今日こそ告白するつもりだった。
夕暮れの代々木公園は人もまばらで、時折犬の散歩やアベックとすれ違うくらいだ。
おれは千晶と並んで歩きながら、ゴールデンレトリバーに追い掛け回されている勇の
帽子をちらちらと目で追っていた。
「よかったわね。祐子先生元気そうで。
わたしも進路相談できたし」
「うん」
「あの様子ならもうすぐ退院できそうじゃない。
それにしても、一体どこが悪いのかしら。
やっぱり授業中に神がどうのこうのとか言い出したせいなのかしら」
「うん」
「祐子先生、嫌いじゃないんだけどちょっと心配なのよね。
もう来年は受験なんだし、もうちょっと実践的な教え方をしてもらったほうが
助かると思わない？」
「うん」
「人の話、聞いてないでしょう」
「うん」
肝臓に肘を入れられ（人体の急所だ）、おれはようやく勇から目を離した。
「千晶、頼みがあるんだ」
「何よ」
「……300円やるから、先に帰っててくれない？ 頼む！」
「2000円」
「お前、お嬢様のくせにケチ臭いぞ」
「育ちがいいから自分の対価を安く見られるのが許せないのよ。
これでも幼馴染み価格なのよ。
本当は金で人の言うことなんて聞きたくないもの」
じゃあタダでいいじゃん！
「500円」
「1800」
「550円」
「1700」
「580円。傷薬もつけるから」
おれはポケットから絆創膏を出した。
「……なによ、そのケチな値切り方。
大体なんでバンソウコなのよ。要らないわよそんなもの」
値切りのスキルを持っていなかったので、結局952円でケリがついた。
というか、千晶が呆れて根負けした。
「……なんだか知らないけど、ま、ごゆっくり。
どうせ塾でそろそろ帰らなきゃいけなかったし」
「だったら金返せよ！」
「それじゃお先に。
勇くんによろしく言っておいて」
千晶はいなくなった……。
理由を聞かないのは察しがいいのかおれたちみたいな愚民どもに興味がないのか。
幼馴染みながら恐ろしい女だ。
こうしちゃいられない。
「勇！人気のない暗がりに行こう！」
振り返り叫ぶと、そこにいたのは舌を出したゴールデンレトリバーだけだった。
おれを見上げてパタパタと尻尾を振っている。
「勇……一体誰と合体したんだよ……。今度は代々木公園の魔獣イサム様か？」
レトリバーを撫でると、飼い主らしいオジさんが
「あの膝の破れた子？」と犬を引き放した。犬なんか襲わないっつーの。
「あの子ならダックスフントに追いかけられてあっちへ行ったよ。
逃げ足の速い子だねぇ」
「ありがとうオジさん！」
どーしていっつもいっつもすぐいなくなるかなぁ。
ま、でも、もう邪魔者はいない。
世界はこんなにも平和なんだし。
焦らなくていいんだ。収まれ、心臓。
カグツチ……じゃなかった太陽、もうちょっとだけ沈むのを待ってくれ。
おれがあの子に最高の夕日の中で好きだって言えるまで。
反対の出口へと走りながら、おれは何度も練習した告白の言葉を心の中で反芻していた。
おれの名前は小林イヌノ、都内の高校に通う２年生。
ヘンな名前だが親がそうつけたんで仕方ない。
男前という以外は一見平凡なおれだけど、人に言えない秘密がいくつかある。
昨日まで悪魔だったとか、今踏みしめている世界はおれが創ったんだとか、
男にしか興味が無いとか、こう見えて実は童貞だとか。
ちょっとだけ人には言い辛い秘密ばかりだけど、
（特に前半は。頭がおかしいと思われそうで）
今走ってるおれは単に恋する一少年だ。
クラスメートの新田勇。
にった いさむ。
もう名前からして可愛い。
顔もかわいい。帽子が世界一似合うとおれは思う。
服と女の話しかしないとこも嫌いじゃない。
性格も……えーと、その、
わがままで高飛車で気まぐれで卑屈だったり構ってもらえないとすぐ拗ねたり、
すぐ他人をアテにして、そのくせ思うようにならないと自分の殻に閉じこもる
とことか、スゲー可愛い。
と、おれは、その、一応、思う。
でも、うまく言えないけど、
おれは、たぶん本人すら知らない勇のいいとこをいっぱい知ってる。
あの世界を生き残れたおれしか知らない一面。
「チックショウ………どこにいんだよ！
また妖精の仕業か？」
代々木公園はもう迷路じゃなかったけど、それでもダダ広くて、
おれは勇の影もつかめないうちに日が暮れようとしていた。
「出て来い！オベロン！おれはもう引っかかんないぞ！」
大声を上げるおれをヒソヒソ指差しながらカップルが通り過ぎてゆく。
人間の体に全速力で走り続けられるはずもなく、おれはずるずるとベンチに
へたれこんだ。
情けねぇなぁ。走りっぱなしなんて全然平気だったのに。
夕日の公園から夜のベンチへと、告りシチュを脳内シフトチェンジしている最中に
携帯が鳴った。
『なー、オマエらどこにいるワケ？
オレもう帰るよ』
「どこいるんだよ勇！
勝手にいなくなんなよな！」
『あれ？
千晶と二人でいるから、気を利かせたつもりなんだけどな。オレ』
「すげえよけいな気使うなよ！
ずっと探し回ってたんだぞ！」
『電話くれりゃいい話じゃん』
「あ。
……そっか、携帯繋がるんだよな。
まだこの世界に慣れてなくて……」
『ハハハ、何言ってんだよオマエ。
ま、いいや。帰るんなら一緒行こーぜ
東入り口で待ってるからさっさと来いよ』
いつものように一方的に電話が切られ、
瞬き始めた星を見上げながらおれは来た道を引き返した。