳴海は選んだようだ。
熱心さを叱ることもできず、桐生は言葉を探しあぐねた。
「研究室に友人は?」
「いました。
でも、あなたには関係ないことでしょう」
次の話題が見つかる前に、耳慣れたアラーム音が、ささやかな昼食を中断させる。
うんざりした仕草で、鳴海は白衣のポケットからポケベルを取り出した。
「またライン確保失敗。ナースの後始末は全部僕の役目だ」
最後のパンくずを口につめこみ、短いランチタイムが終わる。
鳴海は桐生を置き去りにして、器材置き場を慌しく出て行った。
インターンとしての鳴海の評価は真っ二つに別れた。
技術は確かだと、シニアレジデントやアテンディングも評価していた。
勤務態度も真面目で勉強熱心、ナースや患者にも礼儀正しい。
けれど――、
鳴海を語る言葉には、必ず『But』が付いた。
彼は周囲に対して壁を作ってるように見える。
皆が談笑しているときも、クールに微笑んでいるだけ。
アカデミックな話題では饒舌なくせに、そのほかの話題には口をつぐむ。
英語が不得意ではないことは皆が知っている。
キョウイチ、同じ日本人なら彼の態度の意味がわかるかい?
留学先に適応しようとするあまり、立ち振る舞いがアメリカ人的になった桐生と同じように、
鳴海もある種のステレオタイプを過剰に演出しているかのようにも見えた。
すなわち、無口で何を考えているのかわからない東洋人、というイメージだ。
だが、心臓外科はチーム医療だ。
いくら技術や知識を身につけても、スタッフと信頼関係を築けなければ優秀な外科医になれない。
鳴海の熱心さとは裏腹に、ここに来て桐生には迷いが出始めていた。
――リョウの適性は、やはり研究職なのだろうか。
強引に引きずり込んだ手前、その疑念を表に出すことはできなかったのだが。