キリスト圏の神の福音、あるいは年末デパート商戦。
街はまごう事なきクリスマスイブだ。
邪宗の男につまりまぁ、呼び出されて怒られている。
「………今は何時かね」
「11時12分、てとこか」
生憎腕時計をする習慣がない俺は、携帯電話を眺めてちゃんと答えた。
聖夜――イブ――の六本木はどこを見ても外国人とカップルだらけだ。
待ち合わせは人目を忍んで森ビルの裏。
10分も寒空の下待たされていたお忙しいテクニカルオフィサーが、
おかんむりなのはしょうがない。
祈る神を探そうにも、
「いいかね……私はガイア教徒だ」
「ああ、よく知ってるぜ」
「そもそも、クリスマスなんぞという異教徒の祭りにつきあわされねばならぬいわれは無い」
「いやしかしせっかくだし」
「……君はこの時期忙しいのではないかね?」
「さすがだな。他業種のスケジュールまでよくご存知で」
「………バカにしているのかね」
眉間に寄せた皺を色の無い指先で伸ばしている。
怒っている自分を恥じているようだ。
「そう言うなよ氷川。
校正の真っ最中に嘘ついて抜け出してきたんだぜ?
もう少し嬉しそうな顔してくれても罰はあたらん」
「この顔は生まれつきだ」
「年末進行の真っ最中だ。2時にはまた戻らなきゃならん」
「……なぜ外注の君がそこまでする」
「小せぇとこだからな。俺もできることをやるだけさ」
冷えた指先を手に取り、片目を瞑ってくちづけた。
数珠がしゃらりと音を奏で、チャンスの香りが心地よく鼻をくすぐる。
氷川は迷惑そうに振り払うと、俺に背を向けてスタスタと赤坂方面へ歩いてゆく。
ま、照れ隠しって奴だ。
「――知っているかね」
「ああ、知っているぜ」
「……まだ何も言ってない」
「聞かせてくれや」
「――ノエル、ノエルと叫んで呼べば、ノエルが来ると」
「ヴィヨンか」
「……クリスマスなどというのは、所詮人が作り出した空しい空騒ぎにしか過ぎない。
考えてもみたまえ。この多忙な師走に、無理矢理作る時間にいかほどの価値があるのかと」
「まぁそう言うな。
せっかくのイブだ。楽しもうじゃねえか」
「2時までだろう」
「そう拗ねるなよ」
「拗ねてなどいない」
「雪だ」
ビルという燭台に照らされた夜空に、ちらほらと白いものが舞う。
雪と呼ぶにはあまりにも儚げな鏡の破片。
氷川が立ち止まり、空を見上げ、険の強い表情を少しだけ和らげる。
吐き出される白い吐息だけが時を回し、荘厳な闇が俺に微笑いかけ編集長に
もうちょっと客観的な記事を書けるようにしなさいとダメ出しされたことすら忘却の彼方だ。
ほっておけばその高そうなカシミヤのコートごと、闇の中に溶けちまいそうな気がして、
俺は被っていた帽子をやっこさんの儚げな頭髪に預ける。
「東京の雪はすぐ溶ける。濡れちまうぜ」
「気遣いなど不要だ」
「いつか、お前さんにニューヨークのクリスマスを見せたいもんだ。
本場はこんなもんじゃない。
お前の大嫌いな虚飾とバカ騒ぎも、あそこまで来ると壮観だぜ。
ロックフェラーセンターのツリーを二人で見上げる。
レストランはユニゾンを予約して、エスコートはこの俺だ。
どうだ……悪い話じゃないだろ?」
「……ふむ」
俺を見る氷川の眼差しは柔らかい。
いつか――、
一体それがいつの日になるかわからないけれども、
いつか俺は踏むだろう。
僅かな痛みと共に、懐かしい自由の国の土を。
一人で。
あるいは誰かと共に。
「な?決まり決まり」
「……とりあえずは、今夜のことを考えたまえ」
「それもそうだな」
「2時まで、か。――あまり時間が無い。まずは食事だ。
全く……聖夜に予約も無しで入れる場所がいかほどあると思っているのかね?」
ぶつくさ言いながら街灯りに向かい歩き出す氷川の後を、
俺は餓えた、しかし幸福な野良犬のようについていった。
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