あれを覚えているのは私だけではないはずです。
世界が滅び、肉体が滅び、また世界が滅び、
そうしてまた、私は生きた人間としてここにいる。
人はあれを夢で片付けるのでしょうか。
雲が形を変えてゆくこの世界こそ、神様が見せている夢ではないのでしょうか。
「こんちは」
交番の戸を開け、高校生くらいの男女が入ってきました。
私は日誌を閉じて、無愛想に椅子から立ち上がります。
「落し物?」
「ちょっと道をお聞きしたいんですけどー、
新宿衛生病院って、この道真っ直ぐでいいんですか」
「なんでこんな道間違うのよ。しっかりしてよね」
「しょーがないだろ。花屋見つからないし」
「男二人もいて、なんで花束くらい来る前に買ってこないのよ」
「そういう千晶が買ってくりゃいいだろ。
花なんてわかんねーしさー」
「お見舞い行くって言ったのあなたたちじゃない」
「まぁまぁ、千晶も勇も」
「衛生病院ね、甲州街道沿いに真っ直ぐ行くと見えてくるから。
看板の角を右ね。花屋はそこの商店街にあるから」
「あ、どうも」
「お見舞い?偉いね」
姦しさに目を細めると、少年は帽子を直しながら照れ臭そうに笑いました。
「早く行こうぜ。先生に会う時間減っちゃうだろ」
「大体、なんで新宿の病院行くのに待ち合わせが代々木なのよ……」
「いいんじゃないか?天気もいいし」
強すぎる日差しの下、黒い紙魚のような姿が駆けてゆきます。
横断歩道を渡る前に黒い帽子が振り返り、軽い敬礼をおどけてよこしました。
私も敬礼して、かつての神様を見送りました。
雲はいつのまにか風で散り、もう、ただの雲にしか見えないのでした。
End
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