人の気配に、オレは慌てて煙草をもみ消した。
体育館の裏にめったに先生は来ないが、上級生に絡まれると面倒臭い。
「勇」
逃げるか隠れるか迷うオレの前に、顔を出したのはもっと面倒なヤツだった。
「まだ帰ってなかったんだ。声掛けてくれればいいのに」
「……見事に一日寝てたよな、オマエ」
「祐子先生に絞られたよ。勇のMD、返してもらってきた」
脇に座るイヌノはまだ眠そうに見えた。
いかにも昨日眠れませんでした、って顔で朝の挨拶を交わして、
こいつは何も訊かないし何も怒らない。からっぽのMDの訳も。
「あとでノート写させて」
「千晶に頼めば?アイツのほうがわかりやすいぜ」
「千晶、怖ぇから。他人をアテにするなって」
「ハハハ」
当たり障りの無い会話。
訊きたいことは他にあるんだろうに。オレにもコイツにも。
いや、これでいんだよな。
上っ面の会話の何が悪い。
「帰りさ、どっか寄ってく?」
「部活出ねえの?」
「今日はキツイし、いいよ。勇ももう帰んだろ」
「タワレコ見たい」
「渋谷?新宿?」
「渋谷」
もう逃げ回るのも疲れた。
上手い具合に諦めてくれねぇかな、コイツ。
オレはどうしたいんだろ。もうわかんねぇや。
「昨日さ」
イヌノが急に切り出した。
オレは不機嫌になる表情を止められない。
「ヒジリさんと………メシ食ったの?」
「食ってねぇよ。すぐ帰った」
「ケータイ」
「充電切れ」
「嘘つくなよ」
背中では壁越しにバスケ部が球つく音が聞こえる。
なんだよ、部活でも入ってりゃこんな目に遭わないですむのかよ。
「関係ねえだろ。オマエ最近うざい」
「おれは変わらないよ。元のままだ」
そう言って、確かめるように手の甲を見ている。
「勇が好きだ」
オレは答えなかった。
煙草を取り出す指が震えた。
「煙草、やめろよ」
「うるさい」
「すげぇ好き」
「告るか止めるかどっちかにしろよ」
「じゃあ告る」
バカだ、こいつ。
今までのオレの苦労全部無駄にしやがって。
オレたちのバランス保つために、どんだけ気ぃ使ったとか、
なんでわかんねぇんだろ。わかってくれないんだろ。
「告ってどうすんだよ。
野郎二人で何がしたいワケ?」
恋愛がどんな脆いのか知らないのかよ。
面倒なことだらけなのに。
今のままのほうがよっぽどうまくいくのに。
「一緒に帰ったり、
遊びに行ったり」
「いつもと変わらねぇだろ」
「触りたい」
言葉どおりに頬に触れてきた。
イヌノも微かに震えていた。
「……オレのことなんか、何も知らないくせに」
そう言うと一瞬ひるんだけど、
「じゃあ、教えろよ」
めげずに、黙ってりゃキレイな顔を近づける。
オレは観念して目を閉じた。
目を閉じた途端に、昨日のキスを全部思い出してイヌノを突き飛ばした。
「触るんじゃねー!この変態ども!!」
オレは逃げた。
動転し過ぎて言えなかった悪態も、二度目なので口を出た。
やっぱ人間慣れだ。
ちくしょう、イヌノのバカ。
オレに執行猶予すら与えないつもりかよ。
触って、寝て、
そんで駄目だったらもう取り返しつかないんだぜ。
オマエの期待すら裏切ったら、