新鮮な心臓を手にして戻ると、サザンクロス心臓疾患専門病院は、桐生が初めて見る戦場と化していた。
午前七時少し前。まだ外来も開いてない時刻だ。
軽症者を含む多数のケガ人が、処置室の廊下にまで溢れ、治療を乞ううめきと呼び声が溢れかえっていた。
呆然と立ち尽くす桐生たちのすぐ横を、新しい担架が駆け抜けていく。
いつもなら迎えてくれるはずの看護師の姿も無い。
『どうなってんだ? ヘリが間違えてコソボに着けちまったのか?』
桐生と共に保冷箱を運ぶレジデントがぼやく。
桐生には、こんな時に冗談を飛ばす余裕は無い。摘出した心臓を移植するまでは時間との戦いだ。
『とりあえず、私たちは予定通りに移植だ。手術室に向かおう』
頷き交わし、急ぎ足で外科棟へ向かう。
大規模な事故か事件が起こったのは間違いないが、タイミングの悪さを桐生は呪った。
待ちかねていた移植心臓が、やっと巡ってきたところだというのに。
『キョーイチ! 遅いじゃないか!』
エレベータを降りたところで呼び止められた。手術着姿の男は、桐生も知っている顔の麻酔医だ。
『すまない。ハリケーンを迂回して、ヘリが遅れたんだ。
一体何が起こったんだ?』
歩きながら桐生は尋ねた。
『鉄道事故だ。旅客列車が転覆して大惨事さ。
患者の一部がうちにまで回ってきた』
溢れていた患者、あれすらも一部だと言う。事故の大きさを思い指がこわばる。
顔色を変える桐生に、麻酔医がじれったく急かす。
『早く続きを! こっちも後がつかえているんだ』
『わかっている』
控えた移植手術のことを考え。桐生は歩きながら頷いた。
ところが、麻酔医は桐生をエレベータに引き戻そうとする。
『そっちじゃない! SICUだ! 手術室に空きが無いんだ』
手術室では執刀医が、今か今かと移植心臓を待っているはずだった。
『待ってくれ。患者はまたSICUに? そんな話は聞いてないぞ』
『何言ってるんだキョーイチ。君が途中で抜けたと、看護師連中は大騒ぎだ。
人手が無いのはわかるが、あの状態で投げ出されるのはさすがにまずい。
担当医も君の話を聞きたがっている』
『何の話だ?』
一刻を争う時だというのに、話が全く噛みあわない。
緊急時ゆえに、何か連絡の行き違いが起こったのかもしれない。
一瞬の躊躇ののちに、保冷箱を同行のレジデントに預け、踵を返してSICUに向かう。
移植手術自体は難しいものではないので、アテンディングと彼だけでも充分乗り越えられるだろう。
いつも以上に慌しいSICUに入ると、麻酔医は一つのベッドの前に桐生を引きずり出した。
滅菌シートが狭いベッドを取り囲み、べっとりと血に染まったガーゼが床に転がっている。
看護師と若いインターンが、桐生の姿に、あからさまに安堵してみせた。
『さぁ、ちゃっちゃと閉めてくれ』
麻酔医が顎をしゃくった。
その先のベッドでは、見知らぬ患者が大きく開胸したままの状態で、
保護シートの下の肺臓器と肋骨、
BiVADをつけた心臓をこちらにむき出していた。