それはちょっとした冒険だった。


















 おれたちは二人ともヒルトンのロビーなんて入ったことは無かったし、

 ベルボーイに頭を下げられることも、フォーマルな大人たちの群れの中で、

 カップルとして振舞うことにも慣れてなかった。


 なんというか、雰囲気が違う。


 ラウンジに聳え立つ巨大なクリスマスツリーをバカみたいに二人で眺め、

 部屋に辿り着いた途端、勇が安堵のため息と共にベッドに座り込む。








「はー。緊張したぜ」

「……おれも」

「なぁ、ロビーに千晶いなかった?キモノの」

「千晶?なんで?」

「いや、気のせいか。

 予約、なんて言って入れたの?」

「小林イヌノ。ハタチ」

「……二十歳ねぇ」








 いつものレザージャケットを脱ぐおれを見上げ、勇が意地悪な笑みを浮かべた。







「ハタチの男が短パンなんか履かねえだろ」







 勇は変装のつもりかなんなのか、いつもよりゆったりしたニットのキャスケットを

 目深に被っていた。

 帽子を脱ぎ、クリスマスサービスのケーキとワインと人形に歓声を上げているその姿は

 まるで子供だ。







「ほら、ジャックフロスト」



 と、スノーマンのぬいぐるみを投げつけてゲラゲラ笑った。

 おれは苦笑してそれを受け止め、また勇に投げ返す。







「今夜はさ、このホテルの部屋のほとんどでカップルがセックスしてるんだろ?」

「まぁ、イブだからな」

「それってすげえよな。エロい声でも聞こえてこねえかなぁ」







 勇はスノーマンと一緒にホテルの壁に耳をつけた。 

 妙にはしゃいでみせるのは、勇もそれなりに戸惑っているんだろう。

 おれだって怖い。

 20センチほど間を開けて勇の隣に座り、何を話せばいいのか困惑しきりだ。








 つきあい始めて3ヵ月、おれたちの関係は受胎前とそんなに変わっちゃいない。

 学校ではパシらされ、休日は一緒に買い物行ったり、どっちかの部屋でだらだら過ごしたり。

 最近はバイトで忙しかったからそれもずいぶんお預けだった。

 変わったことと言えば、キスしても3回に1回は怒られずに済むとかそれくらい。

 でも、それがどんな凄いことかだっておれはちゃんと知っている。

 そして今夜は、もう一歩進んだおつきあいをするためにこの部屋にいるわけで――。








「あ、あのさ!今のうち渡しておくよ」







 いかん、緊張してまたおかしくなりそうだ。







「何?」

「勇に……クリスマスプレゼント」

「あ、オレもオレも」







 勇が先にハンズの紙袋を押し付けてくる。

 中身が気になってはいたけど、まさかおれへのプレゼントだとは思わなかった。

 というか、勇から何かもらえると夢にも思わなかった。

 雪でも降るんじゃねえか。








「開けていい?」

「おう、開けろよ」








 中から出てきたのは、……ご自宅用の包装の、サンタクロースの衣装。(ヒゲ付)

 こんなクリスマスじみて使い道の無いプレゼントをもらったのは生まれて初めてだ。








「う、う、うわぁ、ありがとう。すげえ嬉しーぃ……」

「ハハッ、いいだろ。バカみたいで」

「……わかってて寄越すんだな」

「クリスマスらしくていいんじゃない?」








 そう言って勇は、ぎゅむっとサンタの帽子を自分で被る。

 ちょっとぶん殴りたくなるほど可愛い。







「勇……、お前被り物似あうな……」

「おお、任せろって。

 ――な、開けてい?」

「うん」








 ずっと持ち歩いていた紙袋を乱雑にバリバリと破り、

 この日のために用意したプレゼントを勇は開く。

 中から出てくるのは小汚いデニムパンツ。







「あ……これって。

 TMTの………」






 どう見ても汚ぇ古着にしか見えないジーンズを、勇はどこのショップか一発で見抜く。

 さすがだなぁ。おれは買うときも何が違うのかさっぱりだったのに。

 本当は指輪とかあげたかったんだけど、さすがに最初のクリスマスじゃ急ぎすぎかと思って。







「前、すっげぇ欲しいって言ってただろ?おれ、覚えてたから」

「……………」



 あれ?







 手放しで喜んでくれるかと思ったのに、勇はなんだか渋い顔だ。

 やっぱもう一個のナントカナントカの靴のほうがよかったのか。







「サ、サイズもちゃんと勇に合わせてさ」

「…………っだらねえ」

「はぁ?」

「くだらねえって言ってんだよ。

 何?お前こんなモンのためにさんざんバイトしてたワケ?」

「…………」








 そりゃあこの日のために、夏休みから貯めた金は使い切ったようなもんだけど、

 勇が喜ぶ顔が見たくて、毎日必死で頑張ってきたってのに。






 ……なんだよその言い方。







 さすがにムカついて言い返したくなったけど、おれはぐっと堪えた。

 せっかくのイブだし、ケンカしたくねえもんな。我慢我慢。






「……ごめんな。気利かなくて。

 なんか欲しいものあったらさ、他に」

「そうじゃなくてさぁ!」






 勇は何か言おうとして口をぎゅっと結び、おれの方へとジーンズを押し付けてくる。






「いらねえよこんなの。お前履け」

「あ、でも、すぐ履いてもらおうと思って丈の長さを勇用にカットしてもらって」



 勇の眉がぴくっとなる。

 ああ、また地雷踏んじまった。



「…………ご、ごめん。別に足の長さとかそんなんじゃなくてそもそもサイズが」

「………ま、いいけど。

 コレ、いくらすると思ってんだよ。コーコーセーの買うもんじゃないって。

 大体ホテルだってラブホとかでいいだろ?ヒルトンとかさぁ……バカくせえ」

「……でも、クリスマスだし。

 夢だったんだよ。その……夜景の見えるホテルで初体験」

「見えないぜ。夜景」







 まぁ確かに、12階の部屋の窓から覗けるのは

 向かいのビルと下に覗く新宿衛生病院くらいだけど。

 衛生病院とか色んな思い出がありすぎてちょっとブルー入るけど。







「いいんだよ!心の目で見っから!」

「背伸びすんなよ。オトナの真似事したって何が変わるわけじゃないし」

「…………」

「――あのさぁ、オレたち来年受験だろ?

 会う時間とかも減っちゃうと思うんだよね」

「……………そんなこと」







 無い、ってわけでもないか。






「でさ、オレたち一応つきあってるワケじゃない?」

「………うん」

「……バイトもいいけどさぁ、今からあんま淋しい思いさせんなよ。

 高ぇプレゼントより、構ってもらったほうがなんぼか……さ。……その

「…………」

「……………なんだよ」

「……ごめん。

 素直な勇って慣れてねえもんだから、なんだか気味悪くて

「あ、ムカついた。もう二度と言わねえ」







 今度こそ勇は拗ねてそっぽを向いてしまった。

 ごめんな、ともう一度謝って、おれはぶん殴られるの覚悟でその肩を抱きしめる。

 勇はぶん殴る代わりにぎゅうっとおれにしがみついてきた。






「淋しかった?」






 訊ねても勇は肩に埋めた首を横に振るだけで、裏腹な力が背中に回された腕に篭る。

 息が詰まるほど強く強くしがみつかれて、

 ああ、ずいぶんと長い間勇に淋しい思いをさせていたんだなぁと思い知る。

 勇の背を撫でながら、おれはゆっくりと言葉を探した。






「……あのさ、おれ、色々と初めてだからさ……ぶっちゃけよくわからねんだよ。

 勇が、どうしたら喜んでくれるのかとか……だから」

「来年はさ……」

「……うん」

「……オレの部屋で一緒に過ごそうぜ。クリスマス」

「…………うん」





 来年の今日も一緒に――と、遠まわしだけど言ってくれていることが嬉しかった。






 不器用なのは二人ともだから、

 毎日ぎこちないことだらけで、

 それでもなんとか歩み寄ろうと、

 試行錯誤の連続で。







「――勇」

「……何?」

「あ、あのさ」







 こ、このタイミングで言わなきゃ、いつ言えるかわからねえ。





「あ――愛してっから!






 やべ。声うわずっちゃった。






「――知ってる」






 勇は実に淡白に、おれの生まれて初めての言葉を受け止める。




「知ってるから言わなくていい。

 何度も言うとうそ臭くなるから」

「……ごめん」

「もし――オレがすげえ不安になったら、その時ちゃんと聞かせて。

 それまで言わなくていいから」






 お前がすげえ不安になったら、言葉じゃとても追いつかないだろ。




 でもおれは



「わかった」



 とだけ答えた。

 勇を不安にさせないように、おれにできることをしよう。







 しがみついていた腕が緩み、勇が拗ねた目でおれを見上げる。

 同じように拗ねて尖らした唇に、おれは自分の唇を重ねた。

 柔らけぇ唇を軽く噛み、舌を差し込んで口腔を貪ると、

 勇が控えめにそれに応じる。






 くちくちと音を立て舌を絡ませながら耳をくすぐると、

 唇を逃れてため息がこぼれる。

 ここまでは怒られながらも何度かやってきた。

 今日はその先に進むべく、セーターの裾から指を潜らす。


 
すべすべのわき腹を撫で上げると、勇の体がビクッとなった。







「顔……ねえな」

「あってたまるか」

「なんか顔ついてる気がしてた」

「……あ、あのさぁ、イヌノ」






 圧し掛かるおれの体を逃れるように勇が口を開く。







「な、何?」

「……ずっと聞きそびれてたんだけど、

 何? オマエ結局掘りたいの?

 それとも……掘られたいのか?」

「とりあえず――ど、童貞捨てたいんだけど……」






 おれが恥じらいながらそう言うと、勇はほっとしたように胸を撫で下ろし、






「助かったぜ。そっちならまだ経験あるし。

 オレ実は掘ったことねえんだ」






 喜んでいいのか悲しんでいいのか微妙な応答だけど、

 勇はとりあえず虚勢を取り戻したようだ。



「不安がらなくていいぜ。

 大船に乗ったつもりで任せとけって!」






 おれは大船じゃなくて勇に乗りたい。

 ベッドに手をつきながら勇を掻き抱き、思い出したことがこちらにもある。






「おれも……ずっと聞きそびれていたことがあったんだけど」

「何?」

「この世界でおれが初めて目覚めたとき、お前……なんかおれに言ってたよな。

『……おい、聞いているのか?』

 って――。

 ……あの時さ、寝てるおれになんて言ってたんだよ」






 勇は始め、何のことかピンと来ない顔をしていたが、









「あ」








 思い当たったのか、口を押さえてみるみる耳まで真っ赤になる。

 なんだこの新鮮な反応は。







「……憶えてねえよ。忘れた」

「嘘つけ!!

 今のどう見ても忘れてる反応じゃねえだろ!」

「まぁ、いいだろ。過ぎたことは」

「……メチャメチャ気になるんだけど」

「今度もっといいこと言ってやるから」





 こいつ、とびきりの笑顔でごまかす気だ。

 言いかけた文句を人差し指で塞がれ、おれはあっさりとごまかされてみる。

 しかし気になるなぁ。






「ほら、さっさと服脱げ」

「う、うん」






 強気なのは口先ばかりで、合わせた肌は少し震えていた。

 唇や、それ以外の場所にキスを繰り返し、

 何度も夢に見た身体を裸で掻き抱く。

 昂ぶった肉同士が触れ合い、勇はぎゅっとシーツを握り、声を押し殺す。






「………勇……すっげぇかわい」






 思ったままに耳元で囁くと、

 枕に顔を押し付けていた勇は、きっとおれを睨みつけ、言葉の途中で顎を押しのけた。






「いってぇ!舌噛んだだろ!」

「うるせえ!やってられるか!

 もういいからさっさと入れろ!!」

「え……?だって前戯は30分以上掛けろってホットドックプレスに」

童貞の分際でオレに逆らうな!!

 こっちは恥かしいんだよ!」

「ごめんなさい」






 ち、ちくしょう。そのセリフが吐けるのも今日までだからな。

 お前ががそう言うんなら挿入してからヒーヒー言わせてやると身の程知らずにも企み、

 勇の足を大きく開かせてその足でまた蹴られる。でもめげない。

 先走ったおれのマガタマが白い太腿に触れて糸を引く。

 そのあられもない姿だけで至高の魔弾を出そうなおれ自身をいなしつつ、







「……ゆっくりするんだぞ」






 脱いだジーンズのポケットから弁当用醤油差しサイズのローションを出す勇は、

 なんというか、面倒見のよさを軽く通り越してこっちが切なくなってなる。






「……………悪ぃな。初めてとかじゃなくて」






 おれの戸惑いが見透かされたのか、勇が目を合わせずにそんなことを呟き、

 
慌てて首を横に振った。






「いや、おれこれっぽっちも気にしてねえから!

 勇の初めてがヒジリさんでもオニでもナーガでも!」

「…………なんか誤解してるけど、まぁいいや」






 しなやかな指でローションを塗りつけられてヘンな声と声以外のものを漏らしそうになり、

 
いよいよ挿入とか、その、






「あ」

「なんだよ」






 動きが止まったおれを勇が見上げる。






「……コンドーム忘れた」

「はぁ?」






 そうだ。

 クリスマスプレゼントに気を取られすぎて肝心なものを忘れていた。

 家で何度もつける練習したのに、おれのバカ。

 勇がヘッドボードを見上げて肩を竦める。






「さすがラブホじゃねえから置いてないな」

「勇持ってる?」

「あ、オレも持ってねえや。

 オマエがヘンに勘繰るから持ち歩くのやめたんだ」






 おれは股間をティッシュで拭い、ベッドを降りて勝負パンツを履き直した。






「……やめるのか?」

「買ってくるからちょっと待ってて」

「別にナマでいいだろ。妊娠するわけじゃないし。

 ――その、オマエが嫌じゃなかったら、だけど」

「なるだけ勇の身体に負担かけるようなことしたくないから」

「………ふーん。

 ま、好きにすれば?」






 勇は照れて唇を尖らす。

 その頬に軽くキスして、おれはサンタクロースのコートを皮ジャンの上に羽織った。



「着てくの?」

「いや、勃起全然おさまんなくて。

 おれの短パンだと目立ってしょうがねえからこれで隠す」

「うん……説明しなくていいから。

 ――あんま遅れずに戻ってくるんだぞ」

「いってきます」

「ん。いってらっしゃい」









 裸でベッドに潜ったままの勇を置いて、おれは足取りも軽く夜の副都心に躍り出る。

 ベルボーイや外国人客に笑顔で見送られ、

 白い息を吐きながらにわかサンタクロースはホテルを見上げた。

 
はらはらと落ちる雪。

 明日までのイルミネーションと窓の向こうの恋人たち。

 どこに勇がいるのかわからないまま大きく手を振り、

 コンドーム目指して次の冒険へと新宿に駆け出すおれの名前は小林イヌノ。

 ヘンな名前だが親がそうつけたんで仕方ない。

 その昔人修羅と呼ばれていたことがある。






 そして今、走ってるおれは、

 単に恋する一少年だ。 



























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おまけ