目の前に空き瓶が転がっている。
シャトー・ル・パン2001産。まごうことなき最高級ヴィンテージワインだ。
そう、ささやかな祝福のつもりだった。
新しい年へ。15年間分の悪夢から解放された自分自身へ。そして、私のために奮
闘してくれた友人たちへの――。
「おおぉぉい成歩堂よぉ!酒、足らねーぞぃ!」
「うう……僕の『竹の露』飲んだのは誰だよ。い、い、異議を申し立て」
「しっかりしろよぉ成歩堂ぉ。オマエがさっき一気飲みしたんじゃねーかよ」
「あ、あけましておめでとう御剣!」
「まだ明けてねぇよ!紅白歌合戦やってだろーが!……しょーがねぇなぁ、みり
ん頂くぜ、成歩堂ぉ」
「いやいやいやいや、諦めちゃだめだ矢張!まだどこかにあるはずなんだ。秋に
買った大五郎が確か」
「……キミたちもいい加減にしたまえ。明日辛いのは自分だぞ」
私がバカだったのだ。
コイツらは酒の味などどうでもいい。酔っ払えればそれで満足なのだ。
十万円近いワインでも、ミネラルウォーターより安い焼酎でも。
埃を被った安焼酎を飲み始めた二人を、私はうんざりしながら見守っていた。
こういう場合、素面の人間は逆に損をする。酔漢どもが次に何をするか気が気じ
ゃないからだ。
私だって別に酒に強いわけではない。ただ、配分というものを考えていただけだ。
「しっかりしたまえ成歩堂。学生じゃないのだから、少しは飲み方というものを
だな……」
「なんだよ御剣。お前、グラス空だぞ。まったくぼーっとしてるよなぁ」
「注ぐなッ!」
12月31日大晦日、成歩堂弁護士事務所。
新年まであと数時間。
二人で忘年会をと言い出したのは成歩堂だった。
改めて私の無罪を祝いたいと。真剣な眼差しで彼は言った。
「い、異議あり!審査員の票は明らかに偏っている!」
……その男は、今は頭にネクタイを巻き、テレビに話し掛けている。
「ギャハハハハハ!いいじゃねえか、赤組が勝っても白組が勝ってもどーでもよ
ぉ!」
「あ、あけましておめでとう御剣」
「まだ明けてねーよ!紅白歌合戦終わってないから!」
「うう……御剣ぃ……よかったなぁお前、無罪になれてさぁ……。本当によかっ
たよ、僕はこの日のためにさ……」
「………あ、ああ」
「嬉しいよ……十五年……十五年は長かったよ……」
そしてなぜ、こうもこの男はベタベタと絡むのだ。酔漢といっても程があるだろう。
私の膝にしなだれかかるように焼酎を飲み、また注いでいる。
あ、ああ、零すな零すな。私のズボンが汚れる。
「なんだよ、元気ないな」
「いや、これが私の普通だ」
「よし!今日は特撮オタのお前のために、僕が用意したかくし芸を見せてやる!」
特撮オタは余計だ。
私を元気付けるためなのかなんなのか、そう叫ぶと成歩堂は猛然と立ち上がった。
しかし、足元はふらふらだ。
そして座ったままの私の背後に回る。
「?」
何がなんなのだか呆然としていると、何か弾力性に富んだものがぽてんと私の
つむじ辺りに乗せられた。
なんだこれは。
「トノサマン!!!!」
「ギャハハハハハハハハハ!成歩堂よぉ、それはかくし芸じゃなくてかくし毛だろ!」
焦って振り向いた私の目の前に飛び込んできたものは、
………………………………。
…………………………………………………。
「
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おおおおおお!!」
とりあえず、頬を二、三発張る。
「ト、トノサマンビンタ……」
股間をまろびだしたまま、頬を押さえて成歩堂が私を見上げる。
「成歩堂ッ!貴様、貴様、な、なんの冗談だッ!!」
「いや、御剣笑ってくれるかなと思ってさ」
「
笑えるか――ッ!!」
口元がふるふると震えるのがわかる。激昂した時の私のクセだ。
「キミが私の知り合いでなければ、猥褻物陳列罪で現行犯逮捕だッ!」
「なんだよ……知り合いだなんてよそよそしいこと言うなよ。
僕はお前のために、本当にそれだけのために弁護士になったんだぜ?」
淋しそうに呟くと、成歩堂はネクタイを巻いた頭を俯かせた。
落ち込んでいるのか?
そんなことより早くズボンの前チャックを上げてほしい。
ああ、ああ、股間を触った手で私の手を握るな。
「御剣……」
「ム…………」
見詰め合う私と、局部を露出させたままの成歩堂。
「なんだよ、今度はかくし芸じゃなくてかくしゲイかよ!
あ、別に隠してねぇか!ギャハハハハハハハ!!」
矢張の茶々に我に返る。
「お、おい矢張!誰がゲイだ、誰が」
「隙ありッ!」
そして背後に回った成歩堂がまた何らかの物体を私のつむじ辺りにぽてんと乗せて
得意そうに
「サルマゲどん!!!!!!!!」
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
「うおおおおおおおおおおおおおお
おおをををををををををををををを
ををおおおおおおおおおおおおお
おおおお!!!!!!!!」
「どう?最近いい
ツヤが出てきたと思わない?」
「最近も昔も知るか!早くしまえッ!!」
矢張だけがいつもの調子でヘラヘラと笑っている。
何が、何が一体楽しいというのだ。
「おい成歩堂ぉ、トノサマンもサルマゲくんも、ちょんまげは天井向いてなきゃ駄目な
んだぜ?」
「任せておけ!」
「擦るなッ!!!!」
ドゴ。
――気がついたときには、ワインの瓶で成歩堂の股間をはたいていた。
かろうじて頭にしなかったのは、2の発売前に記憶喪失になられてはたまらないとの
ギリギリの配慮だった。
幸い瓶は砕けず、ただ成歩堂だけが白い目を剥いてその場にひっくり返った。
だめだ。
検察一筋に来た私には理解できないが、友人との忘年会とはこういうものなのか?
……………。
耐えられん。
トイレに篭り悶々と悩む。正直、帰りたかった。
しかし、仮にも私の祝いのためにと集まってくれたのだ。
まさか私が帰るわけにはいかない。
それに、私は彼らには本当に世話になったのだ。
…………面と向かって礼などとても言えないのだが、せめて、多少の無礼には目
をつぶってやらねばとは思う。
だが、成歩堂の隣はもうごめんだ。
「オイ、大丈夫か御剣よぉ。顔色悪いから心配でさ」
矢張の声と同時に、トイレの扉がノックされた。
「ム……すまん。別に具合が悪いわけではない」
別の意味で気分は悪いが。
するめを齧る矢張に個室を譲り、私は何事もなかったように応接間に戻った。
そしてさりげなく、矢張と座り位置を取り替える。
「あれ?そっちに座るのか。ま、いーけど」
戻ってきた矢張は、そのまま白目を剥く成歩堂の横に座った。
せめて、前チャックだけは閉めてやりたいのだが怖くて近づけない。
テレビの中ではカウントダウンが始まっていた。
「……今年は色々あったよなぁ」
するめを齧りながら安酒を傾け、矢張がしみじみと呟く。
「成歩堂が弁護士になったりオレが疑われたりお前が疑われたり」
「ああ……本当にそうだな」
「……ミカは死んじまうし……カズミには捨てられちまうし……グスッ…ついてねぇ
よなぁ〜」
「ああ………本当にそうだな」
「カズミぃ〜〜なんでオレを捨てるんだぁ〜〜〜」
矢張はそう嘆くと、成歩堂にしがみついて揺さぶった。
こちらの方もどうやらかなり酔っ払っている様子だ。
あ、あ、寝た子を起こすな。
『3』
『2』
『1』
『ゼロ』
『あけましておめでとうございます』
新年を祝う歓声がテレビから聞こえる。
成歩堂はパッチリと目を覚まし、
「あ、あけましておめでとう御剣」
と、矢張に向かって言った。寝ぼけているのか酔っ払っているのか。
挨拶の内容は間違ってないので、とりあえず異議は申し立てずにおく。
「か、カズミぃ〜〜あけましておめでとうなぁ〜〜〜〜」
「嬉しいよ……こうして二人で年を越せるなんて……」
「オレもだよカズミ……も、ぜってーオマエを離さねぇからさ……」
「まるで夢みたいだよ」
「オレもだ、カズミ……幸せだぜ……」
酔っ払い二人は赤い顔で見つめあい。
「御剣……」
「カズミ……」
その……なんというか……
口づけを交わした。私の目の前で。
ここからでも、舌がその、入っているのがわかる。
男二人は甘く唇を重ねながら腰を抱き寄せあっている。
遠くで除夜の鐘が聞こえた。
………止めるべきなのだろうか。
いや、二人の自由意志だ。友としてやれることはそっとしておいてやることだけだ。
……それにしても、
なぜ成歩堂が私の名前を呟いているのかは気になるが、
糸鋸刑事も何度も成歩堂のことを『ヤッパリくん』と言っていた。
覚え違いは誰にでもあることなのだろう。
「御剣……するめの味がする……」
「こんな激しいキス、どこで覚えたんだよ……バカ」
成歩堂と矢張は、唇を貪っては離し、そしてまた重ね合った。
サルマゲくんのちょんまげは、早くも天井を向いている。
あれほどアルコールを摂取したのに大したものだ。
などと、感心している場合ではない。
元クラスメート二人の濃厚なラブシーンに、私はなんとも気まずい気分で酒を煽
るしかなかった。
これではまるで私はお邪魔虫だ。
出て行くことすら気まずく、私はソファで横になり、二人に背を向けた。
こういう時は寝たフリをするに限る。
私は何も見ていない。
見ていないことは存在しなかった。
つまり、何も無かった。
DL6号事件の時と同じように、私は無意識レベルで記憶に蓋をする。
二人がごそごそと服を脱がせあう気配がした。
背中越しに生々しい吐息が聞こえてくるが、これもすべて気のせい
だ。
私は何も見ていない。
見ていないことは存在しなかった。
つまり、何も起こってはいない。
「カズミ……いつの間にこんな立派なブツを……」
「いいから早くしゃぶってよ」
「う、うげぅ!」
「あー…上手だよ御剣ぃぃ〜〜」
私は何も聞いていない。
聞いていないことは存在しなかった。
つまり、何も起こってはいない。
「イテ!イテェよカズミ!愛がイテテテテテテテテテ!!!イテェイテェ死ぬぅ
〜〜!!イテェ!イテェ!しぐ!しぐぅ!!」
「御剣ぃ……いいよ!いいよ、最高だよ!!ハァハァーッ…ハァハァ…」
「
カズミぃ!カズミぃ!」
「
御剣!御剣!」
「お、おうぅ!!」
「ぉおうぅぅぅ!!!」
………………。
私は何も聞いていない。
私は何も見ていない。
私は何も聞いてない。
私は何も見てな……。
………………。
………………………………。
……どうやら、私もいくぶんかは酔っていたようだ。
二人の叫びと除夜の鐘をBGMに、いつしか眠りに落ちていた。
眠りの中で、また、あの夢を見た。
毎夜毎夜繰り広げられるエレベーターの惨劇。
もう台詞の一つ一つまで次に何が起こるか判る。
いつもと違うことは、登場人物が全員ふるちんだったということと、
最後は成歩堂と矢張が現れて舞台セットを滅茶苦茶に壊していったことくらいか。
夢の中の父は「お友達は選びなさい」とブツブツ言いながら、ガムテープで破れ
たエレベーターの壁を塞いでいた。
ダンボール製だとは知らなかった。
そして、
眩しくて目が覚めた。
耳障りな歓声に目を擦る。
見れば、点けっぱなしのテレビが新春スターかくし芸大会を映し出していた。
がんばれマチャアキ。
床では、成歩堂と矢張が素っ裸で重なりあうように眠っていた。
コートを掴み、二人を起こさないようにそうっと外へ出る。
新しい年の、見事な青空が広がっていた。
街は元旦らしい静寂に包まれている。
初詣へ向かう家族連れがまばらにいるくらいか。
今年こそいい年になりますように。
そうだ、あの刑事に新年の挨拶でもしれやるか。
なんだか今朝は、無性に叫びだしたい気分だ。
それから自室に戻り、真っ先に髪を洗おう。つむじの辺りを特に念入りに。
私は、ゆっくりと駅の方角へと歩き出した。
〜おまけ〜
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ゆけ年こい年
〜年忘れだよトノサマン! ドキッ★男だらけの忘年会大会!〜