深夜の電話はもちろん勇からだ。
さて、明日に備えて今日はもう寝ようか、という寝入りばなを叩き起こされた。
「…………イヌノ」
「………ごめん……寝てた……」
「…………」
「……どうしたの、勇」
「……もうオレ受験やめる………」
「……………入試、明日だろ…………」
時計を見る。AM0:12分。
正確には、もう今日だ。
今日は二人で受ける志望校の入試日。
「もうやだ……」
「……せっかく今日までがんばってきたろ………」
「オレには無理だよ……。センターだって全然だったし」
「受けるだけ受けてみようよ。せっかく今日までがんばってきたんだから」
元々プレッシャーに弱い勇は、
本番が近づくにつれていっそう情緒不安定になっていった。
ほとんど受験ノイローゼだ。
センター試験の帰り道、答え合わせに立ち寄ったマックでは、
おれの励ましの言葉が気に食わなかったらしく、怒り狂って灰皿を投げつけた直後に
机に突っ伏してへこんでいた。
おれに当り散らすのはいつものことなんだけど、こうして泣き言まで訴えるってことは、
本当に弱っているんだろう。
正直、たかだか受験にそこまで神経を尖らせる気持ちはよくわからない。
一昨年の命がけのカグツチ試験に比べたら、別に世界がかかってるわけじゃないし、
誰を傷つけるわけでもない日常の範囲だ。
ただ、しんどそうな勇を見るのは辛くて、早く受験終わんねえかなぁとか、
おれの考えはせいぜいそれくらいだった。
「ぜってーダメだよこれって。どうせオレなんか受かるわけないし……。
それなら受けるだけ無駄だろ……」
それでも、ゲンをかついで『落ちる』という言葉は絶対使わないのが、
なんだか勇らしい。
ここで
『大丈夫だって!』
とか無責任に励ますと、勇がブチ切れるのはわかってるから避ける。
なんの根拠も無い言葉に勇は過敏だ。
「いいじゃん、ダメでも。別に死ぬわけでも東京がひっくり返るわけでもねえしさぁ」
「でもさぁ……」
「いざとなったら勇くらいおれが食わせてやるって。どうにでもなるよ」
「……………」
寝起きの頭で出た、適当な励ましの言葉だったけれど、うん、なんだかステキな考えだ。
「うん、そうだよ。それがいいよ。勇、受験なんてやめちまえやめちまえ」
「おい。無責任なこと言うなよ」
「責任取るよ。あんま贅沢させてやれないかもしんないけど、勇の着道楽くらいは
満たせるように、おれ、がんばるよ」
「……なんだよそれ。
オレはメシ作ってオマエの帰り待つなんてごめんだぜ」
「そんなノンケの役割分担の真似事してもしょうがねえだろ。
なんだったらメシもおれが作る」
「ゲイリブかよ!」
「今はカレーしか作れねえけど、まぁそのうち、勇の好きな味付けとかも覚えるし。
あー、家に帰ったら勇が毎日家にいるなんて幸せだよなー。
おれは三国一の幸せものだー」
「…………………」
「あ。 それだったらおれも受験やめようかな。
大学卒業とかまで待つのももったいねえし。卒業したら肉体労働でもしようかなぁ」
「…………あのなぁイヌノ」
「おれ、勇と一緒に銭湯行くの夢だったんだ。風呂の無いアパート探さなきゃな」
「本末転倒だから!それ!」
なんか怒られた。
「………だからさ。だめでも、どうにでもなるって。 あんま思いつめんなよ」
精一杯励ましたつもりなのに(途中から願望に入れ替わったけど)
携帯から聞こえてくるのは、勇の大げさなため息。
「……………イヌノ」
「なに?」
「あんまさぁ、甘やかすなよな。
オマエがそんなんだと、こっちが甘えられないっつーの」
あ。 甘えてる自覚は一応あったんだ。
「そっか。 勇はむつかしいな」
「……も、いい。 なんだか悩んでるのバカバカしくなってきた」
「こういうときなんて言えばいいんだ?」
「自分で考えろバカ」
「一緒に暮らそう、しか思いつかねーよ」
「………『泣き言言わずにがんばれ』」
「泣き言言わずにがんばれ。 おれがついてる」
「ん。 わかった。 また明日な」
「今のアドリブどう?」
「50点。 おやすみ、イヌノ」
掛かってきたときと同じ唐突さで電話は切られた。
あれでちょっとでも元気出りゃいいんだけど。
勇の声を聞いたことで、取り残されたおれのほうが返って悶々としてしまう。
あー。 勇に会いてえなぁ。
『セックスは脳細胞減らすんだって!』
とか、どこで覚えたんだか要らない知識振り回して、最近はとんとご無沙汰だしな。
今度創世の機会があったら、絶対に受験の無い世界を創ろう。
明日の試験が終わったら、合否に関わらずあとは卒業を残すくらいかー…。
色々あったなぁ3年間。
東京がぶっ壊れたり(中略)色々ありすぎたくらいだぜ。
でも……どうだろうな。
あんなことが無かったら、今こうしてつきあっていたのかは怪しいもんだ。
東京受胎も何も無かったら、卒業を控えて、勇に告白しようかどうかと、
イライラしていたのはおれのほうかもしれないな。
そう考えると、祐子先生にももうちょっと感謝……いや、それはやめとこう。
人生はどこでどう転ぶか本当にわからない。
まさか勇とつきあうことになるなんて、出会った頃は思いもよらなかった。
……可愛かったよな。 勇。
いや、今も充分すぎるくらい可愛いけど。
寝付けないおれの思索は、受験前の緊張を足がかりに、3年前の冬の日まで遡って行った。
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