桜の森の七部咲きの下














 式の最中、おれにとっての問題はただ一つ。

 明日から毎日会えるわけじゃなくなるってだけだった。




 卒業式が終わった後も、クラスの半数くらいが二次会やなんだと集っていた。

 勇も、まだ泣きじゃくるおれもなんとなくその流れに乗っていたけれど、

 カラオケの最中に急に袖を引かれた。




 直前までロミオメロンだかの卒業ソングを、タンバリン片手に熱唱していた勇が、

 急に冷めた顔で抜け出すぞと言い出すのはまぁいつものこと。

 様々な憶測を立てられつつも、最後までつきあっていることは(たぶん)

 悟られずに卒業まで迎えたのに、

 勇が会費を払って堂々とおれと二人で抜け出したのでびっくりしたのだ。




「いいのか?」

「何が」

「だってほら」




 おれたちつきあって1年と5ヶ月経ってもまだラブラブなの、みんなにバレちゃうんじゃん。

 勇今までそういうことにすごいうるさかったのに。

 いやおれは自慢したいくらいだけどさ。

 今まで黙ってましたが、こんなかわいい勇を、

 卒業まで独り占めしてクラスの皆さんどうもすみませんでした。

 って土下座したっていいんだけどさ。




 と最後まで言わなくたって、察しのいい勇は主に前半部分を悟って鼻で笑う。




「ああ、いいんじゃないの?クラスの連中なんてもう二度と会わないんだし」

「あ。そう?」




 最後の日まで勇は勇だ。



 千晶も最後まで千晶だったし、

(別れを惜しむクラスメートたちを尻目にさっさとリムジンで帰った)

 おれから視線を外さずに目頭にハンカチをそっと押し当てる裕子先生も裕子先生だった。

 来年から新しいターゲットを見つけてくれるんだろうか。








 思えば色々ありすぎた高校生活。感慨深いを通り越しておれは飽和状態だった。

 卒業生バッチつけた勇を見て泣いたし、校歌斉唱でも泣いたし、

 答辞でも送辞でも一度ずつ泣いた。勇は眠そうにあくびをかみ殺していた。




 渋谷を制服で歩くのも今日が最後だ。

 少し前を歩く制服の背中を見ていると、また涙がこみあげてきた。




 最初のうちは


「いつまで泣いてんだよ。 オマエ……」


 と呆れていた勇も、もう面倒くさくなったらしく、総シカトだ。









 結局大学は別れてしまったけれど、それでつきあいが終わるわけじゃない。

 制服プレイだってやろうと思えばクリーニングの袋を破ればいいだけで。

 頭じゃわかってるんだけど、やっぱり切ない。 春は切ない。

 おれは卒業の切なさに浸りきっていた。






 勇はどこに行きたいと言うわけでもなく、駅方面へとゆっくり歩く。

 肩にかけた鞄から卒業証書の筒がはみ出している。

 おれはさらにゆっくり歩きながら、揺れるそれが落ちやしないかと心配している。




「どうする?オマエ、ウチ来る?」




 センター街の看板が見えてくると、勇がくるっと振り向いた。

 このまま別れがたいのはおれも同じなんだけどさ。




「あ、ごめん。今日は親が祝ってくれるって言ってて」

「あー…、そういやうちの親もそんなこと言ってたわ」

「忘れてんなよ」

「ハハッ」




 今日は渋谷で別れなきゃいけないけど、明日からは春休みだし、

 明後日からは勇と二人で卒業旅行だ。



 本当は二人で海外とか沖縄とか行きたかった。でも、




「どうせどこ行ったってやるこた変わらねえだろ」




 なんせ基本インドアな勇は、遠出がだるいとか。

 パスポート作るのが面倒だとかさんざごね、結局男二人で京都に三泊。

 我ながら渋すぎるチョイスだ。おれは貸切風呂のある旅館を必死で探した。




 宿に着いたら風呂入ってセックスして、風呂あがってセックスして、メシ食って。

 寝る前にセックスして。 うーん、楽しみだなぁ。




 ずっと受験で忙しかったから、勇と二人で旅行とか初めてだしなぁ。

 思う存分イチャイチャしてえなぁ。




「何ニヤニヤしてんだよ。泣いたり笑ったり気持ち悪ぃなオマエ」

「あ。 ごめん」

「で、これからどうすんだよ。ホテルでも行く?」

「え、制服だぜ?」

「卒業したんだから問題ないだろ。

 文句言われたら卒業証書見せりゃいいんじゃない?」

「そうか。 勇は頭がいいな」

「バーカ、冗談に決まってんだろ」




 なんだ冗談か。最後の制服プレイとか期待したのに。




「あ、そうだ。 忘れないうちこれ、勇に」




 ゲーセン前のUFOキャッチャー(アニメだかゲームだかのノベルティグッズが入っていた)

 を覗き込んでいる勇に、

 おれは最後に残った制服のボタンをむしりとって勇に渡した。




 ただでさえうちの制服はブレザーなのでボタンは少ない。

 予備のボタンもとっくに失い、これでとうとうおれの上着を留めるものは何もなくなった。

 ぺろんぺろんだ。

 みっともなくてコートの前を開けない。




「なにこれ」

「いや、その、第二ボタン」

「……………」

「勇のもさ、その」

「きめえ」




 受け取った途端に勇が人ごみに向かって、

 野球のフォームでボタンを放り投げる――真似をしたので、おれはとても焦った。




「ちょ……っ! お、おい勇! それだけは必死に守ったんだぜ!」

「他のボタンは?」




 おれのスカスカした制服を見ながら、勇がニヤニヤ笑っている。

 投げ捨てたはずの第二ボタンを親指と人差し指に挟み、

 今度はUFOキャッチャーの金を入れるところにねじりこもうとしている。




「……下級生とかの子に全部取られた。

 最後のほうは渡すもんなくてホックまでちぎってあげたから、

 ベルト緩めたらまじズボン落ちそう」

「はぁ? なにそれ、自慢?」

「そうそう。モテる彼氏で勇も鼻が高いだろ?」




 おれも笑って返すと勇は舌打ちしてそっぽを向いた。




「オマエも生意気になったよなぁ」

「まあな」




 そりゃあ卒業まで付き合ってれば、勇の反応くらいは予想できるようになるよ。




「大体さぁ、第二ボタンとかって、

 ……もう二度と会わなくなる奴に記念にやるモンだろ?

 それこそ女子にくれてやりゃあよかったのに」

「そういうもんなのか?」

「まぁ、普通はな」

「でも、おれ、勇にもらって欲しかったんだよな」

「まぁ、もらってやってもいいけど。………失くしそうなんだよなぁコレ」

「…………卒業証書の筒ん中つめとけよ」




 勇はまだUFOキャッチャーの中身を気にしていたが、

 おれは店内の女子高生たちに目を奪われていた。

 二人でキャアキャア言いながらシールを切り分けている。



 これだ。




 おれは勇の袖を引いて、ゲーセンの奥を指差した。


「勇、プリクラ撮ろうぜ」

「はぁ?」

「卒業だし、記念だし」

「……男二人のプリクラって、物悲しさランキング絶対上位に食い込むアレだろ?

 切なさ通り越して普通に痛いんだけど」

「でも最後じゃん。制服で撮る機会もうないしさ」

「制服着てなくったって撮る機会なんかないだろ。

 ……ああもう、ひっぱんなって。ベルト抜くぞ」









 初めて入るカーテンの向こう側はやたら白くて広かった。

 プリクラの機械が珍しくて、おれはべたべた触りながら勇に操作を教わる。




「なぁ勇、くっきり写るのとふんわり写るのとどっちがいいんだ?」

「………好きなの選べよ」

「バストアップと全身のとどっちが」

「……オレ、出ていい?オマエ一人で撮れよ」




 完全個室系なので、げんなり顔の勇の手を握りなんとか引き止めた。

 外から見えないのをいいことに、肩なんか抱き寄せちゃったりして。

 お。カップルっぽい。上にバがついてるやつ。




「ココカメラだから、ココ見てろよ」

「うん」




『とりまーす』




 最初の一枚は極めて真剣なおれと、思いっくそ引き気味の勇。




「……撮り直しとかいいよな。さっさと出たいし」

「全部で何回撮るんだ?」

「4回。

 ……ちょっとは笑えよ。 真顔すぎて怖いっての」

「うん」




『とりまーす』




 二枚めは、引きつった笑顔と苦笑。




「……オマエ、作り笑いヘタだよなぁ」

「そうかな……ってうわッ!」




 今度こそいい笑顔を作ろうと焦るおれをネクタイで引き寄せ、勇が急に唇を寄せてきた。

 柔らかい感触そこそこにおれはつんのめり、歯と歯がぶつかってガチッと鳴る。

 ネクタイも上の一本だけ引っ張られたもんだから、首がぎゅっと絞まって息が詰まった。




『とりまーす』




 そんなわけで三枚目は、目を見開いてキスされてるおれと、勇のつむじ。

 待ったとも言えないうちに、無情な機械が容赦なくその絵をデジタルに切り取る。




「……びっくりした」

「記念ってこういうもんだろ?」

「な、勇。もう一回。今度はちゃ」




『とりまーす』




 四枚目は、ネクタイを緩めて俯くおれと、カメラ目線で得意そうにVサインしている勇。




「はい時間切れー」

「……撮り直そうぜ」

「めんどくさいからいいだろ。

 オマエの顔、いちいち面白いしさ」




 どうにも見覚えのあるキャラクターのガイダンスに沿って、

 撮りこんだ画像に、勇がタッチペンで背景やらフレームを選択してゆく。




「イヌノ、どれがいいんだ?」

「その三色のハートがいっぱい飛んでるやつ」

「やだ」

「……勇の好きなやつでいいよ」

「お。 卒業式フレームあるし。 これにしよう」




 撮るのを渋っていたくせに、勇はわりとノリノリだった。

 桜の花びらと卒業証書の飾り枠の中、勇のつむじとつんのめったおれ。



 勇の筆跡で書き加えられた


 「卒業、おめでとう」


 の文字を見て、おれはまた泣いてしまった。








「おれ、夢があってさ」

「……どうせロクでもない夢なんだろ。 言ってみろ」

「何年か後に、おれたちが歳とって大人になって高校の制服とか似合わなくなった頃に」

「頃に?」

「改めて制服着て勇とやりたい」

「…………」

「大人っぽくなった勇にちぐはぐな制服って燃えね?イメクラみたいで」

「……イヌノ、もう制服ボロボロだぜ。ボタン残ってないし」

「あ。おれはジャージでもなんでもいいんだよ」

「…………」

体育教師と素行不良気味の生徒ってシチュエーションでどうかな」

「……ただのイメクラじゃねえか。ほら、プリント終わったぞ」




 現像が終わるや否や、勇はプリントシールを引っつかんでポケットに隠した。

 さすがに恥ずかしいんだな。




「勇、おれの分」

「あー、やばくない奴だけ切り取って次会ったとき渡すわ」

「え。 なにそれずりい」

「オマエ、管理とことん甘いからヤバイもん渡せないんだよね。

 シールなんかどこに貼るかわかったもんじゃねえ」

「卒業証書に貼ってちゃんとしまいこむからさ、半分くれよ」

「一番ヤバイじゃねえか!」

「そっかな」




 最後の制服デートも結局いつもと大差なく、おれたちはいつも通りTUTAYA覗いて、

 いつものようにスタバでお茶した。

 ギリギリまで別れの時間を延ばして、いつも口数の少ない勇が本当は

 淋しがっていることぐらいはわかる。

 クラス会抜け出してまで二人きりになりたかった意味もなんとなくわかる。



 なんてったっておれは勇の彼氏だし。

 もうだめかと何度も思いながらも1年と5ヶ月もつきあっているわけだし。






「……勇、そろそろ帰らないと」

「ん」




 促したが、第二ボタンを指先で持て余していた勇は、

 立ち上がる代わりにスタバのカウンターに突っ伏した。




「ど、どうしたんだよ」

「うるさい」




 毒づく呟きが鼻声だった。

 ボタンを握り締めたまま、勇は顔を上げようとしない。





 困った。





「勇、泣くなよ」

「……オマエが言うなよ」

「大丈夫だから。 な?」

「…………」




 おれが泣くのはいつものことだけど、勇の涙にはとんと慣れてない。

 てか、勇が泣くとは思わなかった。 しかもこんな時間差で。




「大丈夫だろ」




 一応周囲を気にして、おれはこっそりカウンター席の下で、

 周囲から見えないように勇の手を握った。

 そんで、大丈夫大丈夫だよと耳元で繰り返す。




 何が大丈夫なのかは自分でもよくわからない。

 そもそも勇の涙の理由もよくわかってない。




 勇はしばらく無反応だったが、大体20回目くらいの「大丈夫だから」で切れて、

「ちょっと黙ってろ」と凄んだので、おれは黙った。

 でも手はずっと握ってた。




 一面の窓ガラスの外はもう夜になりかけていた。

 今日はおれの卒業祝いに家族で焼肉に行く予定だから、もう帰らなきゃさすがにまずい。


 でも今は肉より勇が大切だ。


 てか、勇がこんなへこんでるんなら、




「……やっぱホテル行けばよかったなぁ」




 つい声に出してぼやいてしまった。




「卒業証書提示して?」



 おれの独り言に、突っ伏したまま勇が訊き返す。



「卒業証書提示してでも」



 そしたら勇の頭を抱いて、もうちょっと気の利いた慰めでも思いついたのかもしれないのに。

 うつ伏せた顔がちらりとこちらに向けられ、勇は潤んだ目のまま笑った。




「オマエってそれしか頭にないのかよ」

「そういうわけじゃないんだけど」

「まぁ、いいけど」




 膝の上で、絡めた勇の指に力がこもり、そのまま手が離れた。




「帰るか」




 赤くなった鼻を手の甲でこすり、何事もなかったように勇は立ち上がる。

 空っぽのカップをダストボックスに捨て、まだ三月の冷たい外気に当たる頃には、

 普段の様子に戻っていた。




「さみ」

「もうすぐあったかくなるよ。もう春だしな」

「まぁなぁ」

「残酷な季節でもあったかいほうがいいよな」

「なんだよそりゃ」

「なんか昔、『四月は残酷な季節』って聞いて」

「なんで」

「……理由は聞いたけど忘れちゃったなぁ。なんか発毛とかと関係あった気がする」

「ハハッ、意味わかんねーし」




 交差点の信号が変わるまでの間、勇はまだてのひらの中で第二ボタンを弄っていた。

 ふと飽いたようにそれをポケットにしまい、信号の向こう側を眺めて呟く。




「……まぁ、なんとなくわかるかな」

「え?」

「何が残酷かって話」




 信号機が青に代わり、おれたちは人の流れに押し出されるように駅の前へ歩く。




「大丈夫だよ」




 すぐに点滅を始める信号に足を急がせながら、おれは勇の背にもう一度言った。

 勇は聞こえていないようだった。


 だからおれはわかってしまった。

 自分のその言葉が、慰めるために繰り返されていたわけではなくて、

 ただ一言、勇に同意してほしかっただけなのだと。




 さらに足を速めて勇に並ぶ。

 赤になる直前に横断歩道を同時に渡り終えて、おれは別の言葉を選んだ。




「卒業旅行楽しみだなー!」




 ありったけの大声で言うと、さすがに耳に届いたらしい。

 勇がこっちを見上げて頷く。




「遅刻するなよ」

「ちゃんと目覚まし三つかけるよ。 勇に置いてけぼりにされちゃたまんねえし」

「ほんとに大丈夫かぁ?」

「大丈夫」







 そうだよ。






 明後日から卒業旅行だし。男二人で京都で温泉だし。

 受験も終わってこれからは勇と自由に会えるし。

 もうすぐ桜も咲くし。 寒さも少しずつ緩むだろうし。

 そうしたら二人で花見に行きたいし。

 おれたちの恋はまだ続くし。



















                                          END





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