全ての吻合を終え、大動脈のクランプを外す。
途端に閉ざされていた血流が、新しい心臓にどっと流れこんだ。
少し遅れて、色づいた心臓が鼓動を創める。
子供の生命力を目の当たりにするような、力強い脈動だった。
――この瞬間の達成感を、心臓外科医以外のものは知らないのだろうな。
安堵と歓喜を術衣の内に秘め、桐生は拡大鏡の上の隙間から、向かいの鳴海を盗み見た。
涙の名残がわずかに残る目は、今や慈しみに満ち、脈打つ心臓に注がれている。
「よくやった、リョウ。離脱に入るぞ」
鳴海が視線を桐生に戻し、頷く。
鳴海はほとんど完璧に第二助手を勤め上げたかのように見えた。
だが、鉤を外した途端、まるで糸が切れたかのように、後ろへ倒れこんだ。
翼状針を手の甲に刺すと、鳴海が薄く目を開いた。
刺さった点滴をしばらく虚ろに眺めていたが、我に返って起き上がろうとする。
「……ドクター、申し訳ありません。すぐに手術室に戻ります」
「いや、いいんだ。もう終わったよ。移植は成功だ」
失神した鳴海を、空いている診察室へと運んだのは桐生だった。
鉤引きから開放された途端、鳴海の身体は音も無く崩れ落ちたのだ。
過労が限界を越え、手術中に卒倒するインターンはさほど珍しくない。
「よくやってくれた。ありがとう、リョウ」
「やめてください。礼を言われるとみじめになる」
「なぜだ?」
「泣き言を吐いた上、醜態まで晒して、恥をかかせてしまった」
「そんなことはない。君は立派に勤め上げた」
昨夜は睡眠どころか、息をつく暇も無かっただろう。
ハードな当直明けに、無理をさせたと思えば胸が痛んだ。
けれど、あのまま帰していたら、鳴海はそのまま外科を諦めていたのではないか。
そのおそれが、桐生に袖を引かせた。
そして、鳴海が倒れたとき、桐生は彼の情熱を知った。
手術中に倒れるインターンは珍しくない。
けれどもその多くは、手術の真っ最中に倒れる。
鳴海は気力だけで、自分の責務を耐え切ったのだ。
「心臓外科医の世界へようこそ、ドクター鳴海」
――やはり、自分の選択に間違いは無かった。
点滴ラインが延びた手を握りながら、桐生は頑なに、そう信じた。
「泣いて喚いてひっくり返って、これでようやく、君は一人前だ。
――インターンとしては、だけどね」
やっと鳴海が笑った。
それから枕に頭を預け、じっと桐生を見つめた。
「まだ、僕が必要だと?」
「もちろん」
「あなたが、僕の姉と交際しているから?」
唐突に姉との関係を示唆され、桐生はぎくり、となった。
「そんなことを気にしていたのか?
彼女と君とのことは、全く別の問題だよ。
もう少し眠りなさい、リョウ。君には休息が必要だ」
桐生が立ち去ると、鳴海の世界は天井とカーテンと点滴だけになった。
柔らかすぎる枕に髪を埋め、死んだように瞼を閉じている。
不意にその目が見開かれる。
「Honest to God?」
独り言のように囁き、それから彼は、点滴の針を引き抜いた。
O P E N Y O U R H E A R T